2012年01月01日
リスニング・パワー (作者 スコット・ペリー) 30日 英語耳 洋画 字幕なし 女優竹下恵子 柴咲コウも バイリンガル 口コミ多 ※あきおの英語の楽しみ方
30日で洋画が字幕なしで観れるようになる
と言われたら
あなたは信じますか?
皆さん、あけましておめでとうございます!山梨のあきおです。
いよいよ新年まで
あと6時間の秒読み態勢に入りました。
いつもの単なる日替わりなのですが
この時だけは
なんか言いようのない緊張感を覚えたりします。(*^?^)
ほんとうに
HAPPY NEW YEAR
にしたいですね、お互い。^^
さて、シリーズ「あきおの英語の楽しみ方」も
早くも9回目になりました。
前回は、実体験も交えて
私自身のヒアリング&スピーキング力の拙さ
についてお話しました。
読む力&書く力は一応はあるんですが
悲しいかな聞く力&話す力が貧困!
これが、私たち日本人の偽らざる現状ではないでしょうか。
でも、お話した私のちょっとした体験のように
案外現場では
ガイコクジンとのコミュニケーション
はとれるものなのです。
相手も人間、こちらも人間。
大丈夫通じます。^^
つまりお互いが日常の生活を共有しておれば
さらにその通じ合いは容易になるということです。
簡単明瞭な真実です。
しかし、ここが問題で
悲しいかな日本国は島国でした。(´;ω;`)
古来より同じ顔をして同じような考えを持つ
同属民族です。
この国では
言葉に悩む必要はなく
自ずから以心伝心とか察し合い
とかいう風に
コミュニケーションが特徴付けられるようになりました。
ですから日本人には
哲学のようなものが
育ちにくかったわけですね。
言葉と哲学は
底流で深く関係しています。
人間は
言葉を使って考えるわけですから。
決して日本人が
言葉について鈍感であったと言うわけではありませんが
大陸に住む民族のような
生きていくのに大きな意味を持つ存在として
言葉を捉えた日本人は恐らくいなかったでしょう。
それが、ここに来て
英語などの外国語を習得しなければならない
という時流になったのですから
日本人にとっては
その必要性は
ほとんどストレスに近いものになった
と言っても過言ではないでしょう。
言葉ですから
それを身につける過程は
生活上のどうしようもない必要性
であったりするのが普通です。
この場合は
当然人は誰でも日常的に言葉を習得していきます。
ですから「言葉は生活」なのです。
しかし、ほとんどの日本人にとって
英語習得は
必要条件の生活手段ではないわけですよね。
そこを敢えて勉強して
英語を身のつけようとするのですから
それは楽しいはずもなく
時には苦痛とストレス以外は
何も感じなくなることも多いわけです。
さてまた長くなりました。
続きは次回にしたいと思います。
今回も私の話しに最後までお付き合いくださり
有難うございました。
では皆さん、
よいお年をお迎えください!
山梨のあきお
と言われたら
あなたは信じますか?
皆さん、あけましておめでとうございます!山梨のあきおです。
いよいよ新年まで
あと6時間の秒読み態勢に入りました。
いつもの単なる日替わりなのですが
この時だけは
なんか言いようのない緊張感を覚えたりします。(*^?^)
ほんとうに
HAPPY NEW YEAR
にしたいですね、お互い。^^
さて、シリーズ「あきおの英語の楽しみ方」も
早くも9回目になりました。
前回は、実体験も交えて
私自身のヒアリング&スピーキング力の拙さ
についてお話しました。
読む力&書く力は一応はあるんですが
悲しいかな聞く力&話す力が貧困!
これが、私たち日本人の偽らざる現状ではないでしょうか。
でも、お話した私のちょっとした体験のように
案外現場では
ガイコクジンとのコミュニケーション
はとれるものなのです。
相手も人間、こちらも人間。
大丈夫通じます。^^
つまりお互いが日常の生活を共有しておれば
さらにその通じ合いは容易になるということです。
簡単明瞭な真実です。
しかし、ここが問題で
悲しいかな日本国は島国でした。(´;ω;`)
古来より同じ顔をして同じような考えを持つ
同属民族です。
この国では
言葉に悩む必要はなく
自ずから以心伝心とか察し合い
とかいう風に
コミュニケーションが特徴付けられるようになりました。
ですから日本人には
哲学のようなものが
育ちにくかったわけですね。
言葉と哲学は
底流で深く関係しています。
人間は
言葉を使って考えるわけですから。
決して日本人が
言葉について鈍感であったと言うわけではありませんが
大陸に住む民族のような
生きていくのに大きな意味を持つ存在として
言葉を捉えた日本人は恐らくいなかったでしょう。
それが、ここに来て
英語などの外国語を習得しなければならない
という時流になったのですから
日本人にとっては
その必要性は
ほとんどストレスに近いものになった
と言っても過言ではないでしょう。
言葉ですから
それを身につける過程は
生活上のどうしようもない必要性
であったりするのが普通です。
この場合は
当然人は誰でも日常的に言葉を習得していきます。
ですから「言葉は生活」なのです。
しかし、ほとんどの日本人にとって
英語習得は
必要条件の生活手段ではないわけですよね。
そこを敢えて勉強して
英語を身のつけようとするのですから
それは楽しいはずもなく
時には苦痛とストレス以外は
何も感じなくなることも多いわけです。
さてまた長くなりました。
続きは次回にしたいと思います。
今回も私の話しに最後までお付き合いくださり
有難うございました。
では皆さん、
よいお年をお迎えください!
山梨のあきお
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