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2017年04月12日
民訴法228条4項の二段の推定とは・・・。そ の 1(認定考査・択一民訴)
民訴法228条4項の二段の推定って・・・本当のところ分からないんですけど!
結局どうなっているんですか? この疑問に,私なりに答えさせていただきます。
そ の 1
それでは,お話をはじめさせて頂きます。
「文書は,その成立が真正であることを証明しなければならい(民訴法228条1項)」
ところ,民訴法には
「私文書は,本人又はその代理人の署名又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」(民訴法228条4項)
と規定されています。
この民訴法228条4項を読み替えます。
「私文書は,本人又はその代理人の <その意思に基づく> 署名又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」
と読み替えます。
要するに,「その意思に基づく」を条文の中に,読み込みます。
考えてみてください。いくら自分のハンコの印影が,金銭借用書の連帯保証人欄にあったからといって,人に勝手に押されたハンコで,「はい。そうですか。」といって法的責任をとれますか?
やはり,自分が「よっし。これでいこう!」と思って,自分でハンコを押したから,あるいは人に押して貰ったからこそ,ハンコの責任をとれるのです。
だから,裁判所は「その人の意思に基づく」という文言を条文に読み込んだのです。
では,「その人の意思に基づく」って,どうやって証明したらいいんですか?
「その人の意思に基づく」という証明は,人の内心にかかわることだから難しいですよね。
そこで我が国の社会慣習からくる経験則を利用したのです。
人が普段から,自分一人で所有し,使用管理しているハンコが,借用書にバッチリ押されて印影が顕出されたら,ハンコを大切にする我が国の社会慣習からは,「それはもうその人の意思に基づく押印と考えていいでしょ。」こう世間一般は考える。
そこで,「Yのハンコの印影が借用書にあったら,<Yの意思に基づく>押印を推定してあげましょう。」こう裁判所は考えたわけです。
内心という困難な立証を救済したのが,ハンコを大切にするという我が国の社会慣習からくる経験則に基づく,Yの意思の「事実上の推定」です。
これが,一段目の推定です。
大切なので,もう一度繰り返します。
人が普段から自分一人で所有し,使用管理しているハンコが,借用書にバッチリ押されて印影が顕出されていたら,それはもうその人の意思に基づく押印だろうと世間一般の人が考える。ハンコを大切にする我が国の社会慣習があるからです。
ハンコを大切にする我が国の社会慣習というのは,要するにハンコってむやみやたらと人に預けたりはしないということです。
大切なハンコの印影が借用書にあるのだから,Yの了解の基で押印されたのだろうと,世間一般の人は思うわけです。
この経験則を利用することで,Yのハンコの印影があれば,Yの意思に基づく押印があると裁判所は推定したのです。裁判所風に言うと,「事実上の推定」です。
「人の意思に基づく」という人の内心にかかわる困難な立証を救済する方法が,人のハンコの印影が,契約書上に顕出されていることの立証です。
これが「その人の意思に基づく」って,どうやって証明したらいいの?
に対する答えです。
ただ,ここで話は終わりません。
なぜなら,「その人の意思に基づく」って,言いきられちゃうと,またこれはこれで困ったことが起こるのです。
例えば,「うちの放蕩息子が,勝手にハンコを持って行って,無断で借用書にハンコを押してきやがった。」と,Yが親父であれば一言いいたいことだって,起こるわけです。
「そのハンコは,俺の意思で押されたんじゃないよ。」と,言いたいことだって起こるわけです。
そごて,親父Yの反論を聞いてやらないと,かわいそうですよね。それで,やっぱり親父の意思じゃなかった,放蕩息子が勝手にやったことだという反論の余地を残してあげとくのです。勝手にハンコが使われることも現実の生活ではあるわけですから。
その結果,意思に基づくことも決して「確定」ではなく,あくまで「推定」としたのです。
法律的にいうと反証の余地を残さない「擬制」ではなく,反証によって事実の覆る余地を認める「推定」としたのです。
以上の話をまとめるとこうなります。
親父のハンコの印影が借用書にあると,借用書の押印は,親父の了解,その意思に基づく押印だろうと世間一般の人は「思う」。この経験則により,裁判所は,借用書に親父のハンコの印影があると,これは親父の意思に基づくものだと事実上の推定をする。
そして,この世間一般が「思う」というのが大事で,「思う」という言葉からは「推定」が導かれる。事実の確定を意味する「擬制」ではありません。反証の余地を残す「推定」です。
しかも,「最初」の「思います。」という「推定」だから,「一段目の推定」ということになるのです。
すなわち,「その人の意思に基づく」ことが,「事実上推定」されるのです。
これが一段目の推定です。
ただ,以上の話は,印影に対応するハンコが親父のハンコであることが前提です。親父のハンコじゃなかったら,推定もなにもならないです。親父のハンコって認められたからこそ,話がはじまったのです。
民訴法228条4項の適用をしようかっていう話がはじまったのです。親父のハンコじゃなかったら,民訴法228条4項の適用の前提のところで話がもめることになる。
「私文書は,本人又はその代理人の署名又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」(民訴法228条4項)の「本人又はその代理人の署名又は押印」とは,親父のハンコの印影があるという意味です。
被告に親父のハンコの印影じゃないと否認されたら,まず,親父のハンコの印影であることを,原告で立証しなければならない。でないと,一段目の推定の話に行きつかない。一段目の推定は,印影と親父のハンコが一致していることが前提ですから。
この民訴法228条4項の適用の前提問題でのせめぎ合いが,まさに印影や筆跡の同一性の立証なわけです。
以上が,一段目の推定です。
以 上
次回は,二段目の推定をお話しさせて頂きます。最後までお読みいただきまして,ありがとうございました。
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結局どうなっているんですか? この疑問に,私なりに答えさせていただきます。
そ の 1
それでは,お話をはじめさせて頂きます。
「文書は,その成立が真正であることを証明しなければならい(民訴法228条1項)」
ところ,民訴法には
「私文書は,本人又はその代理人の署名又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」(民訴法228条4項)
と規定されています。
この民訴法228条4項を読み替えます。
「私文書は,本人又はその代理人の <その意思に基づく> 署名又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」
と読み替えます。
要するに,「その意思に基づく」を条文の中に,読み込みます。
考えてみてください。いくら自分のハンコの印影が,金銭借用書の連帯保証人欄にあったからといって,人に勝手に押されたハンコで,「はい。そうですか。」といって法的責任をとれますか?
