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兼好法師(1283?~1352以後)
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吉田 兼好(よしだ けんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。本名は卜部兼好(うらべ かねよし/うらべ の かねよし)。卜部氏は古代より卜占を司り神祇官を出す神職の家柄であり、父兼顕も吉田神社の神職であった。卜部氏の嫡流は後の時代に吉田家、平野家などに分かれ、兼好は吉田家の系統であったことから江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している。また、兼好と呼ぶこともある。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』(つれづれぐさ)の作者であり、また私家集『兼好法師家集』がある。
●晩年考
晩年は、当時の足利氏の執事高師直に接近したとされ、『太平記』にその恋文を代筆したとの記述がある。没年は、諸記載や伝承により、観応元年/正平5年4月8日(1350年5月14日)ともされ、また異説として観応元年2月15日に死去したとする記事もあることからこの日とする説もあったが、これらの日付以降の活動を示す史料が複数指摘され、その中でもっとも遅いものとして1352年8月の奥書に名前がみえることから、現在の通説ではこの年以後と考えられている。
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『徒然草』(おおさかページより引用)
★『徒然草』は、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆とされる。・・・「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、・・・」・・・「つれづれなる」とは「手持ち無沙汰」なこと。最近は、「つれづれなる」ときは、携帯を手にしている人が増えましたねぇ。
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