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2016年11月25日
日本人は素晴らしい
関東寒いです(*_*;
昔からパチンコ打ってて、「よく何も起こらないな〜」と思っていました。
全国にかなりのパチンコ店があり、減っているとは言え毎日数多くの人がパチンコをやっています。
そして大多数が負けるのがパチンコであるにも関わらず、パチンコ店での事件を耳にするのはそんなに多くありません。
自分に置き換えて考えても、若い頃は腹が立って台を殴ることもありましたし、「こんな店消えて無くなれ」と思うこともありました。
正直そう思いながらパチンコをやっている人は多いと思います。やっぱり負けたら腹立ちますもんね。
それなのに私が知らないだけなのか、パチンコ屋での事件って少ないと感じます。
あっ!「ハンマーおじさん」なる人が最近牙狼をぶっ壊していましたね\(^o^)/
パチンコをしない人からすれば、「自分の意志で使っておいて店に文句言うのはおかしい」と思うでしょうが、パチンコ業界やパチンコユーザー(依存症)というのは、そんな常識から離れたところに存在していると言っても過言ではないくらい特殊な存在なので、自分で散財しておいて(グレーと言われている)店に文句を言うのは何らおかしいことではないのです。
一般社会とパチンコのホール内というのは本当に別世界の価値観(特に金銭感覚)なのに、日本人の良いところなのでしょうか、客が怒って店を破壊するような暴動なんかは起こりませんし、店員や店長が襲われるという事も日常茶飯事には起こりません。
日本の自動販売機に驚く外国人がいますよね、「自分の国なら壊されてお金を持っていかれる」って。それも先進国ですよ。
そう考えれば、パチンコって日本でないと根付かないものだったのかもしれません。
これだけ日本中に乱立しているのに、基本的に毎日平穏に営業しているのですから。
やはり日本の民度はナンバーワン!(^^)!
海外と比較して日本の素晴らしさを伝える番組がありますが、こういった事も放送してくれたらいいのにと思います(´;ω;`)ウゥゥ
しかし負けて店から出るときに、店員から「ありがとうございました!(^o^)丿」と言われると、この年になっても殺意が湧いてくるので、個人的にはこれはやめたほうがいいと思います(#^ω^)ピクッ
昔からパチンコ打ってて、「よく何も起こらないな〜」と思っていました。
全国にかなりのパチンコ店があり、減っているとは言え毎日数多くの人がパチンコをやっています。
そして大多数が負けるのがパチンコであるにも関わらず、パチンコ店での事件を耳にするのはそんなに多くありません。
自分に置き換えて考えても、若い頃は腹が立って台を殴ることもありましたし、「こんな店消えて無くなれ」と思うこともありました。
正直そう思いながらパチンコをやっている人は多いと思います。やっぱり負けたら腹立ちますもんね。
それなのに私が知らないだけなのか、パチンコ屋での事件って少ないと感じます。
あっ!「ハンマーおじさん」なる人が最近牙狼をぶっ壊していましたね\(^o^)/
パチンコをしない人からすれば、「自分の意志で使っておいて店に文句言うのはおかしい」と思うでしょうが、パチンコ業界やパチンコユーザー(依存症)というのは、そんな常識から離れたところに存在していると言っても過言ではないくらい特殊な存在なので、自分で散財しておいて(グレーと言われている)店に文句を言うのは何らおかしいことではないのです。
一般社会とパチンコのホール内というのは本当に別世界の価値観(特に金銭感覚)なのに、日本人の良いところなのでしょうか、客が怒って店を破壊するような暴動なんかは起こりませんし、店員や店長が襲われるという事も日常茶飯事には起こりません。
日本の自動販売機に驚く外国人がいますよね、「自分の国なら壊されてお金を持っていかれる」って。それも先進国ですよ。
そう考えれば、パチンコって日本でないと根付かないものだったのかもしれません。
これだけ日本中に乱立しているのに、基本的に毎日平穏に営業しているのですから。
やはり日本の民度はナンバーワン!(^^)!
