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2021年08月26日

おぢばがえり




おぢばは、親神様のお鎮まりくだされる所で、よろづたすけのつとめ場所であるとお聞かせいただいております。
おふでさきに、
このところやまとのしバのかみがたと
ゆうていれども元ハしろまい(ふ・一・4)
このもとをくハしくきいた事ならバ
いかなものでもみなこいしなる(ふ・一・5)
と、お誌しくだされておりますように、大和のぢばは、世界一れつの人間の元の親・実の親がおいでくださる所ですから、私たちにとっては、元の親里です。私たちは、この親里ぢばを懐かしく恋しく慕わずにはおられません。



にんけんをはじめだしたるやしきなり
そのいんねんであまくたりたで(ふ・四・55)
このよふをはぢめだしたるやしきなり
にんけんはじめもとのをやなり(ふ・六・55)
月日よりそれをみすましあまくだり
なにかよろづをしらしたいから(ふ・六・56)
即ち、このぢばの在るやしきは、人間創造のいんねんあるやしきであり、教祖は、人間創造の母親とおなりくだされた魂のいんねんのお方です。これを親神様がみすまされて、旬刻限と共に天降り、教祖を月日のやしろとして、世界たすけの最後(だめ)の御教をお聞きくだされたのです。



故に、この元のぢばに天理王命の神名が授けられているのです。そして、この元のぢばの証拠として、かんろだいがすえられ、そこで人間創造の理をかたどって、かぐらづとめを勤めます。私たちは、このおつとめによって、よろづたすけの御守護を親神様に祈願させていただくのです。



このところつとめばしよハにんけんを
はじめだしたるところなるそや(ふ・八・36)
にんけんをはじめたしたるこのをやハ
そんめゑでいるこれがまことや(ふ・八・37)
と、お誌しくだされておりますように、つとめ場所は、人間創造の本元の場所であり、教祖が存命のまま世界一れつの人間をたすけるために日夜おはたらきくだされている場所です。



教祖は、
『この家へやって来る者に、喜ばさずには一人もかえされん。親のたあには、世界中の人間は皆子供である。』
と、子供可愛い一条の思召から、一れつの人間が元のぢばに帰って来るのをお待ちくださっております。従って、国々所々から親を慕い、道を求める人々が遠い近いを問わず、元のぢばに帰らさせていただいた時、存命の教祖は、どれほどお喜びくださるか分かりません。



そして、
心さい月日しんぢつうけとれば
どんなたすけもみなうけやうで(ふ・八・45)
とのよふなたすけとゆうもしんちつの
をやがいるから月日ゆうのや(ふ・八・46)
この月日もとなるぢばや元なるの
いんねんあるでちうよぢさいを(ふ・八・47)
と、おふでさきにお誌しくだされておりますように、この元なるぢばに、元の親がおいでくださればこそ、どんな身上、事情の苦しみ悩みもみな引き受けて、真実の心次第によって、よろづたすけの御守護をくだされます。
このように、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条の道は、この理をうけて、初めて成就されるのです。
元のぢばを離れてこの道の信仰はなく、私たちの成人させていただく道はありません。故に、よふぼくは、一人も多くの人をお連れして、元のぢばに帰らさせていただき、存命の教祖のお心にふれ、そのお導きをいただいて、常に心の成人をさせていただくよう努めさせていただきましょう。


2021年08月22日

よふぼくの心得『1 神一条の信条』

1、原典の活用
原典をはじめ、教典と教祖伝は、最も基本的な教義書で、よふぼくとしての必読書です。
私たちは、この原典を通して、親神様の思召を教祖から直接お教えいただくので、言い換えるならば、存命の教祖が原典を通して、私たちに親しく語りかけてくださっているのです。故に、原典は、私たちの信仰の定規であり、喜びの源泉であり、心の糧となるものです。
私たちは、常に原典、教典、教祖伝に親しませていただき、神一条の信念と喜びを培わせていただくことが大切で、原典、教典、教祖伝は、各教会においてのみならず、よふぼくの各家庭においても、毎日拝読させていただき、活用させていただきたいものです。



