2019年07月16日
映画「影の軍隊」レジスタンスの活動家たちの悲劇
「影の軍隊」(L' ARMEE DES OMBRES)
1969年 フランス
脚本・監督ジャン=ピエール・メルヴィル
原作ジョゼフ・ケッセル
撮影ピエール・ロム
音楽エリック・ド・マルサン
美術テオバール・ムーリッス
〈キャスト〉
リノ・ヴァンチュラ シモーヌ・シニョレ
ジャン=ピエール・カッセル
巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督によるドイツ占領下でのフランス、レジスタンスに身を投じた活動家たちの悲劇を、明るさを排した重厚な映像美の中に徹底したリアリズムで描き切った傑作。
1942年10月20日。
一人の男がジープに乗せられ、収容所に連れられてきます。
男の名前はフィリップ・ジェルビエ(リノ・ヴァンチュラ)、土木技師。
収容所に入れられたジェルビエは、同じ部屋に収容されている数人の男、そして収容所に入れられている人間たちの国籍を冷静に観察していきます。
ある夜、ジェルビエは同じ部屋の若者から脱走の話を持ちかけられますが、計画を実行に移す間もなくパリのゲシュタポ本部へと身柄を移されたジェルビエは、隣に座っている男に、ここから逃げるよう勧め、ドイツ兵の注意が男に集中した隙を狙って逃走します。
ジェルビエという男の冷徹な非情さが表現されたここまでの描写は、ほとんど何の説明もないまま淡々と進行していきます。
パリの凱旋門の前をドイツ兵が行進するシーンで始まるこの映画は、パリはすでに陥落し、フランスはドイツの占領下に置かれていることが判るだけで、ジェルビエの行動が何を意味しているのかは判然としません。
ぬかるんだ田舎道。寒々とした収容所。静かなパリの夜を逃走するジェルビエの靴音。沈鬱な男たちの表情。ユトリロの絵画を見るような風景描写。
ムダなセリフを省き、男たちの行動だけですべてを語らせるジャン=ピエール・メルヴィルの美学は、退廃的ともいえる雰囲気の中で動き出していきます。
逃走に成功したジェルビエはマルセイユに向かい、仲間と接触してひとりの若者ドゥナ(アラン・リボール)をアパートの一室に連れ込みます。
ジェルビエと仲間のフェリックス(ポール・クローシェ)、ル・ビゾン(クリスチャン・バルビエール)、ル・マスク(クロード・マン)は、ドゥナを椅子に座らせ、ジェルビエを密告した罪により処刑をしようとします。
最初はピストルで殺そうとしますが、隣室との壁が薄く、音が聞こえるといけないというので、絞殺に切りかえて行われます。
かなり陰惨なこのシーンも、ジェルビエたちの組織の背景がよく分からないので、事情が呑み込めないままメルヴィルの世界に入ってゆくのですが、やがてそれはドラマが進行するにつれて明らかになっていきます。
ドイツ占領下のフランス、といってもフランス全土が反ナチスだったわけではなく、当然ながら親ナチスも存在したわけで、そのあたりはルイ・マル監督の秀作「ルシアンの青春」(1973年)でもフランス社会の複雑な陰影が描かれています。
当時のフランス政府は“ヴィシー政権”。
フランスの首都パリから列車で4時間ほどの中部アリエ県の町ヴィシーに臨時政府を置いたことからそう呼ばれました。
ヴィシー政権を主導したのは第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥。
ペタンは、フランスの主権存続のためにドイツ・イタリアと休戦協定を結び、ドイツとの友好関係を築こうとします。
一方、49歳の若さで少将となった国防次官のシャルル・ド・ゴールはドイツとの徹底抗戦を主張。
ド・ゴールはロンドンへ逃れ、イギリスの協力を得るためにウィンストン・チャーチルとの交渉を始め、フランス全土にドイツに対する抵抗運動(レジスタンス)を呼びかけます。
フランス国内ではドイツ軍が駐留し、ヒトラーとの友好関係を結ぼうとするヴィシー政権はレジスタンスの取り締まりを強化。
ジェルビエたちはそのような内政状況の中で地下へ潜り、息をひそめるようにして活動をしていることになります。
しかも、レジスタンスといっても一枚岩ではなく、右派もいれば左派もいるといった、身内の内部対立を抱えた組織であったことがうかがえます。
映画「影の軍隊」では、密告した仲間を処刑したり、ドイツ軍に捕まって拷問を受けたり、仲間同士の暗殺があったりと、表面には出にくい組織の内情が描かれていきます。
「大列車作戦」(1964年)のバート・ランカスターのように機関銃を撃ちまくって暴れ回るわけでもなく、「情婦マノン」(1949年)のミシェル・オークレールのように恋人と一緒に国外へ逃亡するわけでもありません。
裏切りと密告、拷問と死が日常となっている彼ら(レジタンスの活動家)にとって、信頼できる仲間の存在は絶対であり、仲間が死の危険に陥ったときには命がけで救おうとします。