海外と比較して日本の素晴らしさを伝える番組がありますが、こういった事も放送してくれたらいいのにと思います(´;ω;`)ウゥゥ
しかし負けて店から出るときに、店員から「ありがとうございました!(^o^)丿」と言われると、この年になっても殺意が湧いてくるので、個人的にはこれはやめたほうがいいと思います(#^ω^)ピクッ
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2016年11月23日
純粋
出かけたいけど金を使うし金も無いしで結局引き籠る
スーパーや近所の駄菓子屋さんに入荷されてもすぐに売り切れてしまい、1人3個までしか買えないとか、シールだけ取ってお菓子を捨ててしまう子もいたので、学校の全校集会で「お菓子を捨てるのはやめましょう」と注意喚起されるほどでした。
一度私は買い物に行く母親に、「もし置いてあったら買ってきて欲しい」とお願いしたことがありました。
珍しく置いてあったらしく、上限の3個を買ってきてくれました。
私は期待しながら封を開けて中のシールを確認したのですが、残念ながらハズレと言えるようなシールしか入っていませんでした。
何も知らない母親は、「いいシール入ってた?」と聞いてきましたが、せっかく買ってきてもらった手前「ハズレだった」とは言えず、「うん、いいの入ってた」と嘘をつきました。
ここで私は母親に嘘をついたことに対して罪悪感を抱き、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのでした。
この話を聞いてどう思います?
母親を気遣った嘘はついてはいけない嘘じゃないのだから、そんな罪悪感なんか感じる必要はないと、今の私なら思います。
しかしこの頃の私は純粋というのか、嘘をつくこと自体が悪であり、理由は何であれ母親に嘘をつく自分は悪い人間だと思ってしまう子供でした。
それから30年経ち、私も少しは変わりましたが、この変な正義感?純粋さ?は未だに少し残っていると感じることがあります。
というパチスロライターさんのトーク動画に、ゲストでういちさんが登場された回です。
ホールがライターさんを呼ぶ、「ライターイベント」について話していました。
ライターさんがホールに来て実践し、その様子をカメラで撮り、ネットで配信されます。
ホールとしては店の宣伝にもなるので、ライターさんが勝って、さらにその勝った動画を配信されたいと思うのは当然だと思います。
ギャラも払っているでしょうし、負け動画より勝った動画の方が宣伝にもなります。
この理屈はわかるのですが、子供の頃の純粋さを失くしていないある種バカな私は、ホール側は来店するライターさんがどんな台が好きかを調べて、何とかそのライターさんを勝たせようとする、ホールとライターさんの一種の心理戦みたいなものがあるのだと思っていました。
しかしこの動画で話されているのは、ホール側が直接ライターさんに「〇〇の台を打ってください」とお願いする例もあるらしく、私は軽くショックでした。
このブログで「パチンコ業界はグレーだ」と自分で書いておきながら、本当に私はおめでたいお花畑野郎だと再確認しました。
世間の感覚で言えば違法賭博をしているパチンコ店が、そんな甘いことしませんよね〜
しかしここで疑問なのは、あらかじめライターさんに出る台(指定台)を教えることは違法ではないのでしょうか?
これも警察に袖の下を渡せばオッケーになるのでしょうか?
こんなことが横行し過ぎたせいなのか、ライターイベントも規制の対象になってきました。
パチンコもパチスロも新基準機が打ち手に受け入れられなくて、落ち込む一方です。
さらに建物内の禁煙が義務化に向かっているようで、パチンコ屋は今までにないダメージを喰らいそうです。
この先のこの業界の動向は、個人的には気になるところです。できれば打たずに静観していたいですがね(-。-)y-゜゜゜
私が小学生の頃、「ビックリマンチョコ」が大流行しました。
スーパーや近所の駄菓子屋さんに入荷されてもすぐに売り切れてしまい、1人3個までしか買えないとか、シールだけ取ってお菓子を捨ててしまう子もいたので、学校の全校集会で「お菓子を捨てるのはやめましょう」と注意喚起されるほどでした。
一度私は買い物に行く母親に、「もし置いてあったら買ってきて欲しい」とお願いしたことがありました。
珍しく置いてあったらしく、上限の3個を買ってきてくれました。
私は期待しながら封を開けて中のシールを確認したのですが、残念ながらハズレと言えるようなシールしか入っていませんでした。
何も知らない母親は、「いいシール入ってた?」と聞いてきましたが、せっかく買ってきてもらった手前「ハズレだった」とは言えず、「うん、いいの入ってた」と嘘をつきました。
ここで私は母親に嘘をついたことに対して罪悪感を抱き、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのでした。
この話を聞いてどう思います?
