2016年07月12日
国道開削殉難慰霊之碑
遠軽町にある国道開削殉難慰霊之碑
近くには、セトセ薬師山参詣登山口もある。
慰霊之碑の裏側にはこのように書かれている
建立の趣旨
中央道路は政府の北辺警備と北見地方の開拓促進のために明治十九年に着工され明治ニ十四年に完成された札幌旭川網走釧路を結ぶ当時の大動脈でした。
このうち明治二十四年四月から同年十二月にかけ囚治監網走分監の囚徒を一、九七〇人使役し工事を行いました。網走、中越間一六ニ、七キロの開削では
難工事を極め激しい労働と栄養失調のためニ三八人に及ぶ死者を出しております。この場所は仮監跡て゜六七体が仮埋葬されておりましたので昭和三十三年
四十六体を発掘いたしまして供養を続けてまいりました。未だニ一体地下に眠っております・・・・・・・・・・・・・
瀬戸瀬婦人会
現在は囚人道路のすぐ近くに高速道路を建設中である。
近くには、セトセ薬師山参詣登山口もある。
慰霊之碑の裏側にはこのように書かれている
建立の趣旨
中央道路は政府の北辺警備と北見地方の開拓促進のために明治十九年に着工され明治ニ十四年に完成された札幌旭川網走釧路を結ぶ当時の大動脈でした。
このうち明治二十四年四月から同年十二月にかけ囚治監網走分監の囚徒を一、九七〇人使役し工事を行いました。網走、中越間一六ニ、七キロの開削では
難工事を極め激しい労働と栄養失調のためニ三八人に及ぶ死者を出しております。この場所は仮監跡て゜六七体が仮埋葬されておりましたので昭和三十三年
四十六体を発掘いたしまして供養を続けてまいりました。未だニ一体地下に眠っております・・・・・・・・・・・・・
瀬戸瀬婦人会
現在は囚人道路のすぐ近くに高速道路を建設中である。
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