2019年08月11日
不安な一夜...。
夕飯の後、ソファに座っていた時、突然左側の腰から脚の付根の辺りに急に痛みを感じた。
行儀が悪かったが、左側体側を伸ばすように横になってみた。
就寝しようと立った途端、痛みは歩けない程になっていた。
「この痛み、原因はなんだろう?一体どこが痛いんだ?」
と、痛みを抱えながら寝る姿勢を色々変えてみた。
脚を伸ばしてみても、伏せてみても痛い。
「こんなに痛いのなら、明日は歩けるだろうか?猫の散歩は行けるだろうか?」
と、いろんなことを考える。
「もし、痛みが引かないようなら、整形外科を受診したほうがいいのか?行くとしたらどこの
整形外科か、カルテがあるあそこ?それとも・・・。」
と、次々といろんな不安が襲ってくる。
「でも、明日にならなければ明日の様子はわからない。」
と、とに角寝ることだ、といつの間にか眠った。
朝になって、起きれるだろうか?歩けるだろうか?の不安と共に起きた。
そ〜っと、歩いてみた。
「あっ、痛みは強くない、歩ける。」
と普通に、そっと歩けた。
それだけで、嬉しい。
階段も大丈夫。
猫の散歩はできそうだ。
毎朝の猫にとっての大事な習慣は、猫に「行かない」の説明は無用だ。
脚を引きずってでも、ゆっくりでも、外に出なければ、彼の大好きな時間を作ってやれない。
何とか支度をして、静かに、ゆっくり散歩時間は過ごせた。
取り敢えず、よかった。
猫は満足している。
そうこうしている内に、動かしていると何とか痛みも感じなくなっていた。
でも、時々
「ズキッ!」
と痛みが走る。
「ヤバイ!続いたらヤバイ!」
と、祈るような気分になる。
「ああ、このまま、痛みが遠のいてくれるといいなあ・・・。」
と、なんとか保っている。
いつもは健康を保ち、膝痛も、肩痛も、なんとか運動を続けて、筋肉を周りにつける気持ちで
頑張ってきた。
だから、多少痛くても動かすことは止めない。
そうしてきたのに、この痛みは何だ?
加齢による、骨と骨の間の間接部分がすり減って、神経を刺激するするという神経痛なのか?勝手に考えてしまう。
何とか痛みは出ないで欲しい。切実に思う。
そして、そんな時、周囲の知り合いの人の症状が思い浮かんでくる。
股関節が痛くて、キッチンにさえ立っていられなかったという人。
股関節の手術をしたということで杖を突いていたあの人。
脚に菌が入って腫れて歩くのも大変だという人。
私は、その人達の痛みを感じてあげられただろうか?
いや、彼等の痛みはやはり他人事だった。
「運動してる?普段ケアー、予防に何かしてる?」
なんて、思っていた。
でも、加齢すれば、身体のいろんな箇所に不具合は出るんだよね。
それを分かってあげてただろうか?
「痛み」は、自分が経験しないとわからない。
身体も、心も痛みを経験しないと理解してあげられない、と一晩の原因不明の痛みによって
解った、ような気がする。
私は、「普段の努力が足りないんじゃない?」なんて思っていたかもしれない。
加齢による、どうしようもない不具合を抱えた人に、もっと理解と優しさを持たなければいけないと、一晩の痛みが教えてくれたように思う。
行儀が悪かったが、左側体側を伸ばすように横になってみた。
就寝しようと立った途端、痛みは歩けない程になっていた。
「この痛み、原因はなんだろう?一体どこが痛いんだ?」
と、痛みを抱えながら寝る姿勢を色々変えてみた。
脚を伸ばしてみても、伏せてみても痛い。
「こんなに痛いのなら、明日は歩けるだろうか?猫の散歩は行けるだろうか?」
と、いろんなことを考える。
「もし、痛みが引かないようなら、整形外科を受診したほうがいいのか?行くとしたらどこの
整形外科か、カルテがあるあそこ?それとも・・・。」
と、次々といろんな不安が襲ってくる。
「でも、明日にならなければ明日の様子はわからない。」
と、とに角寝ることだ、といつの間にか眠った。
朝になって、起きれるだろうか?歩けるだろうか?の不安と共に起きた。
そ〜っと、歩いてみた。
「あっ、痛みは強くない、歩ける。」
と普通に、そっと歩けた。
それだけで、嬉しい。
階段も大丈夫。
猫の散歩はできそうだ。
毎朝の猫にとっての大事な習慣は、猫に「行かない」の説明は無用だ。
脚を引きずってでも、ゆっくりでも、外に出なければ、彼の大好きな時間を作ってやれない。
何とか支度をして、静かに、ゆっくり散歩時間は過ごせた。
取り敢えず、よかった。
猫は満足している。
そうこうしている内に、動かしていると何とか痛みも感じなくなっていた。
でも、時々
「ズキッ!」
と痛みが走る。
「ヤバイ!続いたらヤバイ!」
と、祈るような気分になる。
「ああ、このまま、痛みが遠のいてくれるといいなあ・・・。」
と、なんとか保っている。
いつもは健康を保ち、膝痛も、肩痛も、なんとか運動を続けて、筋肉を周りにつける気持ちで
頑張ってきた。
だから、多少痛くても動かすことは止めない。
そうしてきたのに、この痛みは何だ?
加齢による、骨と骨の間の間接部分がすり減って、神経を刺激するするという神経痛なのか?勝手に考えてしまう。
何とか痛みは出ないで欲しい。切実に思う。
そして、そんな時、周囲の知り合いの人の症状が思い浮かんでくる。
股関節が痛くて、キッチンにさえ立っていられなかったという人。
股関節の手術をしたということで杖を突いていたあの人。
脚に菌が入って腫れて歩くのも大変だという人。
私は、その人達の痛みを感じてあげられただろうか?
いや、彼等の痛みはやはり他人事だった。
「運動してる?普段ケアー、予防に何かしてる?」
なんて、思っていた。
でも、加齢すれば、身体のいろんな箇所に不具合は出るんだよね。
それを分かってあげてただろうか?
「痛み」は、自分が経験しないとわからない。
身体も、心も痛みを経験しないと理解してあげられない、と一晩の原因不明の痛みによって
解った、ような気がする。
私は、「普段の努力が足りないんじゃない?」なんて思っていたかもしれない。
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