母親を気遣った嘘はついてはいけない嘘じゃないのだから、そんな罪悪感なんか感じる必要はないと、今の私なら思います。
しかしこの頃の私は純粋というのか、嘘をつくこと自体が悪であり、理由は何であれ母親に嘘をつく自分は悪い人間だと思ってしまう子供でした。
それから30年経ち、私も少しは変わりましたが、この変な正義感?純粋さ?は未だに少し残っていると感じることがあります。
大崎一万発の本音で話せや
というパチスロライターさんのトーク動画に、ゲストでういちさんが登場された回です。
ホールがライターさんを呼ぶ、「ライターイベント」について話していました。
ライターさんがホールに来て実践し、その様子をカメラで撮り、ネットで配信されます。
ホールとしては店の宣伝にもなるので、ライターさんが勝って、さらにその勝った動画を配信されたいと思うのは当然だと思います。
ギャラも払っているでしょうし、負け動画より勝った動画の方が宣伝にもなります。
この理屈はわかるのですが、子供の頃の純粋さを失くしていないある種バカな私は、ホール側は来店するライターさんがどんな台が好きかを調べて、何とかそのライターさんを勝たせようとする、ホールとライターさんの一種の心理戦みたいなものがあるのだと思っていました。
しかしこの動画で話されているのは、ホール側が直接ライターさんに「〇〇の台を打ってください」とお願いする例もあるらしく、私は軽くショックでした。
このブログで「パチンコ業界はグレーだ」と自分で書いておきながら、本当に私はおめでたいお花畑野郎だと再確認しました。
世間の感覚で言えば違法賭博をしているパチンコ店が、そんな甘いことしませんよね〜
しかしここで疑問なのは、あらかじめライターさんに出る台(指定台)を教えることは違法ではないのでしょうか?
これも警察に袖の下を渡せばオッケーになるのでしょうか?
こんなことが横行し過ぎたせいなのか、ライターイベントも規制の対象になってきました。
パチンコもパチスロも新基準機が打ち手に受け入れられなくて、落ち込む一方です。
さらに建物内の禁煙が義務化に向かっているようで、パチンコ屋は今までにないダメージを喰らいそうです。
この先のこの業界の動向は、個人的には気になるところです。できれば打たずに静観していたいですがね(-。-)y-゜゜゜
2016年11月21日
いじめ
今日2日目のカレーです
今も昔もいじめのニュースは無くなりません。
学校でいじめに遭い、
それを苦に自殺し、
親は悲しみ、
学校は謝罪し、
コメンテーターは声を揃えて
『いじめの無い社会へ』とか
『閉塞的な社会がいじめを生む』などとコメントします。
いじめ発生からコメンテーターの発言まで、
私の子供の頃から何度も繰り返されていますが、
未だにいじめは無くなりません。
いじめって無くなると思います?
すごく非難されそうですが、
私は無くならないと思います。
当然のことながらいじめは良くないことですし、
いじめのニュースを見ると
加害者にはらわたが煮えくり返る思いがします。
加害者は死をもって償えとも思います。
しかしそんな私も子供の頃に
お山の大将で調子に乗っていた時期があり、
私からいじめられたと思っている人もいるかもしれません。
私は友達と思って接していましたが、
怯えてしょうがなく友達のフリをしていたのかもしれません。
5、6年前の同窓会でその友達らは私との昔話を笑って話してくれましたが、
私は昔の自分を思い出すと後悔することもしばしばです。
いじめはいじめている側が遊びと感じていれば続きますし、
そもそも大人の社会にもいじめはあります。
そのことを大人はどう子供に説明するのでしょうか?
人が持つ憎しみや嫉妬、
価値観の相違などがある限り、
減らすことは出来ても撲滅は出来ないと思います。
もし無くせるのであれば戦争や紛争なども無くせるでしょうが、
人同士が争わなかった歴史は聞いたことがありません。
毎日誰かが誰かに殺されています。
いじめは無くならないのであれば、
起こり得るものとして対処した方がいい
と思うのです。
いじめに遭ったらどう対処するか?
誰に相談するか?
相談された人はどう対処するか?
ということが大事ではないでしょうか?
