駐車場はありません。
大正12年9月1日の関東大震災と翌年1月の余震によって、水田に橋杭が出現した全国的にもまれな遺跡だそうです。
この付近は鎌倉時代に「大庭景能」が懐島郷を領していた場所なので、「鶴峯八幡宮」とか「神明大神宮」を一緒に見ると良いと思います。
さらに面白いのが、当時、歴史学者の沼田頼輔によって、鎌倉時代の建久9年に源頼朝の重臣「稲毛三郎重成」が亡き妻の供養のために架けた橋の橋脚と考証されたこと。
これによって、大正15年に国の史跡に指定されました。
頼朝はこの橋の落成供養の帰りに落馬で亡くなりました
その時に、この橋をどうするかという話に当然なるわけですが、当時は神様とか祈禱とかを信じる時代、この橋を作った時に頼朝公が亡くなったから縁起が悪いということで、壊れたままで良いのでは?
その中で源実朝は、壊れたままだと民衆が船で渡らないと行けなくなる。
実朝は、縁起より実利を重んじた、立派なリーダーだったと言うことが分かるエピソードです。
源頼朝の墓は、鎌倉市西御門にあります。
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