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2016年12月15日
いざ初老へ その2
みんなが集まる結婚式までにせめて内定は貰いたいです。じゃないと肩身が狭すぎます(;^ω^)
少し前の「水曜日のダウンタウン」で、タレントがスタッフからロケ車で待っていて下さいと言われてどれくらい待てるのかというのを、警察犬がエサを前に「待て」と命じられて待っているのとどちらが待てるのかを検証していました。
オードリーの春日さんは6時間も車の中で待ち続け、日も暮れてしまい、警察犬がエサを食べずにその場を離れてしまったため、春日さんの勝ちになりました。
よく春日さん6時間も待つな〜と驚きでしたが、警察犬はどこに行ってしまったのか疑問でした。
警察犬の訓練士さんによれば、暗くなっても訓練士さんが現れないため、心配して探しに行こうとその場を離れたのだと言っていました。
スタジオの人たちは「へえ〜」と感心していましたが、私は感動して1人部屋で涙をこぼしていました。
とにかくこの5年くらいで私の涙腺は確実にその機能を失いつつあります。
子供の頃テレビを見て泣いていた母親を茶化していた私が、今やその母親よりも泣いていますからね。
恋愛はもうひとつ感動しませんが、親子、友情、兄弟系の感動話はすぐに泣けてしまうようになりました。
ふと空を見上げて、小さい頃いつも一緒にいてくれたおばあちゃんを思い出すだけで目の前がぼやけてきます。
この文章を書いているだけで目頭が熱くなります。
もうジジイですね(*‘∀‘)
少し前の「水曜日のダウンタウン」で、タレントがスタッフからロケ車で待っていて下さいと言われてどれくらい待てるのかというのを、警察犬がエサを前に「待て」と命じられて待っているのとどちらが待てるのかを検証していました。
オードリーの春日さんは6時間も車の中で待ち続け、日も暮れてしまい、警察犬がエサを食べずにその場を離れてしまったため、春日さんの勝ちになりました。
よく春日さん6時間も待つな〜と驚きでしたが、警察犬はどこに行ってしまったのか疑問でした。
警察犬の訓練士さんによれば、暗くなっても訓練士さんが現れないため、心配して探しに行こうとその場を離れたのだと言っていました。
スタジオの人たちは「へえ〜」と感心していましたが、私は感動して1人部屋で涙をこぼしていました。
とにかくこの5年くらいで私の涙腺は確実にその機能を失いつつあります。
子供の頃テレビを見て泣いていた母親を茶化していた私が、今やその母親よりも泣いていますからね。
恋愛はもうひとつ感動しませんが、親子、友情、兄弟系の感動話はすぐに泣けてしまうようになりました。
ふと空を見上げて、小さい頃いつも一緒にいてくれたおばあちゃんを思い出すだけで目の前がぼやけてきます。
この文章を書いているだけで目頭が熱くなります。
もうジジイですね(*‘∀‘)
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2016年12月13日
いざ初老へ
面接の結果が来ない・・・
30代後半にもなると自分が年を取ったことを実感する機会が多いのですが、
脳というか思考が老いたと感じることも出てきます。
私の父親はテレビが嫌いで夕飯時にニュースくらいはギリオッケーだとしても、
バラエティなんかはアウトでした。
子供心に何でそんなに嫌いなのかわかりませんでしたが、
最近は私もテレビ嫌いになっています。
子供の頃から私はドラマ・映画はほとんど見ません。
歌番組も自分が好きなアーティストが出るなら見ていましたが、
私が好きなアーティストはもう歌番組に出ることも無くなり、
歌番組も見ることは無くなりました。
特に好きなアイドルもいないし、
ジャニーズは好きではないので必然的にその関連の番組も見ません。
残るのはニュース、バラエティ、クイズ、
教養番組、ドキュメンタリー番組などになるでしょうか。
子供の脳はスポンジで、
