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2020年08月09日

8月9日 今日のクラシック音楽作品

古関裕而:『長崎の鐘』





1945年8月9日午前11時02分 アメリカ軍が長崎市への原子爆弾投下を実施。
1875年8月9日 レイナルド・アーン(作曲家)誕生
1875年8月9日 アルバート・ケテルビー(作曲家、指揮者)誕生
1914年8月9日 フェレンツ・フリッチャイ(指揮者)誕生
1919年8月9日 ルッジェーロ・レオンカヴァッロ(作曲家)没
1975年8月9日 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(作曲家)没

 『長崎の鐘』(ながさきのかね)は、永井隆が執筆した随筆。
 内容は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく同僚や市民たちの様子を克明に描いている。永井は、この時妻を亡くした。また、救護の際には、頭部の重症と疲労から自らも危篤状態におちいるが、同僚医師や看護婦たちの努力により一命を取り留める。「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。
 作品は1946年(昭和21年)8月には書き上げられていたが、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の検閲によりすぐには出版の許可が下りなかった。精神科医の式場隆三郎が創刊に関った『東京タイムズ』に「原爆病患者の手記」の連載を始めると大いに話題になり、1948年、永井隆の『生命の河』がやはり式場隆三郎の経営する日比谷出版社から出版された。『長崎の鐘』は、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、1949年(昭和24年)1月、同じく日比谷出版社から出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。
 永井自身は、「なかなか出版してくれる出版社がなく、式場隆三郎氏などの尽力により出版にこぎつけた」と本書序文に書いている。
 同年7月にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲で同書をモチーフとした曲が発売されて大ヒットした。(Wikipediaより抜粋)







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