2020年05月09日
ニイタカヤマノボレ・・・トラトラトラ?これって?
戦史研究のお時間です。
今回は、太平洋戦争の始まりとなる真珠湾攻撃は、果たして言われているように成功
だったのか?それとも・・・と言うお話です。
1941年12月8日、この日は日本にとっては米国への宣戦布告とも言える真珠湾への
奇襲攻撃の日であり、米国にとっては「リメンバー・パール・ハーバー」と言うスローガンで
日本との開戦に踏み切らざるを得なくなった、苦い日として今でも語られる日と言えます。
そして、あまり当の日本ではあまり語られていませんが、マレー作戦も同時に行われた日
となります。真珠湾では米太平洋艦隊、マレー作戦では英軍が相手となります。どちらも
戦術的には大成功と言えますが、私は特に真珠湾攻撃に関しては戦略的には失敗だったの
ではないかと考えています。
なぜならば、第1波攻撃で大破した艦船のほとんどが後にサルベージされ、修理し復帰して
いるからです。また、この時空母は全て外洋に訓練に出ており、一切被害を受けていません。
一番理解に苦しむのが、何故ハワイを攻撃してその後上陸占領しなかったのか?これは、
不思議としか言いようがありません。
私が大本営の作戦参謀であれば、当然陸戦隊を上陸させ占領しハワイを橋頭保として確保する。
これを大前提とするはずです。そうすれば、ハワイに住む日系人は収容所送りになる事も無く
祖国である日本に付いたであろうことは自明の理と思われます。そうなると、俗に言う2世部隊
である、442連隊は出来なかったかもしれません。と言う事は当然彼らが送り込まれた、
ヨーロッパ戦線の戦況にも影響が出てきたのは言う間でもない事で、テキサス大隊は、彼らに
救出されることも無く全滅していたであろうし、その他の442連隊の活躍は無かった事に
なるので、もしかするとドイツはもう少し長く戦争を続けていた可能性も考えられます。
そして、おっとり刀で訓練航海から帰ってきた米空母を撃沈ないし大破させておけば、
ミッドウェイでの大敗も無く、日本は有利な条件で戦争を終結できた可能性はあると考え
られます。そもそも、山本五十六長官は米国との開戦やむなしとしつつも、真珠湾で米太平洋
艦隊を完膚無きまでに叩いておけば、後日有利な条件で講和が可能ではないかと考えて
おられたと思われるからです。しかし、結果的には奇襲が成功したのは第1波のみで
第2波は米軍の強硬な反撃を受けて不十分に終わり尚且つ、空母は一隻も攻撃すらできず
挙句の果てに敵空母の陰におびえて、第2次攻撃も行わず帰投している。南雲中将の
弱腰とも思うが、刺し違えても米太平洋艦隊を完膚なきまでに叩くと言う山本長官の
意思が南雲中将に伝わっていなかったのではないかとも考えられます。
以上の一連の事を考えると、私は真珠湾攻撃は戦術的には成功したが、戦略的には失敗だったと
思わざるを得ないと考えています。もし山本長官の思惑通りに事が進んでいれば、
1942年中には講和が完了し、広島・長崎に原爆が落とされる事も日本の本土が空襲で
焼け野原になる事も無く、未だに朝鮮半島は我が国であり、中国の一部満州国も日本だった
可能性が高いと思われます。まぁその辺は分かりませんけど、独立国家になっているかも
しれませんね。何にしても日本人の軍民併せて200万人以上の犠牲は出なかったことは
明らかでしょう。少なくとも、今後はこのような戦争は無くなってほしものです。
ちなみに、A級戦犯が靖国神社に祀られていることでお隣の国とか、やたらと騒いでいますが、
意味が分かってるんですかね?A級戦犯はその時の敗戦国の指導者とかの事なので、仕方のない
方達なんですよ。誰かが責任を取らなければいけないので・・・。昔から言うでしょ、「勝てば
官軍」なんですよ。それよりも一番ひどいのは、戦時中に人道に外れる行いをしたと言う事で
裁かれるC級戦犯なんです。でも誰も騒ぎませんよね?BC級戦犯についての事はあまり語られ
ません。そこも問題ではないかと思いますけど…
すいません。また脱線してしまいました。m(__)m
さて、明日は何か日本に関するものでも作りましょうかね。・・・・ん!ありました。これです。
大きいので組み立てやすいかと思います。しかし、その分細かい所まで再現してあるかもしれない
ので、蓋を開けてみないと分かりませんね。
では、また。
アレックス
お買い物はこちらからどうぞ↓