やはり,自分が「よっし。これでいこう!」と思って,自分でハンコを押したから,あるいは人に押して貰ったからこそ,ハンコの責任をとれるのです。
だから,裁判所は「その人の意思に基づく」という文言を条文に読み込んだのです。
では,「その人の意思に基づく」って,どうやって証明したらいいんですか?
「その人の意思に基づく」という証明は,人の内心にかかわることだから難しいですよね。
そこで我が国の社会慣習からくる経験則を利用したのです。
人が普段から,自分一人で所有し,使用管理しているハンコが,借用書にバッチリ押されて印影が顕出されたら,ハンコを大切にする我が国の社会慣習からは,「それはもうその人の意思に基づく押印と考えていいでしょ。」こう世間一般は考える。
そこで,「Yのハンコの印影が借用書にあったら,<Yの意思に基づく>押印を推定してあげましょう。」こう裁判所は考えたわけです。
内心という困難な立証を救済したのが,ハンコを大切にするという我が国の社会慣習からくる経験則に基づく,Yの意思の「事実上の推定」です。
これが,一段目の推定です。
大切なので,もう一度繰り返します。
人が普段から自分一人で所有し,使用管理しているハンコが,借用書にバッチリ押されて印影が顕出されていたら,それはもうその人の意思に基づく押印だろうと世間一般の人が考える。ハンコを大切にする我が国の社会慣習があるからです。
ハンコを大切にする我が国の社会慣習というのは,要するにハンコってむやみやたらと人に預けたりはしないということです。
大切なハンコの印影が借用書にあるのだから,Yの了解の基で押印されたのだろうと,世間一般の人は思うわけです。
この経験則を利用することで,Yのハンコの印影があれば,Yの意思に基づく押印があると裁判所は推定したのです。裁判所風に言うと,「事実上の推定」です。
「人の意思に基づく」という人の内心にかかわる困難な立証を救済する方法が,人のハンコの印影が,契約書上に顕出されていることの立証です。
これが「その人の意思に基づく」って,どうやって証明したらいいの?
に対する答えです。
ただ,ここで話は終わりません。
なぜなら,「その人の意思に基づく」って,言いきられちゃうと,またこれはこれで困ったことが起こるのです。
例えば,「うちの放蕩息子が,勝手にハンコを持って行って,無断で借用書にハンコを押してきやがった。」と,Yが親父であれば一言いいたいことだって,起こるわけです。
「そのハンコは,俺の意思で押されたんじゃないよ。」と,言いたいことだって起こるわけです。
そごて,親父Yの反論を聞いてやらないと,かわいそうですよね。それで,やっぱり親父の意思じゃなかった,放蕩息子が勝手にやったことだという反論の余地を残してあげとくのです。勝手にハンコが使われることも現実の生活ではあるわけですから。
その結果,意思に基づくことも決して「確定」ではなく,あくまで「推定」としたのです。
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以上の話をまとめるとこうなります。
親父のハンコの印影が借用書にあると,借用書の押印は,親父の了解,その意思に基づく押印だろうと世間一般の人は「思う」。この経験則により,裁判所は,借用書に親父のハンコの印影があると,これは親父の意思に基づくものだと事実上の推定をする。
そして,この世間一般が「思う」というのが大事で,「思う」という言葉からは「推定」が導かれる。事実の確定を意味する「擬制」ではありません。反証の余地を残す「推定」です。
しかも,「最初」の「思います。」という「推定」だから,「一段目の推定」ということになるのです。
すなわち,「その人の意思に基づく」ことが,「事実上推定」されるのです。
これが一段目の推定です。
ただ,以上の話は,印影に対応するハンコが親父のハンコであることが前提です。親父のハンコじゃなかったら,推定もなにもならないです。親父のハンコって認められたからこそ,話がはじまったのです。
民訴法228条4項の適用をしようかっていう話がはじまったのです。親父のハンコじゃなかったら,民訴法228条4項の適用の前提のところで話がもめることになる。
「私文書は,本人又はその代理人の署名又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」(民訴法228条4項)の「本人又はその代理人の署名又は押印」とは,親父のハンコの印影があるという意味です。
被告に親父のハンコの印影じゃないと否認されたら,まず,親父のハンコの印影であることを,原告で立証しなければならない。でないと,一段目の推定の話に行きつかない。一段目の推定は,印影と親父のハンコが一致していることが前提ですから。
この民訴法228条4項の適用の前提問題でのせめぎ合いが,まさに印影や筆跡の同一性の立証なわけです。
以上が,一段目の推定です。
以 上
次回は,二段目の推定をお話しさせて頂きます。最後までお読みいただきまして,ありがとうございました。
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posted by 略して鬼トラ at 00:24
| 簡裁訴訟代理等能力認定考査