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2020年08月13日
8月13日 今日のクラシック音楽作品
ワーグナー 楽劇『ニーベルングの指環』
1755年8月13日 フランチェスコ・ドゥランテ(作曲家)没
1830年8月13日 グスタフ・ランゲ(作曲家、ピアニスト)誕生
1876年8月13日 第1回バイロイト音楽祭開幕
1876年8月13日 ワーグナー:楽劇『ニーベルングの指環』全曲世界初演
1912年8月13日 ジュール・マスネ(作曲家)没
1991年8月13日 山田 一雄(指揮者)没
『ニーベルングの指環』は、リヒャルト・ワーグナーの書いた楽劇。ワーグナー35歳の1848年から61歳の1874年にかけて作曲された。ラストから発表され、4部作完結まで26年。上演に約15時間を要する長大な作品であるので、少なくとも4日間をかけ、新演出を普通1曲しか出せない為、通して演奏することはあまりないが、ドイツのバイロイト祝祭劇場で毎年行われる音楽祭の際やヨーロッパのAクラスのオペラ・ハウスでは目玉作品としてよく上演される。
当初は北欧神話の英雄であるシグルズの物語をモチーフとした『ジークフリートの死』として着想したが、次第に構想がふくらみ現在の形となった。
4日間の内訳は以下の通り
序夜 『ラインの黄金』:2時間40分
第1日 『ワルキューレ』:3時間50分
第2日 『ジークフリート』:4時間
第3日 『神々の黄昏』:4時間30分
部分世界初演
作曲にあまりにも時間がかかりすぎていたため、ワーグナーの支援者であったバイエルン王国の国王ルートヴィヒ2世は出来たものから上演するよう催促した。ワーグナーにしてみれば非常に不本意なことであったが、経済的な問題もあり、仕方なく『ラインの黄金』と『ワルキューレ』の先行上演を了承した。『ラインの黄金』は1869年9月22日に、『ワルキューレ』は1870年6月26日にいずれもミュンヘン宮廷歌劇場で、フランツ・ヴュルナーの指揮によって初演された。
全曲世界初演
1876年8月13日、第1回バイロイト音楽祭にて。ハンス・リヒター指揮。ルートヴィヒ2世、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、ブラジル皇帝ペドロ2世、またフランツ・リスト、アントン・ブルックナー、ピョートル・チャイコフスキーらの音楽家などの観衆を集めて上演された。『ジークフリート』と『神々の黄昏』はこの時が初演となる。
「ミュンヘンでの舞台より見栄えが悪かった」という論評もあり、舞台評や収支の面で俗に言う「こけた作品」となってしまい、ワーグナー自身鬱になり、音楽祭自体もしばらく開かれなかった。(Wikipediaより抜粋)
1755年8月13日 フランチェスコ・ドゥランテ(作曲家)没
1830年8月13日 グスタフ・ランゲ(作曲家、ピアニスト)誕生
1876年8月13日 第1回バイロイト音楽祭開幕
1876年8月13日 ワーグナー:楽劇『ニーベルングの指環』全曲世界初演
1912年8月13日 ジュール・マスネ(作曲家)没
1991年8月13日 山田 一雄(指揮者)没
『ニーベルングの指環』は、リヒャルト・ワーグナーの書いた楽劇。ワーグナー35歳の1848年から61歳の1874年にかけて作曲された。ラストから発表され、4部作完結まで26年。上演に約15時間を要する長大な作品であるので、少なくとも4日間をかけ、新演出を普通1曲しか出せない為、通して演奏することはあまりないが、ドイツのバイロイト祝祭劇場で毎年行われる音楽祭の際やヨーロッパのAクラスのオペラ・ハウスでは目玉作品としてよく上演される。
当初は北欧神話の英雄であるシグルズの物語をモチーフとした『ジークフリートの死』として着想したが、次第に構想がふくらみ現在の形となった。
4日間の内訳は以下の通り
序夜 『ラインの黄金』:2時間40分
第1日 『ワルキューレ』:3時間50分
第2日 『ジークフリート』:4時間
第3日 『神々の黄昏』:4時間30分
部分世界初演
作曲にあまりにも時間がかかりすぎていたため、ワーグナーの支援者であったバイエルン王国の国王ルートヴィヒ2世は出来たものから上演するよう催促した。ワーグナーにしてみれば非常に不本意なことであったが、経済的な問題もあり、仕方なく『ラインの黄金』と『ワルキューレ』の先行上演を了承した。『ラインの黄金』は1869年9月22日に、『ワルキューレ』は1870年6月26日にいずれもミュンヘン宮廷歌劇場で、フランツ・ヴュルナーの指揮によって初演された。
全曲世界初演
1876年8月13日、第1回バイロイト音楽祭にて。ハンス・リヒター指揮。ルートヴィヒ2世、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、ブラジル皇帝ペドロ2世、またフランツ・リスト、アントン・ブルックナー、ピョートル・チャイコフスキーらの音楽家などの観衆を集めて上演された。『ジークフリート』と『神々の黄昏』はこの時が初演となる。
「ミュンヘンでの舞台より見栄えが悪かった」という論評もあり、舞台評や収支の面で俗に言う「こけた作品」となってしまい、ワーグナー自身鬱になり、音楽祭自体もしばらく開かれなかった。(Wikipediaより抜粋)