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2018年06月24日

吉田勝也

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〔生年月日〕1970年8月4日
〔出身地〕熊本県(八代市)
〔身長〕172cm
〔主な戦績〕
・2000 NPC IRONMAN ライトヘビー級 優勝
・2005 NPC エクスカリバー ヘビー級 2位
・2006 NPC TOC ヘビー級 優勝
・2006 NPC TOC 総合優勝
・2008 NABBA世界大会 クラスV 優勝
〔外部リンク〕
吉田勝也 - Facebook

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〔Sky Raker's eye〕
写真を見ていただければ分かるとおり、吉田勝也さんは、「歴代アマチュア日本人ボディビルダーの2番手」です。戦績も伴っています。1番手は誰か? もちろんNABBA“Mr.U”こと杉田茂氏ですよ。
2006年に、吉田勝也さんがトーナメント・オブ・チャンピオンズでヘビー級優勝&オーバーオール優勝したときは、日本のボディビル界に衝撃が走りました。そんなことは不可能だと、誰もが思い込んでいましたから。だって、あの北村克己(マッスル北村)さんでさえ、TOCヘビー級3位(1999年)ですよ!?
現在、吉田勝也さんは、NABBAのMr.UNIVERSEに挑戦しているようです。ユニバースは「信じられないバルク」の選手がゴロゴロしていますから、「バルクで圧倒して勝つ」のではなく、「(杉田茂氏のように)完璧なバランスで勝つ」ことを目指す必要がありますが、吉田勝也さんならきっと、やってくれると思います。期待して(プレッシャーをかけて?)、その日を楽しみに待ちましょう。

Katsuya Yoshida 2015.jpg

2018年05月06日

堺部元行

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〔生年月日〕1964年3月19日
〔出身地〕三重県(桑名市)
〔身長〕170cm
〔主な戦績〕
・1995 JBBF千葉県ボディビル選手権 優勝
・2009〜 Cjbbf Championships 優勝
・2009 JPCジャパンナショナルズボディビル選手権 優勝
・2012 ミスターロサンゼルス ライトヘビー級 優勝
・2014 ニューヨーク アトランティックステイツ マスターズ 優勝
・2015 ニューヨーク アトランティックステイツ マスターズ 優勝
・2017 ミスターオリンピア アマチュア アジア 香港 3rd
・2017 ビクターマルチネス レジェンド チャンピオンシップス ライトヘビー級&マスターズ 優勝
〔外部リンク〕
ミッドブレス ヘッドパーソナルトレーナー日記
堺部元行 - Facebook
〔Sky Raker's eye〕
堺部元行さんは、歴代日本人ボディビルダーのうち、5本の指に入る偉大なボディビルダーです。ちなみに他の4人は、杉田茂さん、北村克己さん、小沼敏雄さん、山岸秀匡さんですが。選定基準は、「選手として優れた成績を残し」「後進を育成し」「日本のボディビル界をより良い方向へ発展させた」こと。

私見ですが、堺部さんが引退せずに国内外で優勝記録を増やし続けているのは、もはや自身の栄誉の為ではなく、日本のボディビル界を改革する為の影響力を保持し続ける為なのではないでしょうか。「効率的なウエイトトレーニング」「失敗しないコンテストコンディション作り」を自ら実践・検証し、NPCコンテストに自ら参戦し、そこで得たノウハウを後進に惜し気もなく披露してくれる。また、NPCJの設立・運営、IFBBトッププロのセミナー開催等を通じ、日本のボディビル界、フィットネス界を広く開放的に発展させるべく尽力してくれている。根も葉もない誹謗中傷にも屈することなく努力し続ける姿は、本当に尊敬に値します。

これまで閉鎖的な日本のボディビル界で安穏としてきた人達は、自分たちの利権が脅かされるのでは?と恐れて堺部さんをアンタッチャブルな異端児扱いしますが、私のように堺部さんを応援している仲間もたくさんいるので、まだまだ現役バリバリで活躍して欲しいと思っています。