そのひとつを象徴するエピソードがジェルビエの逮捕です。
ゲシュタポに逮捕され、銃殺寸前の瞬間に煙幕が立ち込め、隙を狙って建物から下りてきたロープにジェルビエはつかまります。
さらに、そこからジェルビエを引き上げる手が伸び、その手に必死につかまるジェルビエ。
手と手のクローズアップは「影の軍隊」の全編を通して最も象徴的であり、感動的です。
ジェルビエ救出作戦を指導したのはパリに住む女性活動家マチルド(シモーヌ・シニョレ)。
尊敬と信頼関係で結ばれるジェルビエとマチルドは中年男女の大人の恋を思わせる雰囲気を醸し出しますが、そのマチルドが逮捕されてしまったとき、ジェルビエは冷然とマチルドを殺すことを仲間に命じます。
マチルドの娘の身元をゲシュタポに握られ、娘への愛情からマチルドが仲間を密告することをジェルビエは恐れたからなのですが、感情の入り込む余地のない鉄の規律を絶対とする組織の非情さ、その非情さがなければレジスタンスを戦い抜くことが難しい、ナチス支配下の極度に緊張した社会情勢が伝わってきます。
その後、マチルドは路上で射殺され、グループのボスであったリュック・ジャルディ(ポール・ムーリス)を始め、ジェルビエと仲間たちすべては逮捕や処刑によって命を落とすことが映画のラストで示されます。
やり切れなさの残るラストですが、同時に、暗黒の時代を命を懸けて走り続けた活動家たちの切なさが胸に迫るラストでもあります。
監督はジャン=ピエール・メルヴィル。
前作「サムライ」(1967年)では人気絶頂のアラン・ドロンを起用。
ドロンはそれまでの甘さをそぎ落とし、暗黒街に生きる孤独な殺し屋を好演して映画は大ヒット。
メルヴィルはフィルムノワールの代表的監督として日本でもよく知られるようになりました。
主役のジェルビエに「死刑台のエレベーター」(1958年)、「モンパルナスの灯」(1958年)の名優リノ・ヴァンチュラ。
パリの女性活動家マチルドに「嘆きのテレーズ」(1952年)、「悪魔のような女」(1955年)の名女優シモーヌ・シニョレ。
パリのゲシュタポ本部を逃走したジェルビエが逃げ込んだ理髪店の店主に、「山猫」(1963年)、「冒険者たち」(1967年)で味わいのある演技を見せたセルジュ・レジアニが特別出演。
ポール・ムーリス、ポール・クローシェなど、フランス映画界に欠かせない名脇役たちが顔をそろえたフィルムノワールの傑作です。
1969年 フランス
脚本・監督ジャン=ピエール・メルヴィル
原作ジョゼフ・ケッセル
撮影ピエール・ロム
音楽エリック・ド・マルサン
美術テオバール・ムーリッス
〈キャスト〉
リノ・ヴァンチュラ シモーヌ・シニョレ
ジャン=ピエール・カッセル
巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督によるドイツ占領下でのフランス、レジスタンスに身を投じた活動家たちの悲劇を、明るさを排した重厚な映像美の中に徹底したリアリズムで描き切った傑作。
1942年10月20日。
一人の男がジープに乗せられ、収容所に連れられてきます。
男の名前はフィリップ・ジェルビエ(リノ・ヴァンチュラ)、土木技師。
収容所に入れられたジェルビエは、同じ部屋に収容されている数人の男、そして収容所に入れられている人間たちの国籍を冷静に観察していきます。
ある夜、ジェルビエは同じ部屋の若者から脱走の話を持ちかけられますが、計画を実行に移す間もなくパリのゲシュタポ本部へと身柄を移されたジェルビエは、隣に座っている男に、ここから逃げるよう勧め、ドイツ兵の注意が男に集中した隙を狙って逃走します。
ジェルビエという男の冷徹な非情さが表現されたここまでの描写は、ほとんど何の説明もないまま淡々と進行していきます。
パリの凱旋門の前をドイツ兵が行進するシーンで始まるこの映画は、パリはすでに陥落し、フランスはドイツの占領下に置かれていることが判るだけで、ジェルビエの行動が何を意味しているのかは判然としません。
ぬかるんだ田舎道。寒々とした収容所。静かなパリの夜を逃走するジェルビエの靴音。沈鬱な男たちの表情。ユトリロの絵画を見るような風景描写。
ムダなセリフを省き、男たちの行動だけですべてを語らせるジャン=ピエール・メルヴィルの美学は、退廃的ともいえる雰囲気の中で動き出していきます。
逃走に成功したジェルビエはマルセイユに向かい、仲間と接触してひとりの若者ドゥナ(アラン・リボール)をアパートの一室に連れ込みます。
ジェルビエと仲間のフェリックス(ポール・クローシェ)、ル・ビゾン(クリスチャン・バルビエール)、ル・マスク(クロード・マン)は、ドゥナを椅子に座らせ、ジェルビエを密告した罪により処刑をしようとします。
最初はピストルで殺そうとしますが、隣室との壁が薄く、音が聞こえるといけないというので、絞殺に切りかえて行われます。
