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新田次郎(1912~1980)
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新田 次郎(にった じろう)は、日本の小説家、気象学者。本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)。長野県諏訪郡上諏訪町(現:諏訪市)角間新田(かくましんでん)に生まれる。ペンネームは“新田の次男坊”から(「しんでん」を「にった」と読み替え)。旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)・無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)・電機学校(現在の東京電機大学の母体)卒業。妻ていは作家。次男正彦は数学者・エッセイスト。長女の咲子も、家族を書いた小説を発表している。代表作に『八甲田山死の彷徨』、『アラスカ物語』、『富士山頂』、『武田信玄 』、『新田義貞』、『アイガー北壁・気象遭難』、『劒岳 点の記』などがある。登山好きの皇太子徳仁親王が愛読する作家として知られる。気象職員として最も知られている仕事に富士山気象レーダー建設がある。
●晩年考
小説『武田信玄』に続き、続編である『武田勝頼』、さらには続々編である『大久保長安』を執筆するほどの入れ込みようであったが、その執筆中に突然の心筋梗塞で67歳で亡くなった。夫人のていも、自分の健康を顧みないほどの執筆態度をかなり心配していたが、不幸にも予感が的中した事になった。生前、『俺は死んだら諏訪に帰る』と言っていたといい、諏訪市の正願寺の墓石には「春風や 次郎の夢の まだつづく」と刻んである。「自分が死んだらこの句を刻んで欲しい」と、妻に言い残していたという。
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新田次郎の墓
★高山気象研究分野では、気象測量機の第一人者で、無線ロボット雨量計で運輸大臣賞を受賞したこともあるらしい。・・・皆さん、映画『劒岳 点の記』は見ましたか?・・・当時の苦労がしのばれます。
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