吸収率がすごいと学校の先生は言っていました。
大人になると脳が衰え、
新たに何か学んだり憶えたりする事が難しくなるとも言っていました。
『そんなのは子供に勉強させるための詭弁だ!』
と思っていましたが、
自分が大人になって先生の言っていたことは正しかったと痛感します。
何というか、好き嫌いがハッキリしてきて、
嫌いなものはどんどん嫌いになり、
好きなものはそれに固執するようになってきたような気がします。
『年寄りは頑固だ』の理論に
どうやら私は片足を突っ込んでいるみたいです。
自分の嫌いなものを見ようとせず、
自分が心地よいものだけを選ぶようになっています。
私は芸能人で特に嫌いな人なんていなかったのに最近は嫌いな人が増えました。
特に最近出だした人とも限らず、
昔からいる人も嫌いになったりしています。
バラエティも芸人さんだけではなく、俳優さん、タレントさん、アイドルまで幅広く共演することが多いため、
その中で嫌いな人が出ていると見ないし、
ニュース番組もあった出来事だけ伝えてくれればいいのに、
そこにアナウンサー個人の意見やコメンテーターの意見をやたら交えてくると見たくなくなりますし、
子供や若い人が亡くなるニュースは胸が痛くて見ていられなくなりました。
あと夕方のニュースで芸能ニュースはやめて欲しいです、
クソくだらないので。
以前は見なくてもテレビはつけていましたが、
最近はつけないかBGM代わりに通販や地方局にしています。
こうやって自分の好きなものや考え方しか受け付けなくなり、
口うるさい爺さんになっていくんだろうな。
そして誰にも看取られずに病死か自殺するんだろうなとこの先を憂いております=^_^=
30代後半にもなると自分が年を取ったことを実感する機会が多いのですが、
脳というか思考が老いたと感じることも出てきます。
私の父親はテレビが嫌いで夕飯時にニュースくらいはギリオッケーだとしても、
バラエティなんかはアウトでした。
子供心に何でそんなに嫌いなのかわかりませんでしたが、
最近は私もテレビ嫌いになっています。
子供の頃から私はドラマ・映画はほとんど見ません。
歌番組も自分が好きなアーティストが出るなら見ていましたが、
私が好きなアーティストはもう歌番組に出ることも無くなり、
歌番組も見ることは無くなりました。
特に好きなアイドルもいないし、
ジャニーズは好きではないので必然的にその関連の番組も見ません。
残るのはニュース、バラエティ、クイズ、
教養番組、ドキュメンタリー番組などになるでしょうか。
子供の脳はスポンジで、
吸収率がすごいと学校の先生は言っていました。
大人になると脳が衰え、
新たに何か学んだり憶えたりする事が難しくなるとも言っていました。
『そんなのは子供に勉強させるための詭弁だ!』
と思っていましたが、
自分が大人になって先生の言っていたことは正しかったと痛感します。
何というか、好き嫌いがハッキリしてきて、
嫌いなものはどんどん嫌いになり、
好きなものはそれに固執するようになってきたような気がします。
『年寄りは頑固だ』の理論に
どうやら私は片足を突っ込んでいるみたいです。
自分の嫌いなものを見ようとせず、
自分が心地よいものだけを選ぶようになっています。
私は芸能人で特に嫌いな人なんていなかったのに最近は嫌いな人が増えました。
特に最近出だした人とも限らず、
昔からいる人も嫌いになったりしています。
バラエティも芸人さんだけではなく、俳優さん、タレントさん、アイドルまで幅広く共演することが多いため、
その中で嫌いな人が出ていると見ないし、
ニュース番組もあった出来事だけ伝えてくれればいいのに、
そこにアナウンサー個人の意見やコメンテーターの意見をやたら交えてくると見たくなくなりますし、
子供や若い人が亡くなるニュースは胸が痛くて見ていられなくなりました。
あと夕方のニュースで芸能ニュースはやめて欲しいです、
クソくだらないので。
以前は見なくてもテレビはつけていましたが、
