2017年03月23日
街中を歩く(3)
新京極通りについて少し書きましたが、地元では「京極が栄えると寺町が廃れ、寺町が栄えると京極が廃れるという謂れがあります。
寺町はもともと豊臣秀吉が天正年間に整備した通りですが、大正時代に河原町通りが拡張されるとメインストリートの座こそ河原町にゆずったものの、御池通りから四条通の間はアーケード街として整備されています。
昭和30〜40年代は「紳士服の街」として知られ個人経営の洋服店が軒を連ねていました。今では若者向きの最先端のフアッション街として栄えているのもその名残かもしれませんね。
前回、「新京極は映画の街」と書きましたが、厳密に言うと「興行の街」であり、現在の姿からは想像もできませんが映画館の前身はほとんどが芝居小屋や寄席だったそうです。
また地元では「京極」といえば繁華街の代名詞であり、京都市内には他には「松原京極」「西陣京極」「山科京極」などの名前がついた商店街があるのは、全国に無数にある「〜銀座」に対抗した京都人のプライドの高さを象徴しているような気がします。(例外的に「山科銀座」という商店街?もあるそうですが、私は行ったことがありません。)
なお、寺町通りも三条〜四条間は「寺町京極商店街」という名称になっています。
これらの名前を見るたびに京都人の、「京極」というネーミングに対する愛着の深さを感じさせずにはいられません。
(続く)
寺町はもともと豊臣秀吉が天正年間に整備した通りですが、大正時代に河原町通りが拡張されるとメインストリートの座こそ河原町にゆずったものの、御池通りから四条通の間はアーケード街として整備されています。
昭和30〜40年代は「紳士服の街」として知られ個人経営の洋服店が軒を連ねていました。今では若者向きの最先端のフアッション街として栄えているのもその名残かもしれませんね。
前回、「新京極は映画の街」と書きましたが、厳密に言うと「興行の街」であり、現在の姿からは想像もできませんが映画館の前身はほとんどが芝居小屋や寄席だったそうです。
また地元では「京極」といえば繁華街の代名詞であり、京都市内には他には「松原京極」「西陣京極」「山科京極」などの名前がついた商店街があるのは、全国に無数にある「〜銀座」に対抗した京都人のプライドの高さを象徴しているような気がします。(例外的に「山科銀座」という商店街?もあるそうですが、私は行ったことがありません。)
なお、寺町通りも三条〜四条間は「寺町京極商店街」という名称になっています。
これらの名前を見るたびに京都人の、「京極」というネーミングに対する愛着の深さを感じさせずにはいられません。
(続く)
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