新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2018年03月16日
就職活動、会社分析って本当に必要か?
昨日に引き続き、会社選びについて。
私一個人の意見ですが、就職する企業の分析って、本当に必要なのか?
会社ととらえるからちょっと難しく感じるだけであって、
会社も所詮、人の集合体で個人個人が組織を作っている。
残念ながら、就活生が面接で自分をよく見せようとするのに対し、
会社も同じようによく見せようとしています。
結果的に、そこにミスマッチが起きる、と。
であれば、会社の分析を隅々までやって会社を選ぶのではなく、
郷に入っては郷に従え、で全然かまわないと思うんです。
では、前提として自分を知る必要がある、と。
自己分析で何やら難しい事をしていたり、
どうすればいいのかわからない!という人がたくさんいるわけですが、
これって実はすごく簡単で、日常的なんです。
1週間、"何をしていて楽しいか"と"何をしていてつまらないか"…等、記録を取るだけでいいです。
その他、ちょっとした友人の言葉に勇気づけられた or 傷ついた、とか。
微妙な自分自身の感情の変化を、ひたすら記録にとってみる。
そして1週間後、その項目に対して「なんでそう思ったのか?」と問うことで、
圧倒的スピード感と実感をもって、自分を知ることができます。
勿論、成長や環境によって、人間は変わり続けますので、
あくまで"現状"の自分を知るだけにはなりますが、
この段階で軸を作ってしまえば、企業選定にさほど時間はかからないと思います。
あくまで私の例ですが、ぜひつかってくださいな。
私一個人の意見ですが、就職する企業の分析って、本当に必要なのか?
会社ととらえるからちょっと難しく感じるだけであって、
会社も所詮、人の集合体で個人個人が組織を作っている。
残念ながら、就活生が面接で自分をよく見せようとするのに対し、
会社も同じようによく見せようとしています。
結果的に、そこにミスマッチが起きる、と。
であれば、会社の分析を隅々までやって会社を選ぶのではなく、
郷に入っては郷に従え、で全然かまわないと思うんです。
では、前提として自分を知る必要がある、と。
自己分析で何やら難しい事をしていたり、
どうすればいいのかわからない!という人がたくさんいるわけですが、
これって実はすごく簡単で、日常的なんです。
1週間、"何をしていて楽しいか"と"何をしていてつまらないか"…等、記録を取るだけでいいです。
その他、ちょっとした友人の言葉に勇気づけられた or 傷ついた、とか。
微妙な自分自身の感情の変化を、ひたすら記録にとってみる。
そして1週間後、その項目に対して「なんでそう思ったのか?」と問うことで、
圧倒的スピード感と実感をもって、自分を知ることができます。
勿論、成長や環境によって、人間は変わり続けますので、
あくまで"現状"の自分を知るだけにはなりますが、
この段階で軸を作ってしまえば、企業選定にさほど時間はかからないと思います。
あくまで私の例ですが、ぜひつかってくださいな。
2018年03月15日
就職活動
3/1に新卒サイトが解禁して、2週間が経つ。
東京都内ではリクルートスーツを着た男女が
緊張した面持ちでビルの中に入っているのを見ると、
「あぁ、またこの時期か」と思う。
それぞれ色んな就活があるだろう。
そんな私も、あと半月もすれば社会人3年目。
よくもまあこんなにちゃんと続いたものだと思いつつ、
就職活動を適当にやっていてよかったなあと思っている。
大学時代、他の友人たちと比べて圧倒的に勉強をしていた。
3年間は学生として、残り1年は就職活動…
のような定説?だったものが嫌いだったため、
「何とかなるでしょう。勉強したいし、勉強しよう」
そんな思いでいっぱいだった。
今となれば特に結果も実らなかった勉強だったが、
何より一人で黙々と学問に打ち込む中で、
自己分析だけは絶やさずに行ってきた。
ただただ毎日何が起きて何を感じたかを日記として残すだけだが、
毎日やることで自分にとって何が向いているのか、
何をしているときが最も楽しいのかを知ることができた。