最近はつけないかBGM代わりに通販や地方局にしています。
こうやって自分の好きなものや考え方しか受け付けなくなり、
口うるさい爺さんになっていくんだろうな。
そして誰にも看取られずに病死か自殺するんだろうなとこの先を憂いております=^_^=
人の歴史
従妹の結婚式に出席することになりました。スーツがパンパンでヤバい(>_<)
「え〜と、それは俺が入社して3年くらい経った時の話だ。懐かしいね〜。」
30代、40代ともなると、会社の飲み会なんかでそんな会話をすることもあるでしょう。
実は私はこんな会話に憧れています。
自分の歴史を語れるというのはそれだけ築いたものがあるということで、自業自得ではありますが、3、4年で仕事を転々としている私には語る歴史がありません。
本宮ひろ志さんの漫画「男樹」で、「10代で何をやったかで20代が決まり、20代で何をやったかで30代が決まる」というようなセリフがあります。
この年になって、このセリフの意味が痛いほどわかります。
人間は結局やってきたことが結果になり、それが成功であろうと失敗であろうと、良いことであろうと悪いことであろうと、その人の身に付くことになります。
何かをやれば何かが身に付き、何もしなければ何も身に付かない。
極々当たり前のことですが、私はそんな簡単なことも意識せず、いいやいいやで楽な方に流れ、現在の振り返る歴史もない人間になってしまいました。
このブログのテーマは「反面教師」でやっています。
こんな私を見て、「こうなってはマズい」と思って危機感を持ってもらえるのが一番です。
「こんな人もいるから自分はまだ安心だ」と思って、安心感や優越感を持ってもらうのもアリです。
ただ特に若い人に言いたいですが、若い頃はやり直せるというのはそうだと思いますが、だからと言ってその若さの上に胡坐を掻いていては私のようになってしまう恐れがあるので用心してくださいね。
「え〜と、それは俺が入社して3年くらい経った時の話だ。懐かしいね〜。」
30代、40代ともなると、会社の飲み会なんかでそんな会話をすることもあるでしょう。
実は私はこんな会話に憧れています。
自分の歴史を語れるというのはそれだけ築いたものがあるということで、自業自得ではありますが、3、4年で仕事を転々としている私には語る歴史がありません。
本宮ひろ志さんの漫画「男樹」で、「10代で何をやったかで20代が決まり、20代で何をやったかで30代が決まる」というようなセリフがあります。
この年になって、このセリフの意味が痛いほどわかります。
人間は結局やってきたことが結果になり、それが成功であろうと失敗であろうと、良いことであろうと悪いことであろうと、その人の身に付くことになります。
何かをやれば何かが身に付き、何もしなければ何も身に付かない。
極々当たり前のことですが、私はそんな簡単なことも意識せず、いいやいいやで楽な方に流れ、現在の振り返る歴史もない人間になってしまいました。
このブログのテーマは「反面教師」でやっています。
こんな私を見て、「こうなってはマズい」と思って危機感を持ってもらえるのが一番です。
「こんな人もいるから自分はまだ安心だ」と思って、安心感や優越感を持ってもらうのもアリです。
ただ特に若い人に言いたいですが、若い頃はやり直せるというのはそうだと思いますが、だからと言ってその若さの上に胡坐を掻いていては私のようになってしまう恐れがあるので用心してくださいね。
2016年12月10日
色覚異常を知ってもらいたい
毎日12時間寝ています(-_-)zzz
この数年間は自分が色覚異常であることをオープンにしようとしています。
先日の面接でも色覚異常であることは話しました。
男性の約20人に1人、
女性の約500人に1人の割合で生まれてきます。
ですが私以外の色覚異常の人に会った事は今まで1人しかいません。
学校の1クラスに1人か2人はいる計算なのに39年間生きてきて1人しか会った事がないって、
やっぱり隠して生きてきている人が多いんでしょうか?