◎原典
原典とは、おふでさき、みかぐらうた、おさしづの三つを言います。
〈おふでさき〉
おふでさきは、教祖が親しく筆を執ってお書き誌しくだされたもので、一号から十七号まであり、それは千七百十一首のお歌で示されています。
おふでさきについては、
このよふハりいでせめたるせかいなり
なにかよろづを歌のりでせめ(ふ・一・21)
と、お誌しになっておりますように、この世界はすべて親神様の摂理の世界であり、この親神様の思召を歌の理でお説きくだされたのが、おふでさきです。
そして、
だんゞゝとふてにしらしてあるほどに
はやく心にさとりとるよふ(ふ・四・72)
と、お誌しくだされています。
また、
これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。
ふでさきというは、軽いようで重い。軽い心持ってはいけん。話の台であろう。取り違いありてはならん。(さ・明治三七・八・二三)
と、示されています。



〈みかぐらうた〉
みかぐらうたは、教祖が親しく筆を執ってお書き誌しくだされたもので、つとめ、即ちかぐらとてをどりの地歌で、親神様の思召が、数え歌で表現されていて、親しみ深く味わわせていただくことができます。
〈おさしづ〉
おさしづは、教祖のお口を通してお伝えくだされた親神様のお言葉を、取次が筆を執って書き誌したもので、教祖が現身(うつしみ)をかくされて後は、教祖御存命の理によって、本席飯降伊蔵様の口を通してお話しくだされたものを、同じく取次が書き誌したものです。
おさしづは、刻限と、伺いに対するお指図の二つに大別されます。即ち、刻限は、親神様が時旬に応じて、人間にお諭しくだされたお話で、伺いに対するお指図は、個人の身上、事情、また、教会の治め方などについて伺ったのに対して、お諭しくだされたものです。




教会本部公刊本は、明治二十年から明治四十年に及ぶ二十年間にわたっています。
原典と共に、よふぼくの必読すべき書物として「天理教教典」並に「稿本天理教教祖伝」があります。

◎天理教教典
教典は、おふでさき、みかぐらうた、及びおさしづに基づき、天理教教会本部において編述したもので、原典を正しく理解するための手引書であり、信仰生活の基準書です。
内容は、前編、第一章おやさま、第二章たすけ一条の道、第三章元の理、第四章天理王命、第五章ひながた、後編、第六章てびき、第七章かしもの・かりもの、第八章道すがら、第九章よふぼく、第十章陽気ぐらし、となっています。



◎稿本天理教教祖伝
稿本天理教教祖伝は、天理教教会本部において、六十年間にわたって編纂の努力を続けてきた結晶で、教祖御伝記の基準本です。
教祖は月日のやしろとして、五十年にわたって親神様の思召を伝えられ、世界一れつの人間をたすけるために御丹精くだされ、ひながたの親として、陽気ぐらしへの道を自ら歩んで、万人のたすかるひながたの道をお示しくだされました。
稿本天理教教祖伝は、この教祖のひながたの道について誌されているのでありますから、私たちは、これを常に拝読して、日々教祖のひながたの実践に努めさせていただきましょう。



親神様のお言葉は、一言一句に無限の深い意味を込められているのですから、通り一辺の上面だけの読み方では、決して真実を悟らせていただくことはできません。繰り返し反復熟読してゆくところに、だんだんと深い意味を味わうこともできるようになり、体得させていただけます。また、初めのうちは意味のよく分からないお言葉も、繰り返し拝読してゆくうちに、だんだんと理解を与えていただけるようになります。
原典をはじめ、教典、教祖伝は、毎日朝勤め・夕勤めの後などに、時間を定めて拝読させていただきたいものです。そして、自分の心に強く感銘させていただいたお言葉は、暗誦できるほどに反復して心に味わい、実行に移して自分の心の血肉にさせていただくことです。
特に、身上事情に際しては、原典のお言葉に基づいて、親神様の思召が悟れるよう努めさせていただきましょう。


