建造の背景
大和の建造は、ロンドン海軍軍縮条約の失効後、アメリカやイギリスの新型戦艦に対抗するために始まりました。1937年11月4日に呉海軍工廠で起工され、秘密裏に建造が進められました。
進水式
進水式は1940年8月8日に行われ、「大和」と命名されました。この進水式は極秘に行われ、建造中の大和は厳重な機密保持のもとで進められました。
特徴
大和は全長263メートル、排水量約64,000トンの巨大な戦艦で、46センチ砲を3基9門搭載していました。防御面でも優れており、重要区画には対46センチ砲防御が施されていました。
戦歴
大和は1941年12月16日に就役し、1942年2月12日には連合艦隊の旗艦となりました。ミッドウェー作戦やレイテ沖海戦などに参加し、1945年4月7日に沖縄への出撃中に米軍の空襲を受けて沈没しました。
呉海軍工廠の造船能力
呉海軍工廠は1889年に設立され、1903年に正式に「呉海軍工廠」として発足しました。ここでは戦艦「大和」や「長門」、航空母艦「赤城」など、多くの大型艦艇が建造されました。革新的な技術を採用し、効率的な生産方式を確立しました。
戦後の変遷
戦後、呉海軍工廠は解散されましたが、その土地と設備は民間企業に引き継がれ、現在はジャパンマリンユナイテッド呉事業所として大型民間船舶の建造を行っています。
他の歴史的な造船所
三菱長崎造船所: 1857年設立。日本初の蒸気船「長崎丸」や戦艦「武蔵」を建造。
横須賀造船所: 1865年設立。日本初の鉄製軍艦「富士」や戦艦「三笠」を建造。
川崎重工業神戸造船所: 1878年設立。戦艦「榛名」や「霧島」を建造。
佐世保造船所: 1889年設立。戦艦「山城」や「扶桑」を建造。
これらの造船所は、日本の造船技術の発展に大きく寄与し、現在もその技術は受け継がれています。
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