仕事を選ぶ軸が、他の誰よりも強かったと自負している。
社会人3年目になろうとしている今、
私の友人たちのほとんどは仕事が嫌いだと言いながら、
嫌々出勤している現状。
しっかりと就活をし、某大手企業に内定をもらった友人も
職場の環境になじめない、と悩む。
どれだけ真面目にやっても、何かしらの悩みは出てくるのが実情なので、
自分勝手だけど、自分と向き合って、自分がやりたいことができる職場なら
ちょっとは満足して過ごせると思います。
頑張れ、就活生。
東京都内ではリクルートスーツを着た男女が
緊張した面持ちでビルの中に入っているのを見ると、
「あぁ、またこの時期か」と思う。
それぞれ色んな就活があるだろう。
そんな私も、あと半月もすれば社会人3年目。
よくもまあこんなにちゃんと続いたものだと思いつつ、
就職活動を適当にやっていてよかったなあと思っている。
大学時代、他の友人たちと比べて圧倒的に勉強をしていた。
3年間は学生として、残り1年は就職活動…
のような定説?だったものが嫌いだったため、
「何とかなるでしょう。勉強したいし、勉強しよう」
そんな思いでいっぱいだった。
今となれば特に結果も実らなかった勉強だったが、
何より一人で黙々と学問に打ち込む中で、
自己分析だけは絶やさずに行ってきた。
ただただ毎日何が起きて何を感じたかを日記として残すだけだが、
毎日やることで自分にとって何が向いているのか、
何をしているときが最も楽しいのかを知ることができた。
仕事を選ぶ軸が、他の誰よりも強かったと自負している。
社会人3年目になろうとしている今、
私の友人たちのほとんどは仕事が嫌いだと言いながら、
嫌々出勤している現状。
しっかりと就活をし、某大手企業に内定をもらった友人も
職場の環境になじめない、と悩む。
どれだけ真面目にやっても、何かしらの悩みは出てくるのが実情なので、
自分勝手だけど、自分と向き合って、自分がやりたいことができる職場なら
ちょっとは満足して過ごせると思います。
頑張れ、就活生。
2018年03月14日
時間を買った
時間は買うことができる。
誰しもに平等にあるものが時間であると言われているが、
だからこそ時間は買うことができると思っている。
簡単なことだ。
食材を買ってご飯を作って、食べる。
この一連の流れ、ゴールは何かを食べるわけだけれど、
"作る"時間は買うことができる。
軽い料理であっても10分〜は購入することができるだろうし、
洗い物をする後工程も踏まえると1日15分を創出することにつながる。
これが3食×365日続くと仮定した場合、
年間で最低16,425分=274時間=11日間
1年のうち、11日間はご飯を作っていることになる。
勿論、健康面を考えていたり、趣味で作っているのであれば話は変わるが、
ただ食欲を満たすだけの食事であれば、時間を買った方が、生活の水準は上がるかもしれない。
特に何が言いたいわけでもないですが、
細かいことやモノを時間に置き換えてみて、
本当にその時間は必要なのか?本当はもっといい方法があるのではないか?
そういった疑問視が、どんどん時間をつくっていってくれるはず。
もっと、誰しもが時間を買おう。
誰しもに平等にあるものが時間であると言われているが、
だからこそ時間は買うことができると思っている。
簡単なことだ。
食材を買ってご飯を作って、食べる。
この一連の流れ、ゴールは何かを食べるわけだけれど、
"作る"時間は買うことができる。
軽い料理であっても10分〜は購入することができるだろうし、
洗い物をする後工程も踏まえると1日15分を創出することにつながる。
これが3食×365日続くと仮定した場合、
年間で最低16,425分=274時間=11日間
1年のうち、11日間はご飯を作っていることになる。
勿論、健康面を考えていたり、趣味で作っているのであれば話は変わるが、
ただ食欲を満たすだけの食事であれば、時間を買った方が、生活の水準は上がるかもしれない。
特に何が言いたいわけでもないですが、
細かいことやモノを時間に置き換えてみて、
本当にその時間は必要なのか?本当はもっといい方法があるのではないか?