以前読んだ自殺の本で、
思春期の学生が相談する相手として
一番多いのは同級生というのを目にしたことがあります。
自分達が子供の頃を思い返すと分かると思いますが、
心配かけたくないと思って
何かあった時に中々親に相談出来ないものです。
なので私の中では、
年頃の子供が親に学校のことや友達のことでの悩みを打ち明けてくるってことは
相当な覚悟で打ち明けていると思うので、
子供が大丈夫そうに話していても、
『相当重要なサインだと思って親は聞いてあげた方がいい』
と思います。
大体の子供は世界観が狭いと思います。
学校と家庭しか世界を知りません。
なので今の現状から逃げてもいいという
選択肢を持っていなかったりします。
『学校は行かないといけない所』
だと思い込んでいます。
行くに越したことはないですが、
いじめられて死ぬくらい行かないといけない所でもないです。
別の場所で勉強は出来ます。
親の教育方針が関わってきますが、
『いじめられたらやり返すくらいじゃないとダメだ』とか
『今逃げたら困難が来るたびに逃げてしまう』
という意見の人もいると思います。
そこで立ち向かえて乗り越えられたらいいですが、
いじめは『死(自殺)』に繋がる
ことを頭に入れて、
自分の子供がその境遇に耐えられるのかを
ちゃんと考えた上で対処した方がいいと思います。
『自分ならこうする』ではなく、
『この子にはどうするのが良いか』という考えで、
立ち向かう術と逃げる術の
両方の選択肢を与えてあげて欲しいものです。
『親に相談できない悩みを、
赤の他人の先生にはもっと相談できない。
しかも先生に相談してさらに事が大きくなるかもしれないと思うと、
やはり相談できない』
『問題の中心から離れた人の方が逆に相談しやすい。
全然関係のない(と思っている)違うクラスの先生や保健の先生。
(私の時代にはいなかった)スクールカウンセラーの先生や
普段通っている塾の先生の方が気さくに話しやすい』
いじめで助けを求めている時、
私ならこういう思考になりそうです。
学校がいじめを対処するなら、
『担任に相談する』
『担任とは別の学校関係者に相談する』
『学校外の人に相談する』など、
色んな状況を考えて、
その場面にあった対処法を考えないといけないでしょう。
子供同士が相談し合って解決するならいいですが、
行き詰ってしまわないように、
子供たちに他に相談する機関があることを教えるのもいいと思います。
塾の先生が相談されたのなら、
学校に連絡するようにお願いしとくのもいいと思います。
そんなことを言いながら、
私が子供の頃なら自分が情けなくて誰にも相談出来なさそうです。
こんな感じでいじめられている人は中々人に相談できないから、
いじめを解決するのは難しいのだと思います。
でもいじめられている子が限界を感じて自殺してしまうまで、
全く何のサインも出さずに自殺したのかと言えば、
さすがにそんな子は少ないのではないかと思ってしまいます。
だからこそ打ち明けられる側の受け止め方が大切だと思っています。
『うちの学校ではいじめは確認されてない』
何て言っている学校関係者がいる限り、
いじめによる不幸な事件は無くならない様に感じます。
いじめのニュースは無くならないですね
今も昔もいじめのニュースは無くなりません。
学校でいじめに遭い、
それを苦に自殺し、
親は悲しみ、
学校は謝罪し、
コメンテーターは声を揃えて
『いじめの無い社会へ』とか
『閉塞的な社会がいじめを生む』などとコメントします。
いじめ発生からコメンテーターの発言まで、
私の子供の頃から何度も繰り返されていますが、
未だにいじめは無くなりません。
いじめって無くなると思います?
すごく非難されそうですが、
私は無くならないと思います。
当然のことながらいじめは良くないことですし、
いじめのニュースを見ると
加害者にはらわたが煮えくり返る思いがします。
加害者は死をもって償えとも思います。
しかしそんな私も子供の頃に
お山の大将で調子に乗っていた時期があり、
私からいじめられたと思っている人もいるかもしれません。
私は友達と思って接していましたが、
怯えてしょうがなく友達のフリをしていたのかもしれません。
5、6年前の同窓会でその友達らは私との昔話を笑って話してくれましたが、
私は昔の自分を思い出すと後悔することもしばしばです。
いじめは何故起こるのか
いじめはいじめている側が遊びと感じていれば続きますし、
そもそも大人の社会にもいじめはあります。
そのことを大人はどう子供に説明するのでしょうか?
人が持つ憎しみや嫉妬、
価値観の相違などがある限り、
減らすことは出来ても撲滅は出来ないと思います。
もし無くせるのであれば戦争や紛争なども無くせるでしょうが、
人同士が争わなかった歴史は聞いたことがありません。
毎日誰かが誰かに殺されています。
いじめは起こるもの
いじめは無くならないのであれば、
起こり得るものとして対処した方がいい
と思うのです。
いじめに遭ったらどう対処するか?
誰に相談するか?
相談された人はどう対処するか?
ということが大事ではないでしょうか?
