2018年04月08日
小沼敏雄
〔生年月日〕1959年1月2日
〔出身地〕埼玉県(三郷市)
〔身長〕175cm
〔主な戦績〕
・1983年 ミスター日本 2位
・1984年 ミスター日本 2位
・1985年 ミスター日本 優勝
・1987年~1999年 ミスター日本 優勝
・1988年 アジアボディビルディング選手権(90kg以下級) 優勝
・1989年 アジアボディビルディング選手権(85kg以下級) 優勝
・2002年 ミスターユニバース(40歳の部 80kg級) 優勝
〔Sky Raker's eye〕
言わずと知れた”ミスターボディビルディング”こと小沼敏雄さん。「ミスター日本14回優勝」「ミスターユニバース優勝」という偉業を成し遂げた、日本ボディビルディング界の生きる伝説です。
何故、小沼敏雄さんは14回も日本一になれたのでしょうか? 他の選手とは、何が違ったのか? 分かりやすく言うと、「日本の大多数のボディビルダーの体形が短足胴長の”道産子”」なのに対し、「小沼敏雄さんの体形は腰高八頭身の”サラブレッド”」だからです。
現役選手終盤の頃の小沼さんしか知らない人は、「バルクは然程でもない」と思っているかもしれませんが、全くそんなことはありません。「然程でもない」選手が、数多の実力者を退けて14回も日本一になれる筈がないでしょう? そんなに甘い世界ではありませんよ。
現役バリバリの頃の小沼さんは、はち切れんばかりのバルクを誇っていましたし、その存在感に至っては、圧倒されるものがありました。正直、いつも私は気圧されていましたし、現在だって、ゴールドジムのトレーナーとして一種異様な存在感を放っていると思いませんか?
確かに、小沼さんの上腕・肩・胸のバルクは、パーツだけで見た場合に弱く見えるかもしれません。が、ボディビルディングというのは「トータルバランス」で評価される競技。小沼さんの身長、腰高、手足の長さで、あの背中の広がり・厚みと臀部・大腿部の充実度を兼ね備えると、とても均整の良い芸術的なトータルパーッケージとなるのです。自身の長所と短所を見極め、競技者として最も完成度の高い体を作り上げたからこそ、無敵の時代を長く続けることが出来たのです。
ただ惜しむらくは、失礼を承知の上で言わせて貰えば「愚直で無欲だった」こと。今後も破られることがないであろう「14回の日本一」という大記録を打ち立てたボディビルダーだからこそ出来ること、”生きる伝説”でないと出来ないことが、たくさんあった筈。ただ真摯にボディビルディングと向き合ってきたからこその大記録なのかもしれませんが、特別な才能に恵まれていないその他大勢のボディビルダーからすれば、「もっと名を売って稼いで、後進がボディビルディングに夢を託せるような活動もして欲しかった。」というのが正直な気持ち。だって、「成り上がれる」かもしれないという夢がないと、才能ある若い後進がボディビル道を選ばないじゃないですか? ジムで皆にハッパをかけてサポートし、「コンテストに出てみろよ!」と口説いている姿が小沼さんの魅力でもありますけど、私のような凡人からすると、どうしても勿体なく見えてしまうんですよね。本当に、心からボディビルディングを愛する名選手であり、皆に活力をくれる素敵な名トレーナーだと思いますけど。
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