そういった疑問視が、どんどん時間をつくっていってくれるはず。
もっと、誰しもが時間を買おう。
2018年03月13日
3.11
東日本大震災が起きて、7年が経った。
あの時高校生だった私は、
実家を離れ、大学生活を経て、
一丁前に社会人をやっている。
今でもあの日のことは忘れられない。
その点で行くと、自分にとっては風化していないし、
何なら1年に1回、誕生日よりも特別な日になっているような感覚さえする。
過去にどんな出来事があっても、
365日分の1日であることには変わりないのだ。
普通の1日、日常。
家族との他愛もない会話や、
友人との持ちつ持たれつの関係、
そんな営みのなかにある温かさを
考えさせてくれる日。
反感を買うかもしれないし、
どう思われるかはわからないけれど、
3月11日という日が、自分はすきです。
あの時高校生だった私は、
実家を離れ、大学生活を経て、
一丁前に社会人をやっている。
今でもあの日のことは忘れられない。
その点で行くと、自分にとっては風化していないし、
何なら1年に1回、誕生日よりも特別な日になっているような感覚さえする。
過去にどんな出来事があっても、
365日分の1日であることには変わりないのだ。
普通の1日、日常。
家族との他愛もない会話や、
友人との持ちつ持たれつの関係、
そんな営みのなかにある温かさを
考えさせてくれる日。
反感を買うかもしれないし、
どう思われるかはわからないけれど、
3月11日という日が、自分はすきです。
2018年03月12日
家の近くのラーメン屋にて
雨の良く降る日だった。
外気との気温差で、窓に結露ができる。
特にそれが顕著だったのが、近所のラーメン屋。
もはや入り口のドアはびしょびしょに水をかけたみたいになっていた。
夫婦での経営だろうか?年季の入った「いらっしゃい」が店内に響く。
客はみんな常連だろう、店主と世間話をしていた。
1人の客が店主に話を持ち掛け、
その話に、席が離れた客も乗ってくる。
不思議な人間関係だが、このお店ではそれも通用するようで。
隣の客のたばこの臭いとラーメンの匂いが混じる。
提供された味噌ラーメンは、とても懐かしい味がした。
幼い頃に家の近所まで出張販売をしてくれていたラーメン屋の味にそっくりだった。
何か特別なイベントごとのように、
毎週木曜日の夕方、チャルメラの音が懐かしかった。
そんな記憶を想起させるような味だった。
そういう風に捉えてみると、
このお店はまるで家庭の様な関係が、店主を通じてできていた。
べらぼうに美味しいわけでもないラーメンの中に、
何か別の価値と、温かみを感じた。
飲食店って、あったかくていいね。
外気との気温差で、窓に結露ができる。
特にそれが顕著だったのが、近所のラーメン屋。
もはや入り口のドアはびしょびしょに水をかけたみたいになっていた。
夫婦での経営だろうか?年季の入った「いらっしゃい」が店内に響く。
客はみんな常連だろう、店主と世間話をしていた。
1人の客が店主に話を持ち掛け、
その話に、席が離れた客も乗ってくる。
不思議な人間関係だが、このお店ではそれも通用するようで。
隣の客のたばこの臭いとラーメンの匂いが混じる。
提供された味噌ラーメンは、とても懐かしい味がした。
幼い頃に家の近所まで出張販売をしてくれていたラーメン屋の味にそっくりだった。
何か特別なイベントごとのように、
毎週木曜日の夕方、チャルメラの音が懐かしかった。
そんな記憶を想起させるような味だった。
そういう風に捉えてみると、
このお店はまるで家庭の様な関係が、店主を通じてできていた。
べらぼうに美味しいわけでもないラーメンの中に、
何か別の価値と、温かみを感じた。
飲食店って、あったかくていいね。