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2017年10月15日

金融街といえば伏見銀座、京都銀座、両替町

金融の町でもあった京都。
だから、伏見銀座、京都銀座、両替町といううものがあるのです。
Yahoo!より、
信長、天下統一への戦いを支えた新金融システム
10/15(日) 9:10配信 日経BizGate
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171015-00010000-nkbizgate-bus_all&p=3
記事より、
高木久史・安田女子大准教授が「近世的な貨幣統合の政策的端緒」と評価する「織田信長永禄十二年法」だ。
1569年に信長が京都を中心に畿内で施行した通貨法令の骨子は(1)多種類が混在していた銭貨を基準銭と減価銭に区分して比価を明確に規定する(2)金銀を通貨として用い高額商品の取引に利用する(3)米の通貨としての利用を禁止する――だった。
金、銀の通貨価値は金1両=銀7.5両=銭1.5貫と定められた。15世紀までの金属通貨は銭貨(主に青銅銭)だけだった。本多教授は「生糸や薬、茶わんなどの輸入品など高額商品に金銀を使用することを信長が中央政権として初めて認めた」と指摘する。・・・
永禄年間の終わりから元亀年間、さらに天正期前半を本多教授は「京都で金・銀の流通が飛躍的に拡大した時期で、信長が多くの敵対勢力に苦しめられながら克服し、京都支配を確立していく時期と重なる」という。朝廷への上納、諸大名への贈与、人々への下賜などに金・銀は利用された。・・・
1582年の「本能寺の変」後、羽柴秀吉は明智光秀を破ったすぐ後に、信長の政策を踏襲する通貨法令を京都、堺、大阪で施行した・・・
という歴史がある。
長く首都であった京都には今にも繋がる金融の原点がある。
古い町並み、銀座跡や金座跡が見られるのも京都ならでは。
金融という観点から京都を歩いてみるのもまた、一つの歴史の再確認となるように思います。

参考)京都観光ナビより、
・伏見銀座跡
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=6000048
・両替町通
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=3000108
・金座跡
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/area/gyouseiku/naka_text.html

京都観光にはいい季節になりました。
posted by kyotonews at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都
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