2009年03月15日
『翔儀天使アユミ〜成淫連鎖』 馬原鶴花編 part2
その日の放課後、鶴花は所属している弓道部の弓道場に姿を見せていた。
ここ天童学園は前述の通り学園長の意向でやたらと部活動施設が充実している。
遠的場を持っている高校など、おそらくはここ天童学園ぐらいしかないであろう。
その弓道部で鶴花は部長の役割についていた。ちょうど剣道部の部長をしている龍
華と対になっていると言えるだろう。
そのため、翔儀天使としても弓を使った遠距離攻撃を得意にしており、剣を携えた
龍華とコンビを組んでの攻撃は玉王の手下を幾度となく打ち破ってきたのだ。
鶴花は龍華を信頼し、龍華もまた鶴花を認めて互いに翔儀天使だから、という以上
の繋がりを持っていた。
だから鶴花は、最近の龍華のどことない緊張感の無さに多少の不満を持っていた。
以前は空気すら切り裂きかねないほどの怜悧な雰囲気を纏っていたものだが、この
ごろは心の芯が抜けてしまったかのような呆けた表情をよく見せるようになっている。
「確かに玉王を倒して心の重荷が外れたのはわかるのですが…、それにしてもだら
けすぎですわ…」
稽古着に着替えている際も、鶴花は龍華に対しての不満をぶちぶちと吐き出していた。
鶴花と龍華以外の翔儀天使はいずれも二歳以上年下の中学生である。そのため鶴花
は歩美達への示しをつけるためにも常にある程度の緊張感を持って毎日を過ごし、
よき相談役としての立場を築いてきた。
そんな自分に対し、同じ年長者としての龍華の自覚の無さがどうにも気に入らないのだ。
「まあ…、確かに平和なのはいいことなんですけれどね…」
以前の殺伐とした毎日に比べたら、争いの無い平凡な日常がなんとありがたいこと
なのかという実感が厭が応にもにも感じられる。
そのために気が緩むというのは仕方の無いことだろうか。
ただ、龍華が緩くなってきた時期と学園全体に厭な雰囲気が纏わり付いてきた時期
が微妙に重なっているのが鶴花にとっては少々気になるところだった。
だが、まさか龍華が玉王の手に堕ちているとは想像もしていない鶴花は、単なる偶
然の一致だということで片付けていた。
体も心もあれだけの強さを持っている龍華が闇に堕ちるはずがないという前提を鶴
花は持っていたからだ。
龍華が堕ちたときに見せた意外な弱さと脆さを見ていれば、それが単なる幻想だと
気づいたはずなのだが…
ヒュン タァン!
鶴花が的場に入ってきた時、そこには既に三人ほどの部員が的目掛けて弓を射って
いた。部活動に力を入れている天童学園の生徒だけあって、放たれる矢は的に吸い
込まれるかのように飛んでいっている。
「「「あっ、部長!」」」
鶴花が入ってきたことに気づいた部員達は一斉に手を止めて鶴花に向かい挨拶をし
た。部長であり下級生への面倒見もよくかつ弓の腕も並外れている鶴花は弓道部の
全員から慕われていた。
「ああ、私のことは構いなく。皆さんはそのまま練習を続けていてください」
かといって鶴花は決してそのことで増長することなく、部員達に自分の意向を押し
付けたりもせず各人の自主的な意識を尊重させていた。上に立つ者はそれについて
くる者を導くのが役割であり、ついてくる者を率いるのではないというのが鶴花
の基本論理だからだ。
だから鶴花は自分が来たことでほかの者の練習の手が止まることを良しとせず、自
分のことは放っておいて練習を続けるようにと言い放ったのだ。
「「「わかりましたー!」」」
それを聞いた部員達は一斉に頷いて、再び矢を弓に番えきりきりと弦を引き絞って
いた。鶴花のほうも自分の弓を用意するため弓が入っている袋の口を開こうとしていた。
その時
"ザザザッ!!"
「っ?!」
多数の衣擦れの音が鶴花の耳に入り、ハッと顔を上げた鶴花の目に飛び込んできたものは…
「「「………」」」
自分目掛けて弓を構える、三人の部員達の姿だった。
「えっ……ちょ
"バババッ!!"