そもそも見た目ではわかりませんからね。
あっ、昔騙された電気治療の施設(和同会)にはいっぱいいましたね(´-ω-`)
前職でも今回の面接でも、色覚異常を知っている人はいませんでした。
本当に初耳らしく、そんな病気?障害?が存在していることすら知らないみたいで、
大抵の人は『どういう風に見えるんですか?』と尋ねてきます。
普通の人からすれば素朴な疑問なんでしょうが、
そもそも普通に見えている人の見え方がわからないので、
どう説明していいのか難しいんですよね。
緑と赤が見分けづらいということもありますが、
ポストや消防車が緑には見えないです。
普通の人からすれば濃い赤だろうが薄い赤だろうが赤は赤なんでしょうが、
同じ色でもその濃淡で分からなくなりますし、
薄い赤・緑・茶や薄いピンク・灰色・水色なんかは見分けづらかったりします。
こう説明はできますが、実際色は何パターンもあるので、
上記した以外の色でも区別しづらい色も当然あり、
自分でも何がどう見分けづらいのか分からなくなるんですよね。
1人で生活するのに困ることはないですが、
やっぱり集団の社会で仕事をするとなると困ることは出てきます。
物を区別するとき、番号や言葉で区別するところがあれば色で区別するところもあります。
色覚異常は障害認定もされていないので、国が特に対策したりもしていません。
確かに少しの工夫(なるべく色で区別しないか、色覚異常でも区別しやすい色を使う)でこちらは随分不便さが無くなるので、
障害とまでは言えないかなと思います。
しかし認知度の低さから、色覚異常者のために改善しようとする動きも見られません。
困っていることすら普通の人は知りませんもんね。
私のような当事者の方が本を書いたりしていますが、
まだまだ色覚異常の認知度は昔からそんなに変わっていると思えません。
そんな人が存在して、そんな人がちょっと不便に感じて生活していることを知ってもらえたらと思います。
でも色覚異常のせいでやりたいことができなかった人にとっては、
『ちょっと不便』くらいでは済まないでしょうけど。
あらゆる病気や障害が存在するせいで生活に支障を来たす人たちがいます。
神様は不平等だと思います。
『障害は個性』
と五体満足の人が言っていたら、私は腹が立ちます。
個性な部分もあるかもしれませんが、それで苦しむ人にとっては障害は無い方がいいに決まっています。
治らない病気や障害が多い中、その全ての病気や障害を全ての人に認知してもらうというのは少し無理があるでしょう。
だからこそ少しでも知ってもらうことで、周りが気にかけたり対策をしてくれたりすることもあるかもしれません。
『どういう風に見えてるの?』の問いに答えるのは面倒で説明も難しいですが、
話せる場があれば少しでも多くの人に知ってもらうため、
私は色覚異常をなるべく隠さない様にしたいと思っています。
この数年間は自分が色覚異常であることをオープンにしようとしています。
先日の面接でも色覚異常であることは話しました。
男性の約20人に1人、
女性の約500人に1人の割合で生まれてきます。
ですが私以外の色覚異常の人に会った事は今まで1人しかいません。
学校の1クラスに1人か2人はいる計算なのに39年間生きてきて1人しか会った事がないって、
やっぱり隠して生きてきている人が多いんでしょうか?
