「うふっ、うふふふ〜〜〜〜!」
琴を掴むクラスメートの肌の色は毒々しい紫色に染まり、自我が感じられない顔には果てしない淫欲を求める笑みが張り付いている。
腕の関節は変な方向に曲がっており、体中からぽき、ぱきといった乾いた音が鳴っていた。
「な……肉人形?!」
あの玉王が使う人間をベースにした肉の傀儡である肉人形に成り果てていた同級生に、琴は息を呑んだ。
「なんで…あなたが肉人形に………はっ!」
肩をつかまれたことと突然目の前に現れた肉人形に気を取られてしまった琴だったが、自分の周りを囲む異様な気配に気づいて周りを見渡すと、そこには琴の想像を越える光景が展開されていた。
「うふふ……」
「くひっ、くひひ……」
「おかす……おかぁすぅ……」
なんと、クラス中の生徒全員が肉人形化して琴を取り囲んでいるではないか。もちろん、言い出しっぺの教師も立派な肉人形になって長い舌をべろんべろんと垂らしながら琴に迫ってきている。
「な、なんでみなさん……どうして、みんな肉人形に……」
突然の事態に琴は翔儀天使に変身することも忘れ、呆然と自分に迫る肉人形を見つめていた。
(肉人形は、玉王が使うもの……、で、では玉王は生きているのですか?!
そんな、玉王は確かに倒されたはずです。歩美さんの、手によって……)
ビチャッ……ズルズル……
「…ハッ!」
逃げることも進むことも出来ず固まっていた琴は、周りで聞こえる粘ついた粘液の滴る音に我に帰った。
「おかすぅ、おかすぅぅ……」
「エヘヘ…キヘヘヘ……」
いつの間にか、琴の周りには教室中の肉人形がにじり寄ってきていた。
「い、いけません!」
はっきり言って、ここまで寄られてしまっては変身する時間的余裕もありはしない。琴は自分の剣呑さを後悔しながらもすぐさまこの魔窟と化した教室ら脱出しようと廊下へと走り出そうとした。
が、廊下への扉はすでに肉人形生徒たちによって塞がれていてとても通れそうにない。
「…っ!」
琴は慌てて窓のほうへと振り向いた。この教室は二階だが、飛び降りれないこともない。
しかし、窓側もすでに肉人形による肉壁が出来ていて飛び降りることはおろか窓を破ることすらまず不可能だ。
自業自得ではあるのだが、ちょっとの間逡巡していた時間により、琴の退路は完全に断たれてしまっていた。
「へっへっへ〜〜〜きぃんさぁ〜〜〜ん!」
男子生徒…だった肉人形が関節が幾節も増えたような腕をぞろりと伸ばし、琴の腕に掴みかかってきた。
琴も何とか避けようとしたが、周り中に肉人形がいるので殆どからだの自由が利かず、あっさりと腕を掴まれてしまう。
「キャアッ!」
粘液が滴り異常に熱もっている掌のおぞましい感触に、琴は背筋を震わせてしまった。
「「「「キャハハハハ――ッ!!」」」」」
その腕を皮切りに、琴の四方から舌やら腕やら触手やらがズルズルッと覆い被さってきた。逃げようにも腕をつかまれているのでそれすら叶わない。
「い、いやあぁぁっ!!!」
もうどうにもできない…、琴は覚悟を決めてぎゅっと目をつぶった。せめてあの無数の触手が自分に巻きつかれる光景はこの目に焼き付けたくはない。
が、その時
"ドバーンッ!!"
