「やっぱりねぇ〜」
久しぶりに母親と話してる最中の私の心の声
先に、こうだろうなと思っているから
その通りになるとわかっていたが
どうしても
楽しく明るく前向きな会話をするんだと
思ってみても
思えなかった
気付いたことは
話してる私たち以外の人の
胸の内や行動を
「こうなのよ」と決めつけて
それを当然として話しているということが
意味わかんないと思ったこと
だって
当事者じゃない、しかも会話に参加もしてない
その人の行動やら思いを
自分だけの思い込みだけで「こうだ!」と決めて
話しているのだ
夫が60歳で定年したら、駅前はにぎやかだから
行く場所はたくさんあるという話をしたら
「でも!年金もらえるのは65歳だからあと5年働かないといけない」
「それに、今の住んでる部屋は家賃が高いから、安いとこに引越さないといけない」
「定年の後はその会社でそれまでよりも給料は少ないけど年金もらうまではいないといけない」
とにかく
定年後は「こうなる」
老後は貧乏に「なる」
固定観念、がんじがらめに固定されているのか
もともと母親は
全部をマイナスで捉える人だから
話せば話すほど、どんどん、マイナスが強くなって
会話がどんどん、つまらなくなるのだ
無意味な決めつけ、固定観念、謎のマイナス大好き話
そんなものに影響されない自分になって
つくづく良かったが
マイナスな話をしているほうが、現実をよく知っていて
立派な人だみたいな思い違いが、とても残念でならない
「しなければならない」定義は、必要ない
必要であれば、ちゃんとするし、「ならない」という
命令口調をしないとできないことって
本当はやらなくていいこと、なのではないかと思う
母親との会話は長くなると
不景気な話一色になるので、今回の決めつけについては
「それは、私にはわかんないことだからどうでもいい」と
切り替えして
別の話題に変えて、また連絡するということにしておいた
これまで何も思わなかったことに
いろいろ気付くことができて
今の私はラッキーだ
本当にありがとう、すべて!!
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