そもそも見た目ではわかりませんからね。
あっ、昔騙された電気治療の施設(和同会)にはいっぱいいましたね(´-ω-`)
前職でも今回の面接でも、色覚異常を知っている人はいませんでした。
本当に初耳らしく、そんな病気?障害?が存在していることすら知らないみたいで、
大抵の人は『どういう風に見えるんですか?』と尋ねてきます。
普通の人からすれば素朴な疑問なんでしょうが、
そもそも普通に見えている人の見え方がわからないので、
どう説明していいのか難しいんですよね。
緑と赤が見分けづらいということもありますが、
ポストや消防車が緑には見えないです。
普通の人からすれば濃い赤だろうが薄い赤だろうが赤は赤なんでしょうが、
同じ色でもその濃淡で分からなくなりますし、
薄い赤・緑・茶や薄いピンク・灰色・水色なんかは見分けづらかったりします。
こう説明はできますが、実際色は何パターンもあるので、
上記した以外の色でも区別しづらい色も当然あり、
自分でも何がどう見分けづらいのか分からなくなるんですよね。
1人で生活するのに困ることはないですが、
やっぱり集団の社会で仕事をするとなると困ることは出てきます。
物を区別するとき、番号や言葉で区別するところがあれば色で区別するところもあります。
色覚異常は障害認定もされていないので、国が特に対策したりもしていません。
確かに少しの工夫(なるべく色で区別しないか、色覚異常でも区別しやすい色を使う)でこちらは随分不便さが無くなるので、
障害とまでは言えないかなと思います。
しかし認知度の低さから、色覚異常者のために改善しようとする動きも見られません。
困っていることすら普通の人は知りませんもんね。
私のような当事者の方が本を書いたりしていますが、
まだまだ色覚異常の認知度は昔からそんなに変わっていると思えません。
そんな人が存在して、そんな人がちょっと不便に感じて生活していることを知ってもらえたらと思います。
でも色覚異常のせいでやりたいことができなかった人にとっては、
『ちょっと不便』くらいでは済まないでしょうけど。
あらゆる病気や障害が存在するせいで生活に支障を来たす人たちがいます。
神様は不平等だと思います。
『障害は個性』
と五体満足の人が言っていたら、私は腹が立ちます。
個性な部分もあるかもしれませんが、それで苦しむ人にとっては障害は無い方がいいに決まっています。
治らない病気や障害が多い中、その全ての病気や障害を全ての人に認知してもらうというのは少し無理があるでしょう。
だからこそ少しでも知ってもらうことで、周りが気にかけたり対策をしてくれたりすることもあるかもしれません。
『どういう風に見えてるの?』の問いに答えるのは面倒で説明も難しいですが、
話せる場があれば少しでも多くの人に知ってもらうため、
私は色覚異常をなるべく隠さない様にしたいと思っています。
タグ:色覚異常
2016年12月08日
無職の戯言
郵便受けの中に来年のゴミカレンダーが入っていました。年の瀬を感じます。
面接受けてきました。
ちょっと見ただけなんで具体的にどんな職場なのかはわかりませんが、雰囲気は良さそうでした。
特例子会社という所です。
50人以上の従業員を抱える会社は、その従業員数の2%の割合で障がい者を雇わないといけません。
大企業になると2%でもまあまあの人数になります。
そういった障がい者の人たちだけで構成された会社を特例子会社というそうです。
障がい者だけでは仕事を回すのも困難なケースもあるので、それをサポートする職員が必要です。
今回私が応募したのがその職員の求人です。
主に知的障害の人たちが多いと聞いていましたが、仕事をやれるだけあって、皆さんの障害自体はそこまで重いようには見受けられませんでした。
いや、ハンデがありながら頑張っている人が多いみたいです。私なんかよりもちゃんと生きています。
前にも書きましたが、正直私は惰性で生きています。
ピークは小学校高学年から中学生でして、高校入学からどんどん右肩下がりでそのまま今に至ります。
今の私なんかスポーツ選手で言えばとっくに引退している選手です。現役にしがみつくレベルではなく、チームの中の邪魔者でしかないレベル。
ただスポーツではないので、そう簡単に引退できません。
だから私の惰性の人生のために他者を巻き込むのは忍びないのです。
面接に行けばやる気があるような発言をしますし、仕事に対する理念なんか無いのに、さもあるかのような振る舞いを見せます。
私が大学生の頃就活をしなかったの理由がそれです。
仕事をやりたくないのが本音なのに、嘘をついて面接を受けるのが嫌だったんです。会社にも失礼だと思っていましたし。
しかし食うためには働かないといけません。
金のためと割り切って派遣を転々とします。
それで年だけ取って、何のスキルもない人間が出来上がります。
国や経営者は、思考停止した労働者を求めています。
労働者のほとんどがサラリーマンです。
例えばこのサラリーマンたちが自分のやりたいことをやるんだ!とみんなが独立してしまうと、経営者は困ります。経営者の思い描いていることを実現するためにサラリーマンは働いているのです。
駒がいないと会社は成り立ちませんから。ほとんどのサラリーマンは駒です。
だからなのか、日本ではお金の流れや仕事について学ぶ機会がありません。社会に出てから自分で調べるようになります。
本来なら学生のうちにそういったことを学ぶべきだと思うのですが、やはり従順な羊を育てていわゆる「社畜」という奴になってもらわないと困るので、敢えて学ぶ機会を与えないのでしょうか?
