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2021年04月20日

カズオイシグロ氏の新作。

「クララとおひさま」

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https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2021/03/post-95815_1.php


<ノーベル文学賞後初の長編小説、6年ぶりの新作で人工知能の奇妙で美しい内面に切り込んだ>

カズオ・イシグロの最新作『クララとお日さま』(邦訳・早川書房)の語り手クララと、2005年の傑作『わたしを離さないで』の語り手キャシー。

2人の共通点は、頭文字のKだけではない。

クララは「人工フレンド(AF)」と呼ばれるロボットで、ある日14歳の病弱な少女ジョジーの遊び相手として裕福な家庭に買い取られる。



『わたしを離さないで』と非常に似た設定だ。

同著の中で10代のキャシーが暮らすのはクローン養成所。

施設の少年少女は臓器を提供するためだけに生を受け、育てられている。


個人の存在というのはその人自身のものだという通念に、他人に臓器を提供する道具としか見られない

クローン人間の姿をぶつけることで、イシグロは暗に社会を批判した。


私たちは一部の人を便利な道具としか見ていないのではないか。

宅配ドライバーを荷物を届けるだけの存在と見なし、宅配で安いTシャツを買っても、それを縫った人には思いを巡らさない──。

クローンを待ち受ける運命に戦慄しながら、私たちはそんな己の無神経を突き付けられた。


だが物語の主眼はそこではない。

時にクローンは運命から逃れたいと願うが、それより強いのは自分のオリジナル、つまりは複製元である人間に会いたいという気持ちだ。

創造主の前に立ち、「私はなぜ生まれたのですか。なぜ死なねばならないのですか」と問うのが彼らの悲願。

この点においてクローンは、この世に生まれた全ての人間と何ら変わらない。


一方、人工知能を搭載したロボットのクララはそんな疑問を持たない。子供に寄り添うことが自分の存在理由だと、彼女は理解している。



上記引用




まだまだローラ・ミラーさんの解説は続く。

私はまだこの新作は読んでない。



けれども、彼の『わたしを離さないで』はドラマで見たので強く興味を持った。

ドラマを見ていた期間中も理解し難いストーリーだった。

あの子供達は皆クローンだったのだと後になって理解した。


それほど如何に小説とはいえこんなことがあるのだろうか?と理解できないというより

悲しくなった。



私の思いは、

「私たちは一部の人を便利な道具としか見ていないのではないか。

宅配ドライバーを荷物を届けるだけの存在と見なし、宅配で安いTシャツを買っても、それを縫った人には思いを巡らさない──。

クローンを待ち受ける運命に戦慄しながら、私たちはそんな己の無神経を突き付けられた。」

と、いう部分で止まっている。


そういう点では言われていることに共感し、納得する。



私は、読みたい!と思うので記事にした。

自分自身に対する課題だということなのです。



ただ、彼女の解説の最後の、

「イシグロ作品に、クララほど満ち足りたキャラクターはいない。この完全な充足感こそが、彼女の最も人間らしくない一面かもしれない。」

と言う部分を裏返すと・・・、人間らしさに怖さを感じた。






























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