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だったのか?それとも・・・と言うお話です。
1941年12月8日、この日は日本にとっては米国への宣戦布告とも言える真珠湾への
奇襲攻撃の日であり、米国にとっては「リメンバー・パール・ハーバー」と言うスローガンで
日本との開戦に踏み切らざるを得なくなった、苦い日として今でも語られる日と言えます。
そして、あまり当の日本ではあまり語られていませんが、マレー作戦も同時に行われた日
となります。真珠湾では米太平洋艦隊、マレー作戦では英軍が相手となります。どちらも
戦術的には大成功と言えますが、私は特に真珠湾攻撃に関しては戦略的には失敗だったの
ではないかと考えています。
なぜならば、第1波攻撃で大破した艦船のほとんどが後にサルベージされ、修理し復帰して
いるからです。また、この時空母は全て外洋に訓練に出ており、一切被害を受けていません。
一番理解に苦しむのが、何故ハワイを攻撃してその後上陸占領しなかったのか?これは、
不思議としか言いようがありません。
私が大本営の作戦参謀であれば、当然陸戦隊を上陸させ占領しハワイを橋頭保として確保する。
これを大前提とするはずです。そうすれば、ハワイに住む日系人は収容所送りになる事も無く
祖国である日本に付いたであろうことは自明の理と思われます。そうなると、俗に言う2世部隊
である、442連隊は出来なかったかもしれません。と言う事は当然彼らが送り込まれた、
ヨーロッパ戦線の戦況にも影響が出てきたのは言う間でもない事で、テキサス大隊は、彼らに
救出されることも無く全滅していたであろうし、その他の442連隊の活躍は無かった事に
なるので、もしかするとドイツはもう少し長く戦争を続けていた可能性も考えられます。
そして、おっとり刀で訓練航海から帰ってきた米空母を撃沈ないし大破させておけば、
ミッドウェイでの大敗も無く、日本は有利な条件で戦争を終結できた可能性はあると考え
られます。そもそも、山本五十六長官は米国との開戦やむなしとしつつも、真珠湾で米太平洋
艦隊を完膚無きまでに叩いておけば、後日有利な条件で講和が可能ではないかと考えて
おられたと思われるからです。しかし、結果的には奇襲が成功したのは第1波のみで
第2波は米軍の強硬な反撃を受けて不十分に終わり尚且つ、空母は一隻も攻撃すらできず
挙句の果てに敵空母の陰におびえて、第2次攻撃も行わず帰投している。南雲中将の
弱腰とも思うが、刺し違えても米太平洋艦隊を完膚なきまでに叩くと言う山本長官の
意思が南雲中将に伝わっていなかったのではないかとも考えられます。
以上の一連の事を考えると、私は真珠湾攻撃は戦術的には成功したが、戦略的には失敗だったと
思わざるを得ないと考えています。もし山本長官の思惑通りに事が進んでいれば、
1942年中には講和が完了し、広島・長崎に原爆が落とされる事も日本の本土が空襲で
焼け野原になる事も無く、未だに朝鮮半島は我が国であり、中国の一部満州国も日本だった
可能性が高いと思われます。まぁその辺は分かりませんけど、独立国家になっているかも
しれませんね。何にしても日本人の軍民併せて200万人以上の犠牲は出なかったことは
明らかでしょう。少なくとも、今後はこのような戦争は無くなってほしものです。
ちなみに、A級戦犯が靖国神社に祀られていることでお隣の国とか、やたらと騒いでいますが、
意味が分かってるんですかね?A級戦犯はその時の敗戦国の指導者とかの事なので、仕方のない
方達なんですよ。誰かが責任を取らなければいけないので・・・。昔から言うでしょ、「勝てば
官軍」なんですよ。それよりも一番ひどいのは、戦時中に人道に外れる行いをしたと言う事で
裁かれるC級戦犯なんです。でも誰も騒ぎませんよね?BC級戦犯についての事はあまり語られ
ません。そこも問題ではないかと思いますけど…
すいません。また脱線してしまいました。m(__)m
さて、明日は何か日本に関するものでも作りましょうかね。・・・・ん!ありました。これです。
大きいので組み立てやすいかと思います。しかし、その分細かい所まで再現してあるかもしれない
ので、蓋を開けてみないと分かりませんね。
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