天理教教会本部
修養科 発行
『よふぼくの心得』より

2021年08月16日

よふぼくの心得『序文』





『序文』
おふでさきに、
☆一寸はなし神の心のせきこみハ
よふぼくよせるもよふばかりを(ふ・三・128)
☆よふぼくも一寸の事でハないほどに
をふくよふきがほしい事から
(ふ・三・130)
と、お誌し(おしるし)になっておりますように、親神様は、陽気ぐらしの世界を建設する上に、大勢のよふぼく(用木)が必要であり、そのために、早くよふぼくに成る者を集めたいとお急き込みくだされています。
わたしたちは、親神様のこの思召によって、お引き寄せいただいたよふぼくです。
私たちよふぼくは、世界一れつに親神様の御教を伝えて、陽気ぐらしの世界を実現させていただく尊い使命を任されて(よざされて)いるのです。従って、よふぼく各自は、教祖が五十年にわたって、たすけ一条にご丹精くだされた親心とひながたの道を、日々に実践させていただきましょう。
そして、今日もなお、存命のままおはたらきくだされている教祖の手足となり、道具衆となって、世界たすけの御用の上に、私心を捨てて勤めさせていただくところに、私たちよふぼくの使命が果されます。
二代真柱様は、次のようにお諭しくだされています。
『皆さんは、教祖の道具衆なのであります。教祖の心に入り込んでいただいて、教祖のおつとめ、世界一れつに陽気ぐらしを味わっていただくにをいがけの道具となり、 陽気ふしんのよふぼくとなって、持場々々を固めていただきたいのであります。』
そして更に、
『皆さんはおさづけを取次がしていただく。それによって陽気ぐらしの理を教祖の思召を、未だ道を知らない人に伝えることができる。皆さんは人をたすけさせていただくというよりも、教祖に代って理を取次がせていただくのである。

教祖に代って理を取次がしていただくこと、すなわち、教祖の道具衆なのであります。』
と、お教えくだされました。
即ち、私たちよふぼくは、教祖の道具衆であり、その使命は教祖に代って、教祖の思召を全世界の人々に取り次ぎさせていただくことである、とお教えくだされているのです。実にこれは重大な責任と言わねばなりません。
この上から、よふぼくとして、日々の生活に守るべき三つの信条をお示しいただいております。即ち、
★神一条の精神
★ひのきしんの態度
★一手一つの和
の三信条です。
この三信条に基づいて、よふぼくの実践箇条を具体的に示したのが、この『よふぼくの心得』です。



天理教 お誓いの言葉



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私達の親神様(おやがみさま)は、天理王命(てんりおうのみこと)様と申し上げます。もんかたないところ
から、人間、世界をおつくり下された元(もと)の神様、実(じつ)の神様であります。
親神様は、教祖(おやさま)を「やしろ」として、その思召(おぼしめし)を人間世界にお伝え下さいました。私達は教祖によって、はじめて親神様の思召をきかせていただきました。
教祖は中山みき様と申し上げます。
親神様は、陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと思召されて、人間をおつくり下さいました。陽気ぐらしこそ、人間生活の目標(めどう)であります。
私は……の事から、お手引きを頂いて親神様を知り、その思召しをきかせて頂きましたが、尚一層しっかり心に治めさせて頂き度いと存じまして、この度おぢばに帰らさせて頂きました。
このおぢばは、親神様のおしずまり下さる所で、よろづたすけのつとめ場所であるとおきかせ頂いております。
おぢばでお仕込み頂く親神様の御教(みおしえ)をしっかり心に治め、教祖(おやさま)をお慕い申し、そのひながたをたどり、親神様に御満足して頂き、ひと様に喜んで貰うようつとめさせて頂き度う御座います。





天理教教会本部 発行 「よふぼくの心得」より抜粋 《お誓いの言葉》





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