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2020年08月06日

8月6日 今日のクラシック音楽作品

林光:混声合唱組曲「原爆小景」





1945年8月6日午前8時15分 アメリカ軍が日本(広島市)に対して世界で初めて核兵器を使用
1916年8月6日 フランツ・エッケルト(作曲家)没
1976年8月6日 グレゴール・ピアティゴルスキー(チェロ奏者)没
1991年8月6日 マックス・ロスタル(ヴァイオリニスト)没
2007年8月6日 松村 禎三(作曲家)没

 「原爆小景」(げんばくしょうけい)は、原民喜の詩、および同詩を作曲した林光の混声合唱組曲。
 1952年(昭和27年)、東京藝術大学内で開催された「原爆の図」の移動展覧会に合わせて、林は外山雄三、間宮芳生、寺島尚彦らとともに「原爆の図」を囲んだコンサートを企画した。林は『原民喜詩集』を入手、詩集から「永遠のみどり」を選び、演奏時間2分ほどの八重唱曲に作曲、展示会場内で初演した。これがのちの『原爆小景』の組曲化の出発点となる。
 1958年(昭和33年)、東京混声合唱団(東混)の委嘱により、林は原の詩集の出版当時から「あたためていたものなんですが、この年にやっと手をつけるということになった」としていた詩集から「水ヲ下サイ」を選び、単曲の混声合唱曲として作曲、同年6月の東混の定期演奏会にて『原爆小景によるカンタータ』と名付け、岩城宏之の指揮で初演された。
 1971年(昭和46年)、「『原爆小景』をぜひ終りまでやりたい」という東混の委嘱により、「水ヲ下サイ」「日ノ暮レチカク」「夜」の全3楽章の無伴奏混声合唱組曲として発表、岩城の指揮で初演された。
 東混はその後、『原爆小景』を毎年演奏しようと、「八月のまつり」という演奏会を1980年(昭和55年)から毎年開催することになる。1982年(昭和57年)の「八月のまつり」に際し、「今まで考えていた『原爆小景』の最終楽章としての「永遠のみどり」とちょっと違った考え方が出てきた」として、林の自作詩2編を第1楽章、第2楽章とし「永遠のみどり」を第3楽章とする『新原爆小景 あるいは平和の使徒たちのパレードと死者たちの歌』を作曲、林の指揮で初演した。もっともこれは「音楽作品としてはあまり成功してない」。
 新しく再生する広島という詩本来の意味を込めた「永遠のみどり」が『原爆小景』の最終楽章として組み込まれ、「完結版」として発表されたのは2001年のことである。(Wikipediaより抜粋)







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