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Motoyuki Sakabe 5.jpg

2018年04月08日

小沼敏雄

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〔生年月日〕1959年1月2日
〔出身地〕埼玉県(三郷市)
〔身長〕175cm
〔主な戦績〕
・1983年 ミスター日本 2位
・1984年 ミスター日本 2位
・1985年 ミスター日本 優勝
・1987年〜1999年 ミスター日本 優勝
・1988年 アジアボディビルディング選手権(90kg以下級) 優勝
・1989年 アジアボディビルディング選手権(85kg以下級) 優勝
・2002年 ミスターユニバース(40歳の部 80kg級) 優勝

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〔Sky Raker's eye〕
言わずと知れた”ミスターボディビルディング”こと小沼敏雄さん。「ミスター日本14回優勝」「ミスターユニバース優勝」という偉業を成し遂げた、日本ボディビルディング界の生きる伝説です。
何故、小沼敏雄さんは14回も日本一になれたのでしょうか? 他の選手とは、何が違ったのか? 分かりやすく言うと、「日本の大多数のボディビルダーの体形が短足胴長の”道産子”」なのに対し、「小沼敏雄さんの体形は腰高八頭身の”サラブレッド”」だからです。
現役選手終盤の頃の小沼さんしか知らない人は、「バルクは然程でもない」と思っているかもしれませんが、全くそんなことはありません。「然程でもない」選手が、数多の実力者を退けて14回も日本一になれる筈がないでしょう? そんなに甘い世界ではありませんよ。
現役バリバリの頃の小沼さんは、はち切れんばかりのバルクを誇っていましたし、その存在感に至っては、圧倒されるものがありました。正直、いつも私は気圧されていましたし、現在だって、ゴールドジムのトレーナーとして一種異様な存在感を放っていると思いませんか?
確かに、小沼さんの上腕・肩・胸のバルクは、パーツだけで見た場合に弱く見えるかもしれません。が、ボディビルディングというのは「トータルバランス」で評価される競技。小沼さんの身長、腰高、手足の長さで、あの背中の広がり・厚みと臀部・大腿部の充実度を兼ね備えると、とても均整の良い芸術的なトータルパーッケージとなるのです。自身の長所と短所を見極め、競技者として最も完成度の高い体を作り上げたからこそ、無敵の時代を長く続けることが出来たのです。
ただ惜しむらくは、失礼を承知の上で言わせて貰えば「愚直で無欲だった」こと。今後も破られることがないであろう「14回の日本一」という大記録を打ち立てたボディビルダーだからこそ出来ること、”生きる伝説”でないと出来ないことが、たくさんあった筈。ただ真摯にボディビルディングと向き合ってきたからこその大記録なのかもしれませんが、特別な才能に恵まれていないその他大勢のボディビルダーからすれば、「もっと名を売って稼いで、後進がボディビルディングに夢を託せるような活動もして欲しかった。」というのが正直な気持ち。だって、「成り上がれる」かもしれないという夢がないと、才能ある若い後進がボディビル道を選ばないじゃないですか? ジムで皆にハッパをかけてサポートし、「コンテストに出てみろよ!」と口説いている姿が小沼さんの魅力でもありますけど、私のような凡人からすると、どうしても勿体なく見えてしまうんですよね。本当に、心からボディビルディングを愛する名選手であり、皆に活力をくれる素敵な名トレーナーだと思いますけど。

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2018年03月04日

杉田 茂

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〔生年月日〕1947年1月26日
〔出身地〕大阪府
〔身長〕166cm
〔主な戦績〕
・1972年 ミスター日本 優勝
・1976年 NABBA Mr.ユニバース(アマチュア部門)ショートクラス&オーバーオール 優勝
・1981年 IFBB Mr.インターナショナル(プロ部門)ミドル級 優勝
〔外部リンク〕
杉田茂 - Facebook

