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2017年05月10日

友達ってなあに


友達。。。勤務、学校あるいは志などを共にして
     同等の相手として交わっている人。友人。

     互いに心を許しあって対等に交わっている人。
     一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。


定義を読むと、それだけで面倒に感じてしまう
自分とはまったく縁のないものだなと思う

心を許すということはそんなに簡単ではないと
思っている

そういう相手に出会えなかったからだろう

ただ、単純に、そのままに信用した相手に
思い切り裏切られていたことが幾度かあって
素直に人を信じることをしなくなっただけで

友達も必要ないと思うようになった

誰も信じることができない
信じてもいいのだろうかと考えるくらいなら
最初から信じなきゃいい

そこに友達がいなきゃいけないのか

「ママ友」ってなんだ?

それは子供を通じて知り合っただけの相手と
むりやり仲良くなって
グループ作って
気乗りしないのに行動を共にしたり
いつも、そこにいたり

そうしないと子供がかわいそうな思いをするんだと
勘違いせざるを得ない環境ができあがっている

人がたくさん集まると必ず派閥ができあがり
対抗意識を燃やしたり
悪口を言いまわる人も必ず現れ

そんな中でうまくやっていこうとして
空回りして、かえって嫌われてしまう人とか

なにやってんだろね

友達と楽しく過ごす時間などほんの少ししかない

友達がほしいと心から思っていて
自分からいろんな人に声かけて自分から友達になる努力する

そういうのが正しいとか
自分からそうしないと友達なんかいつまでたってもできないとか

そんな思い込みが一般的のようなこの世の中

どうして?
ほんとに友達がほしいと思っても
自分からその努力をしなきゃいけないって思って
本当は声をかけるのも性分に合ってないのに

無理する意味あんのか?

友達がいないと寂しいけど、自分から作ろうとしないから
ダメなんだとか

なんで?
寂しいのは「友達がいないから」じゃなくて
楽しいと思うことがないから

自分が主役

「友達がいないから」寂しいわけじゃなくて
何をしても楽しめないから

友達いても何しても寂しいんだ

何かのせいじゃなくて
楽しめる自分でいられれば、友達はいてもいなくても楽しいのだ


子供がかわいそうだから嫌だけど
「ママ友」たちと嘘っぱちの仲間でいるなんて

本当にその集まりが楽しいのなら問題はない

そうじゃないなら、楽しくないのに無理して過ごす
「ママ友」集会のおかげで

つまんない気分の母親の感情が
子供にも伝わるかもしれない

直接、見ていなくても感情は伝わるものだ
小さな子供は特別敏感だから
ママが楽しい気分でいれば、そのまま伝わる


子供同士が仲が良くても
親同士の気が合うとは限らない

友達になれるかなんて
「なろう」と意気込んでなるものではない

ひとりでも楽しくいられることが基本だと思う

ひとりだから寂しいんではなくて

「ひとりは寂しいものなんだ」と決めつけているから
寂しいと思うだけだ

本当に寂しいのか?

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posted by 彩沙 at 20:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき
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