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オナシス(1906~1975)
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アリストテレス・ソクラテス・オナシス(Aristotle Socrates Onassis)はギリシャの実業家、ミリオネア。オスマン帝国時代のスミルナ(現トルコ領イズミル)で、中流階級のギリシャ人家庭に生まれた。1923年にはギリシャを離れアルゼンチンに行き、1925年にアルゼンチンとギリシャの市民権を取得した。アルゼンチンでは葉巻の輸出などの貿易業を始め、食肉のヨーロッパへの輸出なども手掛け大きな成功をおさめた。その後ギリシアにもどったオナシスは、第二次世界大戦後に余剰化した連合国軍の船舶を安値で購入し海運業をはじめ、さらにギリシアの海運王のスタブロス・リバノスの娘のアシーナ・リバノスと結婚した(2人の子供であるアレクサンダーとクリスティナは両方ともニューヨークで生まれた)。これにより規模を拡大した海運業は、戦後復興を進めるギリシアとヨーロッパ諸国においてまたたくまに成功し、1957年にはギリシャのフラッグ・キャリアであるオリンピック航空を設立するなどさらに事業領域を拡大し、間もなくオナシスは「海運王」と称されるようになった。オナシスは1度目の結婚中、1957年にヴェネツィアで開かれたパーティーでオペラ歌手マリア・カラスと知り合い、最初の妻と離婚した。カラスとは9年ほど関係していたが結婚はせず、1968年には、1963年11月に暗殺されたアメリカ大統領のジョン・F・ケネディの未亡人であるジャクリーン・ケネディと結婚し、世界的に話題を呼んだ。
●晩年考
オナシスはジャクリーンとの離婚申請を考えていたが、1975年にフランスのヌイイ=シュル=セーヌで、晩年患った重症筋無力症の合併病である気管支肺炎によって死んだ。オナシスの莫大な遺産は、彼の遺書に基づいて娘のクリスティナが55%、アレクサンダー・S・オナシス財団が45%(これは彼の息子アレクサンダーが相続するはずだった分の財産である)の遺産を得た。また、妻ジャクリーンは彼の義弟エドワード・ケネディによる交渉の結果、1000万ドルといわれる(2600万ドルともいわれている)財産を手にした。
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ジャクリーンと前夫のケネディ(左)
★オナシスは、「欲しいものはすべて手に入れた男」とも言われますねぇ。・・・しかしジャクリーンには浪費癖があり、旅行と買い物に多くの時間を費やしたと言われるが、金を使いきれなかっただろうねぇ?・・・あ~ぁ、庶民感覚w!
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