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2018年03月08日
2018 春のお彼岸はいつ?
2018年の春の彼岸入りは、3月18日(日曜日)です。
昔から暑さ寒さも彼岸まで、というように。
春光天地に満るこの季節、空も鮮やかな青晴れになり柔らかな風が春の訪れを知らせてくれます。
そんな季節の節目に、お彼岸はやってきます。
彼岸は、元来「彼岸会」という仏教行事でした。
春分と秋分を中日とし、その前後3日を合わせ計7日間に行われる法会で、寺院に参詣し、墓参などの仏事を行います。
お彼岸の初日は「彼岸入り」、春分の日と秋分の日を「彼岸の中日」、7日目の最終日を「彼岸明け」と呼びます。
仏教では私たちのいる世界を「此岸(しがん)」と言い、亡くなった人たちがいる所を「彼岸(ひがん)」と呼びました。
そして、煩悩に満ちたこの世にいながら、仏さまの境涯に到るための六つの修行(六波羅蜜)を行うことによって『彼岸』に至ることができると考えられています。
彼岸は、西の遥か彼方仏の世界をいくつも超えた処に存在し、
亡くなった者がいる世界であり、極楽浄土があるそうです。
彼岸の日、春分と秋分は昼と夜の長さがほとんど同じで、
太陽が真西の方角に沈みます。
そのため、あの世と最も距離が近くなる日と考えられており、先祖供養をするようになったそうです。
お墓参りには欠かせないものが3つあります。
仏教での大事なお供え物が、“香・花・灯燭です。
さらに故人を供養するための浄水と飲食(おんじき)を加えた五供が、お墓参りでの基本のお供え物です。
お供え物用の菓子は、蓮の花などを模した落雁(らくがん)を用いることが多いようです。
価格:1,296円 |
ご先祖さまのお墓がどこにあるかにもよりますが、ご自身の家で管理しているのであれば、掃除道具を持って行って、墓石を綺麗に掃除しましょう。
お寺さまにお任せしているのであれば「お布施」を用意する必要があります。
お参りが済んだ後、お供え物はその場で食べるか持ち帰ることをおすすめします。
春のお彼岸はぼた餅、秋の彼岸はぼた餅
日本において生活に欠かせず馴染み深い小豆。
古来「赤色」には「魔除け」の力があるといわれており、小豆は祝の席や儀式の際にはお赤飯や砂糖をまぜてあんこにして捧げられてきました。
その習慣から、お彼岸ではお餅には「五穀豊穣」を、小豆には「魔除け」の意味を込めてぼたもちやおはぎにし、ご先祖さまへの感謝と家族の健康を願って墓前やお仏壇にお供えするようになったといわれています。
春に咲く花に「牡丹(ぼたん)」、秋に咲く花に「萩(はぎ)」があります。
小豆の粒を、その2つの花に見立てたことから、ぼた餅やおはぎと呼ばれるようになりました。
なお、この行事は日本独自のもので、他の仏教国では行われていません。
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お正月|本来はどんな日なの?
本来の正月は12月から1月下旬までの年越しの行事である
< 目次 >
- お正月の神様って?
- お正月の準備はいつから?
- 大晦日・除夜の鐘について
- 本体の年男の意味とは
元来、正月には各自の家に祖先神が帰って来るという信仰がありました。
祖先神とは先祖さまの集合霊であり、それを正月さま、歳神様(としがみさま)と呼びます。
歳神様は、五穀豊穣・家内安全・家運繁栄を齎らす神様です。
この歳神を迎えて、家を祭場にする準備をするのが御事始めと言われており、
12月13日は、門松やお雑煮を炊くための薪など、お正月に必要な木を山へ取りに行く習慣がありました。
この日は毎年婚礼以外は万事に大吉とされる「鬼宿日」で、
「煤払い」「松迎え」などもこの日に行うのが良しとされています。
煤払いは1年の汚れを払い清めることが目的です。
昔の火種は薪や炭だったので、家に煤がたまってしまうんですね。
門松は帰って来る歳神の依り代(しろ)です。
古来の中国では生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきたことなどもあり、日本でも松をおめでたい樹として飾る習慣がありました。
準備を行う際に、行事の前日などに飾りつけなどをすることは縁起が悪く、
それを「一夜飾り」と言います。
神様をお迎えするにあたって慌ただしく準備をすることが失礼になる事や、葬儀などが一夜飾りであるために忌み嫌われていますので控えた方がよいでしょう。
これは、桃の節句のひな祭りなども同じです。
更に、29日は「二重苦」や「数字の9が苦に通じる」などの語呂から、昔から縁起の良いものとはされていませんので、それらを考慮して準備に取り掛かった方が良いでしょう。
そうすると正月飾りなどの準備は、
12月13日〜12月28日の間までに終えることが望ましいです。
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晦日とは月の最後のことを指します。
そして、大晦日は一年の最後の日として、「大」を冠してそう呼ぶ様になりました。
除夜の鐘は本来、大晦日の夜に行われるものではなく明けの朝に行われるものでしたが、寺で勤行(ごんぎょう)のために朝晩ついていたものが、1年の総決算としての除夜に移行し今に至ります。
除夜の鐘をつくのは108回ということは有名ですよね。
諸説ありますが最も知られている理由は、
仏教において人間には108つの煩悩がある事から、その煩悩の数だけ鐘を撞き煩悩を追い払うとされています。
来年は戌年ですね!
