その子武綱(たけつな)は後三年の役(1083〜1084)で源義家(みなもとのよしいえ)方の先陣を務め、軍功をたてている。
重綱以後、山麓部より平野部に進出し、のちに鎌倉幕府の下で活躍する武蔵武士の畠山(はたけやま)、河越(かわごえ)、高山、江戸、小山田(おやまだ)、稲毛(いなげ)などの諸氏に分かれた。
桓武平氏の一流平良文の孫将常が武蔵権守としてこの地に定着して以来秩父氏を称した。
代々武蔵国の国衙の在庁官人となり,とくに牧の経営を意欲的にすすめてその勢力を拡大。
将常の子武基は秩父牧別当を称し,その子武綱は源義家に従って後三年の役を戦っているが,武綱の子重綱以後は,武蔵国留守所総検校職を世襲して国内随一の強大な武士団を形成した。
一族は武蔵国各地に分散し,開発領主となってそれぞれ一家を興している。
古伝神事に川瀬祭があり,12月3日の例大祭は秩父夜祭として有名。
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