以前読んだ自殺の本で、
思春期の学生が相談する相手として
一番多いのは同級生というのを目にしたことがあります。
自分達が子供の頃を思い返すと分かると思いますが、
心配かけたくないと思って
何かあった時に中々親に相談出来ないものです。
なので私の中では、
年頃の子供が親に学校のことや友達のことでの悩みを打ち明けてくるってことは
相当な覚悟で打ち明けていると思うので、
子供が大丈夫そうに話していても、
『相当重要なサインだと思って親は聞いてあげた方がいい』
と思います。
大体の子供は世界観が狭いと思います。
学校と家庭しか世界を知りません。
なので今の現状から逃げてもいいという
選択肢を持っていなかったりします。
『学校は行かないといけない所』
だと思い込んでいます。
行くに越したことはないですが、
いじめられて死ぬくらい行かないといけない所でもないです。
別の場所で勉強は出来ます。
親の教育方針が関わってきますが、
『いじめられたらやり返すくらいじゃないとダメだ』とか
『今逃げたら困難が来るたびに逃げてしまう』
という意見の人もいると思います。
そこで立ち向かえて乗り越えられたらいいですが、
いじめは『死(自殺)』に繋がる
ことを頭に入れて、
自分の子供がその境遇に耐えられるのかを
ちゃんと考えた上で対処した方がいいと思います。
『自分ならこうする』ではなく、
『この子にはどうするのが良いか』という考えで、
立ち向かう術と逃げる術の
両方の選択肢を与えてあげて欲しいものです。
学校は
『親に相談できない悩みを、
赤の他人の先生にはもっと相談できない。
しかも先生に相談してさらに事が大きくなるかもしれないと思うと、
やはり相談できない』
『問題の中心から離れた人の方が逆に相談しやすい。
全然関係のない(と思っている)違うクラスの先生や保健の先生。
(私の時代にはいなかった)スクールカウンセラーの先生や
普段通っている塾の先生の方が気さくに話しやすい』
いじめで助けを求めている時、
私ならこういう思考になりそうです。
学校がいじめを対処するなら、
『担任に相談する』
『担任とは別の学校関係者に相談する』
『学校外の人に相談する』など、
色んな状況を考えて、
その場面にあった対処法を考えないといけないでしょう。
子供同士が相談し合って解決するならいいですが、
行き詰ってしまわないように、
子供たちに他に相談する機関があることを教えるのもいいと思います。
塾の先生が相談されたのなら、
学校に連絡するようにお願いしとくのもいいと思います。
そんなことを言いながら、
私が子供の頃なら自分が情けなくて誰にも相談出来なさそうです。
こんな感じでいじめられている人は中々人に相談できないから、
いじめを解決するのは難しいのだと思います。
でもいじめられている子が限界を感じて自殺してしまうまで、
全く何のサインも出さずに自殺したのかと言えば、
さすがにそんな子は少ないのではないかと思ってしまいます。
だからこそ打ち明けられる側の受け止め方が大切だと思っています。
『うちの学校ではいじめは確認されてない』
何て言っている学校関係者がいる限り、
いじめによる不幸な事件は無くならない様に感じます。
先が見えるなら我慢もできる
だいぶ落ち葉が増えてきて淋しい季節になってきます
いつ寝ても、いつ起きても、いつ食べてもいい生活は本当に幸せで、朝早く起きて通勤電車に乗ってやりたくない仕事をして、作り笑いで周りのご機嫌取りをするストレスフルな生活に戻りたいなんて誰が思います?
どこかの歌で、「幸せばかりだとつまらない」みたいな歌詞を目にしたことがありましたが、本当にそうなんでしょうか?