その年の干支にあたる男性を「年男」、女性を「年女」などと呼びますが、
本来の年男は、正月の行事を取り仕切る司祭者である家長(その家の長男やその他が代行することもある)のことを指しました。
年男の役目は、正月準備の飾り付けや掃除、餅つき、お節料理を作ったり、若水をくんだり、年神の供物をととのえたりの一切を行なっておりました。
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2018年03月06日
桜と日本人の歴史
桜ってどんな花?
日本人の文化に深く馴染みのあるサクラ。
薄く淡く、白や桃色に色づいた花びらのグラデーションと、はらはらと風に舞い散る花弁の儚さが人々を魅了してやみません。
日本において、公式に定められた国花は存在しませんが、
『 その国民に最も愛好され、その国の象徴とされる花』として、
国花にされているものは「菊」と「桜」です。
桜は、バラ科モモ亜科スモモ属で、落葉樹の総称。
特徴として、大きな幹に幾つもの枝が伸びており、その短い枝に無数の花がついています。
種類にもよりますが、花びらの色は、白、薄桃色、濃い桃色、薄緑がかった淡い桃色など様々なものがあります。
花弁(花びら)の基本は、一つの花に5枚です。 雄しべが変化して5枚よりも沢山の花弁に成った品種も多くあり、 花弁の多い品種を総じて八重桜(やえざくら)と呼びます。 花弁の多い品種・個体だと一つの花に花弁が300枚くらいもあるそうです。
桜の種類は品種は、山桜が約15種類、品種改良された桜は300種類以上あると言われています。
主に3月〜4月に楽しめる花です。
桜は観賞用として日本に多く植えられていますが、海外ではサクランボが実る木として知られています。
国花として知られている為、日本固有の花かと思われがちですがそうではなく、
桜は世界各国に分布しており、主に北半球の温帯、中でもアジア方面に多くの種類が存在しています。
サクラ全般の花言葉は、「精神美」「優美な女性」「淡白」
西洋では「優れた教育」
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桜は日本最古の歴史書【古事記】に登場している
日本で最初に「桜」の記述が出てくるのが古事記です。
日本神話に木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)と言う女神が登場します。
古事記では、木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)や、単にサクヤビメと呼ばれ、桜の花が咲くように美しい女性という意味があると言われています。
別名は神阿多都比売(カムアタツヒメ)で、阿多の都の姫という意味があり、九州産まれということがわかります。
日本神話に様々な神と共にアマテラス(天照大神)、ツクヨミ(月夜見尊月読命)、スサノオ(建素戔嗚尊速)を成したとして有名な、イザナギ(男神)がいます。
妻はイザナミ(女神)であり、二人の子のアマテラスの孫に、
ニニギノミコト(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)がいます。
そしてその、ニニギノミコトの妻がコノハナサクヤヒメです。
婚姻の際に姉のイワナガヒメ神(石長比売)と共にニニギの元へと嫁いだのですが、
姉はとても不細工な女性だったために、一人だけ家へ返されていしまいました。
二人の姉妹の親にあたる、オオヤマヅミ(大山祗神)はこれに大変怒って、
「私が娘二人を一緒に嫁がせたのはイワナガヒメを妻にすれば、ニニギノミコトの命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤビメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。
コノハナノサクヤビメだけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」
そう告げました。
つまり二人揃ってこその繁栄だったのですが、それに反したわけです。
そんな事から、二人の子孫の寿命は他の神とは違い短くなってしまいました。
※イワナガヒメが、子を宿したコノハナノサクヤビメを呪ったと言う説など諸説あります。
その後も色々とあった二人ですが、
二人の間にホデリノミコト(火照命)・ホスセリノミコト(火闌降命)、ホオリノミコト(火遠理命)が生まれます。
この三男のホオリノミコトは、
別名:天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ(たか)ひこほほでみのみこと)と言い、神武天皇の祖父とされています。
▲浅間神社▲
コノハナサクヤヒメは、富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られています。
コノハナノサクヤビメは火中出産の説話から火の神とされることもあるが、
浅間大社の社伝では水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られている。
また、この説話から妻の守護神、安産の神、子育ての神ともされており、社ではコノハナノサクヤビメにちなんで桜の木をご神木としている。
子を産んだ際に甘酒である天舐酒(アマノタムケザケ)を造ったことから、酒解子神(サケトケノコカミ)とも呼び、酒造の神とされることもあります。
奈良時代の「桜」はとても神聖なもの
当時、お花見で人気のものといえば「梅の花」が主流でした。
そして、コノハナノサクヤビメが富士で祀られているように、「桜」は神聖なものと考えられ大切な存在として人々に祭られていたのです。
「サクラ」の名前の由来といわれる説から、その事がわかります。
「サ」は田の神様、「クラ」は神様の座る場所を意味があるといわれている事から、
つまり、「サクラ」は『花が咲くと共に山から神様が下りてくる、その証』と考えられており、
神様を迎えるために人々が食物や酒をお供えしてお祝いしていました。
そして、花が咲く時期は田植えの時期に最適な事から、豊作などの祭りもあり、「桜」は神が宿る神聖な木として、人々に祭られてきたのです。