鶴花が何が起こったのか確認する間もなく、部員達の手から一斉に矢が放たれた。狙いは勿論鶴花一択。
「きゃっ!!」
鶴花は慌てて身を転がして難を逃れたが、次の瞬間鶴花がいたところに三本の矢が
ドドドンッ!と突き刺さった。綺麗に磨かれた檜の床板に刺さった矢は、全力で放
たれた証であるかのようにビィィンと波打っている。
それは紛れも無く、鶴花の命を狙って放たれた矢であった。
「な、何をするんですかみなさ……?!」
訳も分からず突然射掛けられ、珍しく怒りの感情をあらわにした鶴花だったが、自
分を見る部員達の姿を見てすぐに言葉を失った。
そこにいた部員達は、数秒前までの部員達とは全く違う物体と化していた。
「うふふふ……ぶちょおぉ……」
「くすくす…けらけら…」
「せんぱぁい……せんぱぁ……ぁひゃひゃひゃ……」
薄開きになった口からは意味をなさない単語と渇いた笑い声がぶつぶつと漏れ、鶴
花を見る瞳からは意志の光が失われガラス玉のような鈍い輝きを放っている。
全身を中空から吊るされた糸に操られるかのようにかっくんかっくんと揺り動か
し、鶴花を射るための矢を番えている姿はどうみても人間のものではない。
そしてその姿に鶴花は見覚えがあった。
「……肉人形!なんで…」
肉人形とは、あの玉王が使役する人間の精気と魂を吸い取ることで作り出す外法の
存在だ。ベースになった人間の元の人格は残っておらず、ただ玉王の命令のままに
動く傀儡人形になってしまう。
だが鶴花は、部員が肉人形になってしまったという衝撃より、この場に肉人形がい
るということに激しい衝撃を受けていた。
なぜなら、肉人形がいるということは肉人形を操る玉王もまたこの世にいるという
ことだからだ。
「ひゃはぁ!」
「くっ!」
肉人形の膂力で打ち出された矢が唸りを上げて鶴花に襲い掛かってくる。間一髪鶴
花から外れた矢はそのまま的場の壁にあたり、そのままドゴォンという貫通音と共
に漆喰で出来た壁に大穴が開いてしまった。先ほどとは比べ物にならない破壊力だ。
しかも、そんなライフル弾のような矢が立て続けに鶴花に襲い掛かってきた。肉人
形部員は女性の力では引き絞るのにも相当な力を擁する和弓の弦を事も無げに引
き、間髪いれずに矢を発射してくる。
そのあまりに早い発射間隔は、よく見ると肉人形は舌を異様に伸ばして矢篭から矢
を引き抜いて弓に番えている。これなら弦を絞る両手が開かないぶんより早く矢を
射ることが出来る。人間ではない肉人形ならではの手であるが、射られる鶴花に
とってはたまったものではない。
(どうしましょう!いくら肉人形とは言っても皆さんに危害を加えるわけにはいき
ません…!)
そう、肉人形にされたからといってもう人間に戻れないというわけではない。一つ
の手段としては肉人形に施術した者を倒し、囚われた魂を解放すれば肉人形にされ
た人間を元に戻すことが出来る。何しろ、かつて鶴花自身が玉王の肉人形にされ
たが、歩美が玉王を倒したことで元に戻ったという過去があるのだから。
だがこれは施術したその当人がいないと意味をなさない。そして今問題の当人はど
こにも姿を現していない。
もう一つの手段は、翔儀天使の浄化の力を直接肉人形の中に打って術者の力を消し
てしまうというものだ。これなら多大な力は使うがすぐに肉人形を人間に戻すこと
が出来る。
だが、これを用いるには翔儀天使へと変身しなければならない。そして今、そんな
悠長な時間を肉人形は与えてくれようとはしてくれない。
となると、ここは逃げるしかない。鶴花は凄まじい弾幕を何とかかわしきり、的場
の外へと逃げ出すことが出来た。とはいえ、このまま肉人形部員を放っておくわけ
にもいかない。
(い、いそいで翔儀天使になりませんと…)
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