2015年12月21日
公園のサクラネコ
なんだか「動物日記」でなくなってるという、ご指摘がありましたので、
初心に戻って動物の記事をアップします。
日曜日に天気が良かったので黒鳥山公園へ行ってきました。この公園は、
信太山駐屯地に隣接していて、昔は信太山陸軍の練兵場だったそうです。
ここの竹やぶには、野良ネコが住みついていて、公園を訪れる人々に愛嬌を
ふりまいています。 写真をよく見ると、ネコがいます。
ハイここです(^−^)
小さなネコから大きなネコまで、確認できただけで5〜6匹ほどでしょうか。
大きいネコは人慣れしていて、ほらこの通り(^−^)近寄っても逃げません。
よく見ると、去勢、避妊された「サクラネコ」です。
そばにエサの容器や飲み水が置いてあるので、恐らく、どなたか世話をされて
います。
常にこれだけエサがあったら、持ってきたエサに見向きもしないはずですね。
大人のネコたちは人慣れしているので、ゴロゴロ喉を鳴らして寄ってきて、じゃれ
ついてきます。とてもかわいいネコたちです。
ここの公園は、周囲が大きな森になっていて、自衛隊の演習場がある信太山へと
続いているので、文句を言う人もなく、ネコたちには安住の地ですね。
ここ、黒鳥山公園には、明治天皇が黒鳥山から陸軍大演習を観覧されたことを記念する
「天皇駐蹕碑(てんのうちゅうひつひ)」や、陸軍墓地である「信太山忠霊塔」
海軍内で反戦運動をした黒鳥町出身の水兵の「阪口喜一郎顕彰碑」があります。
改めて、戦争で失われた尊い命の多さを実感します。
慰霊碑であるにも関わらず、周囲にはゴミとエアガンの弾丸が散乱していました。
それもプラスチック製の土に還らないものです。 なんでこんな場所でエアガンを持って
遊ぶのか? 理解できませんね。
それも、子供が遊んでばらまいた量ではありません。 あまりに戦没者の霊に失礼だと思ったので、
娘と一緒に慰霊碑に手を合わせた後、少しだけゴミ拾いをさせて頂きました。
信太山忠霊塔は、昭和17(1942)年に完成したもので、明治維新以降の各戦役、
支那事変等の国難に殉じた野砲兵第四聯隊関係者が祭祀され、大東亜戰争停戦
までに279柱が合祀されています。
昭和27(1952)年以降は、太平洋戦争における、地元出身の陸海軍の英霊と合わせ
1,564柱が合祀されているそうです。
現在、信太山陸軍墓地は黒鳥山公園の一部となり、特に入口部分は公園入口に
造成されて大きく改変され、遺構としては頂上の忠霊塔と階段下の2基の灯籠
だけが残っています。
この天皇駐蹕碑は、明治31(1898)年11月16日、第四回陸軍特別大演習が河内
平野において実施され際、明治天皇が黒鳥山に駐蹕され護統監されたのを記念し、
明治34(1901)年に建立されたそうです。
現在は、土台も崩れ始めていて、心ない人達が捨てて行ったゴミが散乱している
始末です。 ここも少しだけ清掃させて頂きました。
初心に戻って動物の記事をアップします。
日曜日に天気が良かったので黒鳥山公園へ行ってきました。この公園は、
信太山駐屯地に隣接していて、昔は信太山陸軍の練兵場だったそうです。
ここの竹やぶには、野良ネコが住みついていて、公園を訪れる人々に愛嬌を
ふりまいています。 写真をよく見ると、ネコがいます。
ハイここです(^−^)
小さなネコから大きなネコまで、確認できただけで5〜6匹ほどでしょうか。
大きいネコは人慣れしていて、ほらこの通り(^−^)近寄っても逃げません。
よく見ると、去勢、避妊された「サクラネコ」です。
そばにエサの容器や飲み水が置いてあるので、恐らく、どなたか世話をされて
います。
常にこれだけエサがあったら、持ってきたエサに見向きもしないはずですね。
大人のネコたちは人慣れしているので、ゴロゴロ喉を鳴らして寄ってきて、じゃれ
ついてきます。とてもかわいいネコたちです。
ここの公園は、周囲が大きな森になっていて、自衛隊の演習場がある信太山へと
続いているので、文句を言う人もなく、ネコたちには安住の地ですね。
ここ、黒鳥山公園には、明治天皇が黒鳥山から陸軍大演習を観覧されたことを記念する
「天皇駐蹕碑(てんのうちゅうひつひ)」や、陸軍墓地である「信太山忠霊塔」
海軍内で反戦運動をした黒鳥町出身の水兵の「阪口喜一郎顕彰碑」があります。
改めて、戦争で失われた尊い命の多さを実感します。
慰霊碑であるにも関わらず、周囲にはゴミとエアガンの弾丸が散乱していました。
それもプラスチック製の土に還らないものです。 なんでこんな場所でエアガンを持って
遊ぶのか? 理解できませんね。
それも、子供が遊んでばらまいた量ではありません。 あまりに戦没者の霊に失礼だと思ったので、
娘と一緒に慰霊碑に手を合わせた後、少しだけゴミ拾いをさせて頂きました。
信太山忠霊塔は、昭和17(1942)年に完成したもので、明治維新以降の各戦役、
支那事変等の国難に殉じた野砲兵第四聯隊関係者が祭祀され、大東亜戰争停戦
までに279柱が合祀されています。
昭和27(1952)年以降は、太平洋戦争における、地元出身の陸海軍の英霊と合わせ
1,564柱が合祀されているそうです。
現在、信太山陸軍墓地は黒鳥山公園の一部となり、特に入口部分は公園入口に
造成されて大きく改変され、遺構としては頂上の忠霊塔と階段下の2基の灯籠
だけが残っています。
この天皇駐蹕碑は、明治31(1898)年11月16日、第四回陸軍特別大演習が河内
平野において実施され際、明治天皇が黒鳥山に駐蹕され護統監されたのを記念し、
明治34(1901)年に建立されたそうです。
現在は、土台も崩れ始めていて、心ない人達が捨てて行ったゴミが散乱している
始末です。 ここも少しだけ清掃させて頂きました。
この記事へのコメント