廊下の引き戸が派手な音をしてぶち壊され、その弾みで近くの肉人形も吹き飛ばされた。
そうして出来た隙間から、銀色に光り輝くものが弾丸のような速さで飛び込んでくる。
「どおりゃああ―――っ!!」 (←クリック)
派手な掛け声をあげながら『それ』は琴を掴む肉人形に突っ込み、華麗なとび蹴りを深々と食い込ませた。
「ぎいぃっ!!」
蹴り飛ばされた肉人形はその拍子で琴を掴んでいた腕を外し、そのまま教師肉人形のほうへと突っ込み、幾体かを巻き添えにしてぶっ倒れた。
「え……?」
一瞬何が起こったのかわからず立ち尽くす琴の前に立っていたのは、銀色に輝く翔儀天使のコスチュームに身を包んだ妹の吟だった。
「大丈夫キン姉!どこもやられてたりしないよね?!」
「ギ、ギンちゃん!なんでここに?!」
突然目の前に、しかも翔儀天使の格好で現れた妹の姿に、琴は信じられないといった思いを抱いていた。こういう状況で白馬に乗った王子様が助けにくるというのはよく思い至る夢想ではあるが、まさか妹がその役を担うとは。
「なんでって……、多分キン姉と同じ理由よ。
いきなりクラスのみんなが肉人形に変わって襲ってきてさ……。まあ手当たり次第にぶっ飛ばしたんだけれどね。
そしたら、ひょっとしたらキン姉のほうも同じ事になってやしないかって思って急いで駆けつけたのよ。
ま、大正解だったみたいだけれどね!」
同じ顔形をしているにもかかわらず、おとなしく控えめな性格をしている琴に対し、吟は非常に活発で口も早ければ手も早い。二人が混ざって一つになれば理想的な人間になるとは口悪い同級生の弁だ。
だが、琴の前でガッツポーズを取る吟は、今の琴には非常に頼もしく見えた。
「とりあえず、早くキン姉も変身して!このままじゃ肉人形に押し潰されちゃうよ!」
「そ、それはわかってるんだ、けれど……」
それは分かっている、と琴の顔は語っているが、琴は天使に変身することを躊躇っていた。
琴の逡巡も分かる。変身するにはどうしても一瞬ではあるが周りに対して無防備になる時間がある。ここまで周りを囲まれていたら、例え吟のフォローがあったとしても変身しきる前に邪魔をされるのは間違いない。
そんな姉の思いを、双子の持つ感応力なのか吟は素早く察知した。
「うっ…、確かにここで変身するのは難しいか……」
となると、この教室から脱出するしか打つ手はない。
だが、廊下のほうからはどこにこれだけいたのか続々と肉人形が教室内へと入ってくる。まるで三年生の生徒全員が肉人形になってここに迫ってきているみたいだ。
そうなると、脱出する道は窓からしかない。
「キン姉!」
迷っている暇はない!吟は琴の襟首をむんずと掴むと、そのまま窓目掛けて走り出した。もちろん立ちはだかる肉人形を蹴散らしながら。
「ちょっと?!ギンちゃん?!」
「キン姉!飛び降りるからその隙に!!」
"ガッシャァーン!!"
吟の勢いをつけた蹴りで分厚いガラス窓は粉々に砕け散り、その勢いで二人は校舎の外へと飛び出した。
「き、きゃあぁっ!!」
たちまち重力に引っかかり落下する琴は、慌てて体内の『力』を集中しその身を翔儀天使へと化身させた。
その背中に生える純白の羽は空を飛ぶにはいささか無理があるが、高層階からの落下速度を和らげるには充分な能力を持っており、二人は優雅とまではいかないまでも比較的軽やかに校舎間の中庭に着地を果たした。
窓ガラスが破れたところからは中の肉人形の騒ぎ声や姿が見えるが、さすがにそこから落ちてきてまで琴たちを襲おうとする輩は出てこない。
「ふう…、とりあえずは逃げられたか……」
「このこと、皆に伝えないとね…。それから…」
吟は上で騒ぐだけの肉人形を見て安堵の溜息を漏らし、琴は溢れる肉人形の群れに不安の声を呟いた。
この時、まさか校内でこれほどの数の肉人形に襲われることなど考えてもいなかったので、琴も吟もそのことだけに頭が向いておりそれ以外のことに気を配る余裕がなかった。
だからこそ肉人形の群れから逃げられたことを素直に喜び、それに対する手立てにしか頭が働かなかった。
少し冷静になればすぐに思い至っただろう。
同級生で同じ階にいる歩美、喬、圭はなんでこの異常事態に顔を出してこなかったのかを。