2020年04月25日
懐かしい作品たち。
お家で過ごそう、を意識的に守って家でできること、と言うより今だからまとまった時間が取れるぞと頭の中では計画している。
描かなければならない絵を早目に仕上げることが最優先だったが仕上げることができた。
次はやはり断捨離だ。
洋服が一番気になっていながら、バサッと断捨離できなくて季節の洋服入れ替えの時に
チマチマとやっているので、
「多分、この辺の物はいらないだろうな〜。」
と、チラチラと横目で見て
「次はここだからね。」
とターゲットにしている物はある。
でも、時間的にできるかなと思ったのが、自分の部屋からだ。
結構手は入れているので物の区別はしてあるつもりなのだが、ファイルなどに整理しすぎて
結局仕舞いっぱなしとなって数年が経ってしまう。
ファイルには区別して入れられているのだ。
でも、暫く経っているからもう要らない物もあるだろうとファイルの中身を開けてみて、要・不要の区別をしたくなっていた。
ここでも記事にしたが、同じ気持ちでCDの整理をしたのも最近のことだった。
「選別しにくいCD収納」 2020/02/14投稿。↓
https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12573491817
そのCDと同じ戸棚に過去の作品類とそれに関したものが収納されている(筈)。
先ずはイラスト、それを他の方法で表現したくて出会った銅版画(エッチング)、同じ版画なのに作品の魅力に取りつかれた木版画。
イラストは独学だが、エッチングは美術館の自由工房で、木版画は直接先生の工房生の席が空いた時に工房生に、と幸運に恵まれた。
しかし、雑多な家事を持つ主婦にはエッチングには大きなプレス機とそれを置く場所は持てない。
木版画の彫り、摺りをいつでもできる工房もない。
残ったのはいつでも描けるイラストだけになった。
しかし、それらの作品は残っているし、仕事しながらの個展の機会もあった。
美術館に集まった工房で、集まった各人が作った作品のグループ展にも参加した。
そんな作品の中で、
「あれは、どこに収納してあったかな〜?」
と、時々思い出していた作品のファイルが思いがけず、あった。
一番大きくて、厚みのあるファイルだった。
子育て中、子供の歩き始めた後ろ姿を夢中で描いていた一枚、憧れのファッションを遠く夢見て描いたりしていた頃の物、
まだ、自分の中だけで昇華させていた。
そんな作品がその中にあった。
懐かしい・・・。
気持ちが蘇ってくる。
それらの一部を見た一人の女性が個展を勧めてくれて会場も紹介してくれて、’70、’80、’90、’00に描いていたものを
見てもらえることになった。
地元新聞の美術展紹介の記事と写真が載った新聞も残っていた。
結局棄てられない。
パソコンに取り込んでない作品は一気にスキャンして取り敢えず収納した。
まだ、パソコンを取り入れてなくて、葉書にするには印刷屋さん頼みだったのだ。
個展やグループ展で頂いた”感想ノート”も大切にしまい込まれていて、評価の文章が
その頃の私を思い出させてくれて、主婦をしながらも、仕事に、作品作りに一生懸命だった日々が生き生きと蘇る。
絵は、作品は、描く時間が極僅かになっている自分に、
「また、もっと描こうよ!」
と、はっぱを掛けてくれたように感じた。
自分の作品の一枚一枚に、
「素敵じゃん!」(自画自賛すみません。)
と、描きたい思いが湧いてきた。
当時、見てくれた人の気持ちと同じなのかもと、心惹かれた。
結局、その戸棚の中の物の質は変わらず、量を整理するに留まった。
描かなければならない絵を早目に仕上げることが最優先だったが仕上げることができた。
次はやはり断捨離だ。
洋服が一番気になっていながら、バサッと断捨離できなくて季節の洋服入れ替えの時に
チマチマとやっているので、
「多分、この辺の物はいらないだろうな〜。」
と、チラチラと横目で見て
「次はここだからね。」
とターゲットにしている物はある。
でも、時間的にできるかなと思ったのが、自分の部屋からだ。
結構手は入れているので物の区別はしてあるつもりなのだが、ファイルなどに整理しすぎて
結局仕舞いっぱなしとなって数年が経ってしまう。
ファイルには区別して入れられているのだ。
でも、暫く経っているからもう要らない物もあるだろうとファイルの中身を開けてみて、要・不要の区別をしたくなっていた。
ここでも記事にしたが、同じ気持ちでCDの整理をしたのも最近のことだった。
「選別しにくいCD収納」 2020/02/14投稿。↓
https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12573491817
そのCDと同じ戸棚に過去の作品類とそれに関したものが収納されている(筈)。
先ずはイラスト、それを他の方法で表現したくて出会った銅版画(エッチング)、同じ版画なのに作品の魅力に取りつかれた木版画。
イラストは独学だが、エッチングは美術館の自由工房で、木版画は直接先生の工房生の席が空いた時に工房生に、と幸運に恵まれた。
しかし、雑多な家事を持つ主婦にはエッチングには大きなプレス機とそれを置く場所は持てない。
木版画の彫り、摺りをいつでもできる工房もない。
残ったのはいつでも描けるイラストだけになった。
しかし、それらの作品は残っているし、仕事しながらの個展の機会もあった。
美術館に集まった工房で、集まった各人が作った作品のグループ展にも参加した。
そんな作品の中で、
「あれは、どこに収納してあったかな〜?」
と、時々思い出していた作品のファイルが思いがけず、あった。
一番大きくて、厚みのあるファイルだった。
子育て中、子供の歩き始めた後ろ姿を夢中で描いていた一枚、憧れのファッションを遠く夢見て描いたりしていた頃の物、
まだ、自分の中だけで昇華させていた。
そんな作品がその中にあった。
懐かしい・・・。
気持ちが蘇ってくる。
それらの一部を見た一人の女性が個展を勧めてくれて会場も紹介してくれて、’70、’80、’90、’00に描いていたものを
見てもらえることになった。
地元新聞の美術展紹介の記事と写真が載った新聞も残っていた。
結局棄てられない。
パソコンに取り込んでない作品は一気にスキャンして取り敢えず収納した。
まだ、パソコンを取り入れてなくて、葉書にするには印刷屋さん頼みだったのだ。
個展やグループ展で頂いた”感想ノート”も大切にしまい込まれていて、評価の文章が
その頃の私を思い出させてくれて、主婦をしながらも、仕事に、作品作りに一生懸命だった日々が生き生きと蘇る。
絵は、作品は、描く時間が極僅かになっている自分に、
「また、もっと描こうよ!」
と、はっぱを掛けてくれたように感じた。
自分の作品の一枚一枚に、
「素敵じゃん!」(自画自賛すみません。)
と、描きたい思いが湧いてきた。
当時、見てくれた人の気持ちと同じなのかもと、心惹かれた。
結局、その戸棚の中の物の質は変わらず、量を整理するに留まった。
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