アフィリエイト広告を利用しています

2022年10月08日

源頼朝公 落馬地<神奈川県藤沢市>

頼朝の死因の原因となった落馬の地。
将軍源頼朝公、稲毛重成の亡妻元子、追善供養のため造らるる、相模川橋の法要供養に臨席の、頼朝公が鎌倉の館へ帰途、 八的ヶ原に差しかかりし時、突然落馬する難に遭遇する。
落馬地は京・鎌倉往還(三浦藤沢信用金庫辻堂支店駐車場前)「保暦間記」に「建久九年の冬、右大将(頼朝)殿 相模川の橋供養に出で、還らせ給ひけるに、八的ヶ原という所にて、滅ぼされし、源氏・義広、義経、行家己下の人々の怨霊現じて、将軍の目を見合せり」と記され、八的ヶ原とは辻堂の地を指している。
源平物語り関係の書物には、将軍頼朝公は怨霊が目に現じて、落馬したと記述されているが果たして真相は
今を去るこの地にて頼朝公は落馬し、意識喪失し急遽鎌倉の館に護送された。
その後も昏睡状態が続き、 1月10日頃には一時回復し、京都の九条兼実宛「今年必ズ、シズカニノボリ他ノ事沙汰セント思ヒタリケリ、万一事存ノ外ニ候」と書状を認めた後に再発し、
住宅が立ち並び、正面は集合住宅の出入り口。

https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yoritomo_rakubanoti/






この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11624928
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
ファン
検索
<< 2024年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール