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2019年12月24日

コンクリートの床、殺処分のこと。

2019/12/14付コラム欄記事。

以下引用

 犬が飼い主と散歩する光景は、冬場が一層似合う。道草をしながら見上げるしぐさは、主人の白い息を気遣っているようでもある。

老齢の飼い主を慎重に誘導するかのごとく、尾を立てて行く姿などほほ笑ましい

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 ▼犬は人間が歴史上初めて飼育した動物であることはよく知られる。その友情は3万年の長きにわたるとされる。

人が住んだ洞窟や住居跡から犬の骨も出土し、共に埋葬された例もある


 ▼愛犬はいずれ老い、介護も必要となる。共に歩んだ時間が長いほど、飼い主もしかり。フォトジャーナリスト児玉小枝さんの近著

「老犬たちの涙」(KADOKAWA)は、人間も飼い犬も高齢化が進む現実のはざま、各地の行政施設に収容された介護放棄や

迷子の高齢犬の声なき声を代弁する


 ▼老齢世帯の死亡や病気、人と犬の老老介護破綻など、引き取り手がなく、持ち込まれる例も少なくない。

家庭に迎えられて十数年、飼い主を信じ、愛し、ひたむきに生きてきた。「譲渡不可」とされた“余命”に、

コンクリートの床はあまりに冷たい


 ▼物言わぬ命を巡り、核家族化が生む負の連鎖。殺処分を控えた職員のつらさと憤り、里親探しに苦悩する動物愛護団体。

犬房で待つ孤独の瞳に、不安と諦めが相半ばする


 ▼終生飼養の覚悟、万一の時に託す人を決めておく、保護された老犬を家族に迎える―。

フォトエッセーに記された“いのち”と“こころ”を守る14の方法。家族からの感謝にみとられ、散歩に張り切った日々が夢枕を彩ることを願う。

〈三日月や枯野を帰る人と犬〉(正岡子規)

上記引用。


これを読んだ時、ある殺処分寸前だった犬がコンクリートの床で隅っこにうずくまっていた動画を思い出した。

それは、その後飼い主が引き取りに来て、元気になって家に戻っていくというハッピーエンドの動画だった。

殺処分寸前の時と、引き取られて帰っていく時の様子の差に、

「動物だって、この先に何が待っているのかということが予想できるのではないか?」

と、思った。

その恐怖、不安、寂しさはどんなものだったろうか?

たった一匹で柵の向こう側にうずくまり、動こうとしない。

絶望していたのか?

その心理は犬の身体を動けなくしてしまうのだ。

その映像が記憶から離れない。

たまたま一匹の様子だったが、・・・・見えない映像は数えきれないだろう。

ペット達は文句も言わず、反抗もせず、運命を受け入れる。

彼等の目だけが訴えている。

私にはそう見える。


「じゃあ、あなたが何とかしてあげれば?」

と言われるかもしれない。

でも、私にもどうにもできない。


だから、せめて、飼い主になる前に、「終生飼養の覚悟」があるか自覚し、飼い始めたら飼い主を全うするしかない。

どんなことがあっても、途中放棄しない。

それだけでも、悲しみを経験するペットは減らせるのではないかと思う。

やるせない記事だった。
































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