2016年11月21日
先が見えるなら我慢もできる
だいぶ落ち葉が増えてきて淋しい季節になってきます
いつ寝ても、いつ起きても、いつ食べてもいい生活は本当に幸せで、朝早く起きて通勤電車に乗ってやりたくない仕事をして、作り笑いで周りのご機嫌取りをするストレスフルな生活に戻りたいなんて誰が思います?
どこかの歌で、「幸せばかりだとつまらない」みたいな歌詞を目にしたことがありましたが、本当にそうなんでしょうか?
自分のこの考えは間違っているというは重々承知しています。
大人として生きるならば、嫌なことがあっても社会で頑張り、家庭を築き、出来れば子孫を残して、その子孫を自立させることが大人としての役割でしょう。
しかし残り半分の人生、気力も体力も落ち老けていく一方の人生を楽しめないと諦めた私に、何を目的として生きろというのでしょう。
私にはその人の気持ちはわかりません。多くの人もそうだと思います。
そんな人に、「もっと思いやりを持って人に接しなさい」と言った所で、そう簡単にその人は改心しないと思います。
そんな一般的な常識から大きく逸脱してしまう人は少なからずこの世の中にはいます。
AD/HDやアスペルガー症候群、人格障害などの障害は、最近段々認知されるようになってきましたが、そういう人が生きやすい世の中になったかと言えば全然そうでもなく、まだまだいじめやのけ者の対象になっているのが現状だと思います。
仕事上でアスペルガー症候群の人と関わったこともありますが、相手はアスペルガー症候群だと理解していて、尚且つ仕事という環境下で接していても、こちらの心を乱されることはよくありました。
この人が発達障害の知識もない集合体の中で生きていれば、弾き出されるのも無理はないと感じました。
障害を引き合いに出してしまいましたが、私のようなとんでもない怠け者も社会から大きく逸脱した存在であり、社会から淘汰される存在なのだと思っています。
夫は先に亡くなり、子供のいない橋田さんは、例えば自分が認知症になり、自我が失われて人の世話にならないと生きられないのなら安楽死を望むと。
安楽死が認められているスイスで安楽死ができるように手続きも行っているとか。
自分が存在していることで人に迷惑がかかるのであれば安らかに死にたいと考えるのは、多くの人が希望することだと思います。
そして橋田さんのような人格者ではない怠け者の私も、人に迷惑をかけて生きるのなら安らかに死にたいと思っています。
一定数、私のような社会で生きづらく、もしかしたら人の税金で生活して申し訳ないと思っている人も、安楽死が許されることで生きる余裕ができると思うのです。
死にたいと思っていても、人であるがゆえ、やはり死の苦痛に恐怖します。
前のブログでも書きましたが、いつでも安心して死ねるシステムがあることで、もう少し頑張って生きてみようと思える人たちもいるのです。
海外にまで足を延ばすとなると、自分の好きな人たちに看取ってもらえないので、何とか日本での安楽死が認められるようになることを願うばかりです。
日にちが経つにつれて仕事を探そうとする意欲は減ってます。
いつ寝ても、いつ起きても、いつ食べてもいい生活は本当に幸せで、朝早く起きて通勤電車に乗ってやりたくない仕事をして、作り笑いで周りのご機嫌取りをするストレスフルな生活に戻りたいなんて誰が思います?
どこかの歌で、「幸せばかりだとつまらない」みたいな歌詞を目にしたことがありましたが、本当にそうなんでしょうか?
自分のこの考えは間違っているというは重々承知しています。
大人として生きるならば、嫌なことがあっても社会で頑張り、家庭を築き、出来れば子孫を残して、その子孫を自立させることが大人としての役割でしょう。
しかし残り半分の人生、気力も体力も落ち老けていく一方の人生を楽しめないと諦めた私に、何を目的として生きろというのでしょう。
例えば人を傷つけたり騙したりしても心が痛まない人がいるとします。
私にはその人の気持ちはわかりません。多くの人もそうだと思います。
そんな人に、「もっと思いやりを持って人に接しなさい」と言った所で、そう簡単にその人は改心しないと思います。
そんな一般的な常識から大きく逸脱してしまう人は少なからずこの世の中にはいます。
AD/HDやアスペルガー症候群、人格障害などの障害は、最近段々認知されるようになってきましたが、そういう人が生きやすい世の中になったかと言えば全然そうでもなく、まだまだいじめやのけ者の対象になっているのが現状だと思います。
仕事上でアスペルガー症候群の人と関わったこともありますが、相手はアスペルガー症候群だと理解していて、尚且つ仕事という環境下で接していても、こちらの心を乱されることはよくありました。
この人が発達障害の知識もない集合体の中で生きていれば、弾き出されるのも無理はないと感じました。
障害を引き合いに出してしまいましたが、私のようなとんでもない怠け者も社会から大きく逸脱した存在であり、社会から淘汰される存在なのだと思っています。
脚本家の橋田壽賀子さんが、安楽死について話していたようです。
夫は先に亡くなり、子供のいない橋田さんは、例えば自分が認知症になり、自我が失われて人の世話にならないと生きられないのなら安楽死を望むと。
安楽死が認められているスイスで安楽死ができるように手続きも行っているとか。
自分が存在していることで人に迷惑がかかるのであれば安らかに死にたいと考えるのは、多くの人が希望することだと思います。
そして橋田さんのような人格者ではない怠け者の私も、人に迷惑をかけて生きるのなら安らかに死にたいと思っています。
一定数、私のような社会で生きづらく、もしかしたら人の税金で生活して申し訳ないと思っている人も、安楽死が許されることで生きる余裕ができると思うのです。
死にたいと思っていても、人であるがゆえ、やはり死の苦痛に恐怖します。
前のブログでも書きましたが、いつでも安心して死ねるシステムがあることで、もう少し頑張って生きてみようと思える人たちもいるのです。
海外にまで足を延ばすとなると、自分の好きな人たちに看取ってもらえないので、何とか日本での安楽死が認められるようになることを願うばかりです。
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