かなり陰惨なこのシーンも、ジェルビエたちの組織の背景がよく分からないので、事情が呑み込めないままメルヴィルの世界に入ってゆくのですが、やがてそれはドラマが進行するにつれて明らかになっていきます。
ドイツ占領下のフランス、といってもフランス全土が反ナチスだったわけではなく、当然ながら親ナチスも存在したわけで、そのあたりはルイ・マル監督の秀作「ルシアンの青春」(1973年)でもフランス社会の複雑な陰影が描かれています。
当時のフランス政府は“ヴィシー政権”。
フランスの首都パリから列車で4時間ほどの中部アリエ県の町ヴィシーに臨時政府を置いたことからそう呼ばれました。
ヴィシー政権を主導したのは第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥。
ペタンは、フランスの主権存続のためにドイツ・イタリアと休戦協定を結び、ドイツとの友好関係を築こうとします。
一方、49歳の若さで少将となった国防次官のシャルル・ド・ゴールはドイツとの徹底抗戦を主張。
ド・ゴールはロンドンへ逃れ、イギリスの協力を得るためにウィンストン・チャーチルとの交渉を始め、フランス全土にドイツに対する抵抗運動(レジスタンス)を呼びかけます。
フランス国内ではドイツ軍が駐留し、ヒトラーとの友好関係を結ぼうとするヴィシー政権はレジスタンスの取り締まりを強化。
ジェルビエたちはそのような内政状況の中で地下へ潜り、息をひそめるようにして活動をしていることになります。
しかも、レジスタンスといっても一枚岩ではなく、右派もいれば左派もいるといった、身内の内部対立を抱えた組織であったことがうかがえます。
映画「影の軍隊」では、密告した仲間を処刑したり、ドイツ軍に捕まって拷問を受けたり、仲間同士の暗殺があったりと、表面には出にくい組織の内情が描かれていきます。
「大列車作戦」(1964年)のバート・ランカスターのように機関銃を撃ちまくって暴れ回るわけでもなく、「情婦マノン」(1949年)のミシェル・オークレールのように恋人と一緒に国外へ逃亡するわけでもありません。
裏切りと密告、拷問と死が日常となっている彼ら(レジタンスの活動家)にとって、信頼できる仲間の存在は絶対であり、仲間が死の危険に陥ったときには命がけで救おうとします。
そのひとつを象徴するエピソードがジェルビエの逮捕です。
ゲシュタポに逮捕され、銃殺寸前の瞬間に煙幕が立ち込め、隙を狙って建物から下りてきたロープにジェルビエはつかまります。
さらに、そこからジェルビエを引き上げる手が伸び、その手に必死につかまるジェルビエ。
手と手のクローズアップは「影の軍隊」の全編を通して最も象徴的であり、感動的です。
ジェルビエ救出作戦を指導したのはパリに住む女性活動家マチルド(シモーヌ・シニョレ)。
尊敬と信頼関係で結ばれるジェルビエとマチルドは中年男女の大人の恋を思わせる雰囲気を醸し出しますが、そのマチルドが逮捕されてしまったとき、ジェルビエは冷然とマチルドを殺すことを仲間に命じます。
マチルドの娘の身元をゲシュタポに握られ、娘への愛情からマチルドが仲間を密告することをジェルビエは恐れたからなのですが、感情の入り込む余地のない鉄の規律を絶対とする組織の非情さ、その非情さがなければレジスタンスを戦い抜くことが難しい、ナチス支配下の極度に緊張した社会情勢が伝わってきます。
その後、マチルドは路上で射殺され、グループのボスであったリュック・ジャルディ(ポール・ムーリス)を始め、ジェルビエと仲間たちすべては逮捕や処刑によって命を落とすことが映画のラストで示されます。
やり切れなさの残るラストですが、同時に、暗黒の時代を命を懸けて走り続けた活動家たちの切なさが胸に迫るラストでもあります。
監督はジャン=ピエール・メルヴィル。
前作「サムライ」(1967年)では人気絶頂のアラン・ドロンを起用。
ドロンはそれまでの甘さをそぎ落とし、暗黒街に生きる孤独な殺し屋を好演して映画は大ヒット。
メルヴィルはフィルムノワールの代表的監督として日本でもよく知られるようになりました。
主役のジェルビエに「死刑台のエレベーター」(1958年)、「モンパルナスの灯」(1958年)の名優リノ・ヴァンチュラ。
パリの女性活動家マチルドに「嘆きのテレーズ」(1952年)、「悪魔のような女」(1955年)の名女優シモーヌ・シニョレ。
パリのゲシュタポ本部を逃走したジェルビエが逃げ込んだ理髪店の店主に、「山猫」(1963年)、「冒険者たち」(1967年)で味わいのある演技を見せたセルジュ・レジアニが特別出演。
ポール・ムーリス、ポール・クローシェなど、フランス映画界に欠かせない名脇役たちが顔をそろえたフィルムノワールの傑作です。
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