自分のこの考えは間違っているというは重々承知しています。
大人として生きるならば、嫌なことがあっても社会で頑張り、家庭を築き、出来れば子孫を残して、その子孫を自立させることが大人としての役割でしょう。
しかし残り半分の人生、気力も体力も落ち老けていく一方の人生を楽しめないと諦めた私に、何を目的として生きろというのでしょう。
私にはその人の気持ちはわかりません。多くの人もそうだと思います。
そんな人に、「もっと思いやりを持って人に接しなさい」と言った所で、そう簡単にその人は改心しないと思います。
そんな一般的な常識から大きく逸脱してしまう人は少なからずこの世の中にはいます。
AD/HDやアスペルガー症候群、人格障害などの障害は、最近段々認知されるようになってきましたが、そういう人が生きやすい世の中になったかと言えば全然そうでもなく、まだまだいじめやのけ者の対象になっているのが現状だと思います。
仕事上でアスペルガー症候群の人と関わったこともありますが、相手はアスペルガー症候群だと理解していて、尚且つ仕事という環境下で接していても、こちらの心を乱されることはよくありました。
この人が発達障害の知識もない集合体の中で生きていれば、弾き出されるのも無理はないと感じました。
障害を引き合いに出してしまいましたが、私のようなとんでもない怠け者も社会から大きく逸脱した存在であり、社会から淘汰される存在なのだと思っています。
夫は先に亡くなり、子供のいない橋田さんは、例えば自分が認知症になり、自我が失われて人の世話にならないと生きられないのなら安楽死を望むと。
安楽死が認められているスイスで安楽死ができるように手続きも行っているとか。
自分が存在していることで人に迷惑がかかるのであれば安らかに死にたいと考えるのは、多くの人が希望することだと思います。
そして橋田さんのような人格者ではない怠け者の私も、人に迷惑をかけて生きるのなら安らかに死にたいと思っています。
一定数、私のような社会で生きづらく、もしかしたら人の税金で生活して申し訳ないと思っている人も、安楽死が許されることで生きる余裕ができると思うのです。
死にたいと思っていても、人であるがゆえ、やはり死の苦痛に恐怖します。
前のブログでも書きましたが、いつでも安心して死ねるシステムがあることで、もう少し頑張って生きてみようと思える人たちもいるのです。
海外にまで足を延ばすとなると、自分の好きな人たちに看取ってもらえないので、何とか日本での安楽死が認められるようになることを願うばかりです。
日にちが経つにつれて仕事を探そうとする意欲は減ってます。
いつ寝ても、いつ起きても、いつ食べてもいい生活は本当に幸せで、朝早く起きて通勤電車に乗ってやりたくない仕事をして、作り笑いで周りのご機嫌取りをするストレスフルな生活に戻りたいなんて誰が思います?
どこかの歌で、「幸せばかりだとつまらない」みたいな歌詞を目にしたことがありましたが、本当にそうなんでしょうか?
自分のこの考えは間違っているというは重々承知しています。
大人として生きるならば、嫌なことがあっても社会で頑張り、家庭を築き、出来れば子孫を残して、その子孫を自立させることが大人としての役割でしょう。
しかし残り半分の人生、気力も体力も落ち老けていく一方の人生を楽しめないと諦めた私に、何を目的として生きろというのでしょう。
例えば人を傷つけたり騙したりしても心が痛まない人がいるとします。
私にはその人の気持ちはわかりません。多くの人もそうだと思います。
そんな人に、「もっと思いやりを持って人に接しなさい」と言った所で、そう簡単にその人は改心しないと思います。
そんな一般的な常識から大きく逸脱してしまう人は少なからずこの世の中にはいます。
AD/HDやアスペルガー症候群、人格障害などの障害は、最近段々認知されるようになってきましたが、そういう人が生きやすい世の中になったかと言えば全然そうでもなく、まだまだいじめやのけ者の対象になっているのが現状だと思います。
仕事上でアスペルガー症候群の人と関わったこともありますが、相手はアスペルガー症候群だと理解していて、尚且つ仕事という環境下で接していても、こちらの心を乱されることはよくありました。
この人が発達障害の知識もない集合体の中で生きていれば、弾き出されるのも無理はないと感じました。
障害を引き合いに出してしまいましたが、私のようなとんでもない怠け者も社会から大きく逸脱した存在であり、社会から淘汰される存在なのだと思っています。
脚本家の橋田壽賀子さんが、安楽死について話していたようです。
夫は先に亡くなり、子供のいない橋田さんは、例えば自分が認知症になり、自我が失われて人の世話にならないと生きられないのなら安楽死を望むと。
安楽死が認められているスイスで安楽死ができるように手続きも行っているとか。
自分が存在していることで人に迷惑がかかるのであれば安らかに死にたいと考えるのは、多くの人が希望することだと思います。
そして橋田さんのような人格者ではない怠け者の私も、人に迷惑をかけて生きるのなら安らかに死にたいと思っています。
一定数、私のような社会で生きづらく、もしかしたら人の税金で生活して申し訳ないと思っている人も、安楽死が許されることで生きる余裕ができると思うのです。
死にたいと思っていても、人であるがゆえ、やはり死の苦痛に恐怖します。
前のブログでも書きましたが、いつでも安心して死ねるシステムがあることで、もう少し頑張って生きてみようと思える人たちもいるのです。
海外にまで足を延ばすとなると、自分の好きな人たちに看取ってもらえないので、何とか日本での安楽死が認められるようになることを願うばかりです。