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2018年12月29日

ブログの更新

北見、紋別、遠軽、湧別の地域に関係することを勉強しているところですが、

ブログの更新をしばらくしていなかったので、広告でいっぱいになっていました。

覚えた知識を書き留めておくため、更新していきます。



過去の記事のアクセス解析で件数が多いのは、囚人道路、中央道路などが多いので、

それに関係することと、地域のイベント、政治、経済、観光なども。

また、これから世界で通貨として扱われるであろう暗号通貨(仮想通貨)も

地域の収入、活性化になってくると思いますのでそれも。

その他にも、地名の由来、新旧の地形比較、河川比較も調べていきます。




まずは思い立ったので、その思いを忘れないように記事にします。


A8.net

2017年01月17日

映画館 エンゲキ

1986年(昭和61年)ころまで遠軽町にあった映画館「エンゲキ」


映画館はもうありませんが、そのころの割引券です。


KIMG0830.JPG





場所はここにありました。

2016年11月30日

願望岩頂上イルミネーション

願望岩頂上がイルミネーションされてます。

願望岩頂上イルミネーション.JPG

イルミネーションは11月27日から12月31日まで実施され、来週には、Twitterで「#えんみね」または「#えんがるみねーしょん」とツイートすると、さらに輝きを増す仕掛けがあるようです。





こちらは福祉センターのイルミネーションです。

遠軽町福祉センターイルミネーション.JPG


11月25日から遠軽町福祉センターにイルミネーションが点灯しまています。
 このイルミネーションは来年2月頃まで設置予定です。

2016年07月12日

国道開削殉難慰霊之碑

遠軽町にある国道開削殉難慰霊之碑

近くには、セトセ薬師山参詣登山口もある。

慰霊之碑の裏側にはこのように書かれている


国道開削殉難慰霊之碑おもて.JPG


建立の趣旨

中央道路は政府の北辺警備と北見地方の開拓促進のために明治十九年に着工され明治ニ十四年に完成された札幌旭川網走釧路を結ぶ当時の大動脈でした。

このうち明治二十四年四月から同年十二月にかけ囚治監網走分監の囚徒を一、九七〇人使役し工事を行いました。網走、中越間一六ニ、七キロの開削では

難工事を極め激しい労働と栄養失調のためニ三八人に及ぶ死者を出しております。この場所は仮監跡て゜六七体が仮埋葬されておりましたので昭和三十三年

四十六体を発掘いたしまして供養を続けてまいりました。未だニ一体地下に眠っております・・・・・・・・・・・・・

瀬戸瀬婦人会





国道開削殉難慰霊之碑うら.JPG


現在は囚人道路のすぐ近くに高速道路を建設中である。

2015年08月11日

合気道ゆかりの地

遠軽町白滝にある合気道ゆかりの地



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2015年07月06日

遠軽町 太陽の丘 野外ステージ

遠軽町 太陽の丘公園 野外ステージです。

遠軽町太陽の丘公園野外ステージ.jpg

タグ:遠軽町

2014年05月09日

湧別原野


湧別原野 ・ ・ ・ 湧別、上湧別、遠軽、丸瀬布、生田原、白滝は昔1つの村でした。



1869年 明治2年 藩籍奉還 開拓使設置 北海道と称し(8月15日)11国86郡に分ける 北見国 紋別郡の地名始まる

1872年 明治5年 ユウベツ村 生まれる

1880年 明治13年 区町村会法制定 湧別村役場開設

1889年 明治22年 6月19日より空知集治監の収監者が従事し、旭川〜湧別間の仮道路開削が始まる。(約60日間)

1890年 明治23年 釧路集治監、中央道路開削のため網走囚徒他役所建設に着手する。

1891年 明治24年 湧別原野区画測定 屯田兵第1期湧別村入地

              中央道路網走〜上越間着工〜中央道路開通 殉職者:収監者238名、看守6名

1892年 明治25年 基線道路中央道路に連結完成

1893年 明治26年 道庁職員瞰望岩頂上に「双龍獄」の柱を建立

1898年 明治31年 屯田兵第2期湧別村入地

1901年 明治34年 金山橋鉱山試験掘許可

1902年 明治35年 金山橋付近で黄銅鉱の試験掘

1903年 明治36年 屯田兵現役解除

1906年 明治39年 湧別村北海道2級町村制施行

1910年 明治43年 湧別村より上湧別が分村し、下湧別村、上湧別村となる 役場を屯田市街地に設置

             瞰望岩頂上に開村記念碑建立  

1912年 大正元年 鉱脈探鉱中に鉱泉泉源を発見(安国鉱泉)

1914年 大正3年 寒河江鉱泉を発見

1916年 大正5年 開拓25周年、瞰望岩頂上に開拓記念碑建立

             生田原八重の牧場で金塊を発見

             イナウシで北見鉱山(通称浜本鉱山)試掘開始

1917年 大正6年 北ノ王鉱山発見

             金山で三菱北湧鉱山、操業開始

1918年 大正7年 「北ノ王鉱山株式会社」設立

1919年 大正8年 8月上湧別村から遠軽村分村

1924年 大正13年 生田原鉱山(八重)で生田原金山組合が組織され採鉱着手

1925年 大正14年  遠軽村から生田原村分村

1926年 大正15年昭和元年 昭和鉱山の露頭発見

1931年 昭和6年 北ノ王鉱山で金の精錬開始

1934年 昭和9年 町制施行により遠軽町と改称

1935年 昭和10年 生田原銅山発見

1937年 昭和12年 日本鉱業が生田原鉱山を買収し本格操業開始

              帝国産金鉱業(株)が北ノ王鉱山を買収、青化精練所新設(日産300tを処理)        

1942年 昭和17年 5月26日 湧別ポンド浜で機雷爆発

1946年 昭和21年 8月1日 遠軽町から丸瀬布村、白滝村分村

1948年 昭和23年 鴻ノ舞第2採鉱課分離、伊奈牛鉱山となる。

1950年 昭和25年 湧別村の一部を佐呂間村に移管

              伊奈牛鉱山昇格、北見鉱業所となる。

1953年 昭和28年 町制施行により湧別町、上湧別町、丸瀬布町と改称

1954年 昭和29年 町制施行により生田原町と改称

1955年 昭和30年 北見鉱業所操業変更。探鉱保坑鉱とし、北見鉱山となる。

              石器時代の白滝遺跡が上白滝河岸段丘の一部で初めて発掘された

1959年 昭和34年 寒河江遺跡発掘調査

              北見鉱山操業再開

1963年 昭和38年 住友北見鉱山閉鎖

1971年 昭和46年 金山でカドミウム公害問題化

2005年 平成17年 10月1日 遠軽町・生田原町・丸瀬布町・白滝村合併、新町名は遠軽町

2009年 10月5日湧別町・上湧別町合併、新町名は湧別町


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