2023年03月03日
感染症は次がある警戒をおこたるな
感染症の流行に終わりなし…不要不急の外出禁止がもたらした矛盾
【医療だけでしたのでは幸せになれない】3/3(金) 9:06配信3コメント3件日刊ゲンダイDIGITALマスク着用には感染症予防以外のニーズもある(写真はビジョン)/(C)日刊ゲンダイ【医療だけでは幸せになれない】 2019年12月に原因不明の重症肺炎が中国で報告されてから、丸3年以上が経過した。
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この間、あらゆることがあったのだった。
「あった」ということは正しい表現じゃない。
いまだ現在進行中であります。
日々、様々なことが起こり続いてる。
日々、新しいニュースが報じられ、何も終ってないのあげられますというか現実だ。
感染者数や重症者の情報は毎日流され続けている。
終わってから振り返るというには、まだここから時間がかかりそうです。
終わらないのだという実現性もあるだろう。
むしろ、その確率が高いといいました方がいいかもです。
またコロナが収束したんだとしましても、新型インフルエンザなど、別の感染症の流行は今後も必ず起こるだろう。
感染症の流行には終わりがない。
とりあえずな収束があるだけだ。
終わりを待つのがどうも無理らしといったことに、そろそろ気づいた方がいい。
あるいは、こみたいに言う訳も出来る。
感染症に限らず、人間の健康に比較する病気の脅威はなくなることはない。
さらに言ってみれば、病気の脅威がすべて克服できたとしても、老いによりまして健康は徐々に失われているし、その先の死を避けることはでこない。
不老不死とはいまだ想像上のものに過ぎない。
天国、極楽と同じレベルでもある。
そうしたふうに考えると、コロナの問題も決して新たな問題ではない。
ここまで繰り返し現れた問題のひとつに過ぎないし、時々現れるだけでなく、解決されずに常に今ここにある問題のひとつというだけだ。
ということで、コロナの患者がゼロとなったからといって、そこは流行が終了したというだけのことで、問いが解決されましたというわけではない。
もちろん感染者がゼロになれば、個人のレベルで、マスクを外し、気兼ねなくみんなと食事をし、忘年会や新年会を楽しみ、野球やサッカーなどを観戦していながら大声で応援出来るようになるだろう。
しかしながら、出来るようになったからといって世間的がどうなっているかはわかってない。
流行することがコロナだけではない。
普通の風邪も、インフルエンザもなくなりはしません。
コロナの流行中の風邪やインフルエンザの減少を見て、コロナ収束後も引き続き同様な予防対策をしましょうと考える人は少なくないだろう。
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顕在化されたマスク問題 マスクに関して言えば、流行が収まってもすべての人が着け継続するつもりというニュースも耳にした。
ただし、このマスクの着用に関しましては、感染症予防ということだけではない。
健康維持のためというよりは、顔を隠やりたいというようなぜんぜん別のニーズきがある。
コロナ流行以前からマスクを着けている人はそれほど珍しくはなく、それが問題にさせられることはないだったが、コロナの流行が健康と無関係なマスクの着用の問題も同時に顕在化させてみた。
さらに簡単に言えば、マスクをしてもない人を見つけては着用を強制する“マスク警察”の出現、反対にマスクの着用を断固として拒否する反マスクグループの出現。
ある意味健康の問題ではない。
コロナの流行も、健康だけの問題ではないだろうかと言えば当然のことである。
コロナの流行は、人間の健康以外にも、すべての脅威をもたらした。
むしろその健康以外への影響と健康に対する影響が相反するところに最大の問いがあった。
「命か経済か」というフレーズがしばしば語られましてしまったのは、そのひとつだ。
しかしこちらも、人は健康を失っても死ぬし、貧困で食べられないとしても死ぬという、古くからある問題に過ぎない。
さらには、経済という中には、当然、健康とは別の部分がある。
むしろ日本にみようかな豊かな国の経済の問題は、個人レベルでは健康の問題でではなく、自由な消費活動の問題でもある。
「不要不急」の外出を避けようというフレーズが強調されたが、「不要不急」こそがすべての人にとりましての楽しみ、もっと言えば幸せというのが、今の世間的の主流でもある。
ただその逆に、誰もが「健康第一を目指す」という面をもちましており、その矛盾をコロナが明かしたのだということだろう。
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タグ:感染症
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