目的は藩主三宅康友の子、友信の生母お銀さまの消息を尋ねることと、大山詣で賑わう厚木の様子を見聞するためでした。
弟子の高木梧庵をともない厚木に訪れたのは崋山39歳のときです。
旧国道246号線にあたる矢倉沢往還をとおり、所期の目的であるお銀様の消息を綾瀬にたずね、相模川を渡しでわたり22日の夕刻、厚木村天王町の万年屋に宿を取りました。
原本は大正に起きた大震災によって焼けてしまい、現在は稀書複製会本によってのみ見ることができます
https://www.city.atsugi.kanagawa.jp/soshiki/bunkazaihogoka/15/4/858.html
デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932167