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〔Sky Raker's eye〕
NPO法人日本フィジーク委員会(JPC)代表である杉田茂氏は、日本人で唯一「NABBA Mr.ユニバース オーバーオール優勝」を成し遂げた人物。さらに、あのアーノルド・シュワルツェネッガーも杉田氏にカーフのトレーニング法について教えを請うたという、伝説のボディビルダーです。杉田氏が世界一の称号を獲得していなかったとしたら、故北村克己さんや山岸秀匡プロの活躍もなかったかもしれません。
杉田氏が日本人ボディビルダーの意識を改革した偉業は、大きく二つ。「日本人でも世界トップレベルで競える」こと、「ボディビルのウエイトトレーニングでオーバートレーニングになる心配など無用である」ことを、ご自身で証明したことです。杉田氏は現役時代、超ヘビーウエイトで毎日100セット、週6日のトレーニングをこなし、Mr.ユニバースの時は、コンテスト3ヶ月前から牛肉を1日に2kg食べていたそうです。素質に恵まれ、相当にタフだったのは確かだと思いますが、杉田氏のトレーニングボリュームで停滞や異化作用が起こらないのであれば、「大多数のトレーニーにオーバートレーニングなど起こり得ない」と言えるでしょう。
杉田氏が執筆された「筋トレ虎の巻 ハンディ版―指導書には載っていない筋トレの極意を伝授」はご覧になりましたか? 定説とされている「トレーニングのセオリー」を覆す、目から鱗の貴重なメソッドが盛りだくさんの、「ボディビルダー必読の書」です。

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2018年02月03日

北村克己(マッスル北村)

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〔生没年月日〕1960年10月6日〜2000年8月3日
〔出身地〕東京都(練馬区)
〔身長〕173cm
〔主な戦績〕
・1984年 ミスター関東 優勝
・1985年 ミスター東京 優勝
・1985年 ミスター全日本実業団 優勝
・1985年 ミスターアジア ライトヘビークラス 優勝
・1986年 ミスターパシフィック 優勝
・1986年 ミスターオールジャパンチャンピオンシップス 優勝
・1999年 WABBA 太平洋世界選手権 総合優勝
・1999年 NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズ ヘビー級 3位
〔その他経歴〕
・東京大学理科U類中退
・東京医科歯科大学医学部中退
・太田プロ所属タレントとしてTV・映画等メディア出演多数
〔外部リンク〕
マッスル北村 マッスル企画 公式ページ
〔Sky Raker's eye〕
2000年8月26日開催のNPC トーナメント・オブ・チャンピオンズ出場に向けた過酷なトレーニングとダイエットが引き金となり、39歳の若さで逝去された北村さん。北村さんと言えば、奇行とも思える数多の超絶努力伝説。天命に突き動かされるかのように、全身全霊でボディビルに情熱を注がれました。(詳しくはIRONMAN誌特別編集の「ボクの履歴書」や「マッスル北村 伝説のバルクアップトレーニング」をご参照ください。)
そして、北村さんが存在しなかったとしたら、現在の日本のボディフィットネス業界の繁栄はあり得ません。日本のボディフィットネス業界に最も影響を与えた人物こそ、北村克己(マッスル北村)さんなのです。北村さんは、「日本人がボディビル競技で黒人・白人と対等に競えるはずがない」という常識を覆し、「日本人ボディビルダーも世界を舞台に戦える」ことを証明しました。勿論、それ以前にも杉田茂さんや須藤幸三さん等による世界的な活躍はありましたが、後進や業界への影響力という点では、類稀なカリスマ性を持った北村さんの方が上でした。現在の日本のボディフィットネス業界は、北村さんの影響を強く受けた「北村チルドレン」とも言うべき人達が牽引している、と言っても過言ではないでしょう。(日本における古参のボディビル団体はJBBFですが、「日本のボディフィットネス業界を大きく発展させた主要人物達は皆JBBFメンバー以外の人達だった」という皮肉な事実があります。)
1986年7月20日の 「ジャパン チャンピオンシップス」において優勝し世界大会への切符を手にしたものの、当時JBBFドーピングコントロール委員長であった後藤紀久の策略により、「筋肉増強剤であるナンドロロン使用」と判定され失格とされた不幸な過去がありますが(事実は不使用)、ハンデ(業界からの排斥)に負けず、「肉体と精神の調和」を唱え海外で活躍された北村さんは、真に偉大なボディビルダーです。
男性ボディビルダーであれば、北村さんのトレーニングビデオ「極限の肉体を求めて」「世紀末バルクアップ1999」「限界への挑戦」は必ず観てください。このビデオを見るのと見ないのとでは、その後の自身の成長に大きな差が生まれます。必見の3本です。そして、「北村イズム」の継承者になること間違いなしです。
北村さんはもうこの世にいませんが(肉体は滅びましたが)、魂は私たち後進の心の中で永遠に生き続けます。

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プロフィール
倉崎 楓子さんの画像
倉崎 楓子
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