世の中の文明が進み、生活が便利になったというのに、仕事のスタイルって昔からあまり変わっていない様に思います。
これだけパソコンが普及しているのに、いつまでも手書きの書類がもてはやされます。
私の前職では何十枚の同じような書類を書くのに丸一日使ったこともありました。同じ内容を何十枚も延々と手書きして。これでも元請会社は大企業だったんですけどね。
今回履歴書を3枚書きましたが、パソコンなら失敗もしませんし、学歴や職歴なんかはコピー&ペーストで3秒もかかりません。
それなのに手書きが常識という訳のわからないルールは変わらず、書き間違えた数枚の履歴書と職務経歴書は捨てる羽目になります。
紙がもったいなくないですか?
とにかくこの日本独自の悪しき慣習を見直して、もっと効率よく仕事をすれば時間は他に使えますし、残業も減って経営者にも労働者にも利点があると思うのですが。
そして会社に行って働くだけが労働ではなく、お金を得る方法は色んな方法があることを子供の頃から学ぶべきだと思います。
そうすれば私のような組織に属して働くのが苦手な人にも一筋の光が見えてくるかもしれません。
日本人の根本にある、「楽してお金を得るなんてけしからん」とか「社会のため人のために骨身を惜しまず頑張るのが労働だ」みたいな、稼いでいる人たちに対する嫉妬からくる「私が苦労したんだから次の世代も同じように苦労しろ」という狂ったような負の連鎖はやめませんか?
失敗を重ねて人は成長します。
でも必要のないことを修行の様にやり続ける意味はないと思います。
私の仕事をやりたくない言い訳を長々と聞いて下さりありがとうございましたm(__)m
面接受けてきました。
ちょっと見ただけなんで具体的にどんな職場なのかはわかりませんが、雰囲気は良さそうでした。
特例子会社という所です。
50人以上の従業員を抱える会社は、その従業員数の2%の割合で障がい者を雇わないといけません。
大企業になると2%でもまあまあの人数になります。
そういった障がい者の人たちだけで構成された会社を特例子会社というそうです。
障がい者だけでは仕事を回すのも困難なケースもあるので、それをサポートする職員が必要です。
今回私が応募したのがその職員の求人です。
主に知的障害の人たちが多いと聞いていましたが、仕事をやれるだけあって、皆さんの障害自体はそこまで重いようには見受けられませんでした。
いや、ハンデがありながら頑張っている人が多いみたいです。私なんかよりもちゃんと生きています。
前にも書きましたが、正直私は惰性で生きています。
ピークは小学校高学年から中学生でして、高校入学からどんどん右肩下がりでそのまま今に至ります。
今の私なんかスポーツ選手で言えばとっくに引退している選手です。現役にしがみつくレベルではなく、チームの中の邪魔者でしかないレベル。
ただスポーツではないので、そう簡単に引退できません。
だから私の惰性の人生のために他者を巻き込むのは忍びないのです。
面接に行けばやる気があるような発言をしますし、仕事に対する理念なんか無いのに、さもあるかのような振る舞いを見せます。
私が大学生の頃就活をしなかったの理由がそれです。
仕事をやりたくないのが本音なのに、嘘をついて面接を受けるのが嫌だったんです。会社にも失礼だと思っていましたし。
しかし食うためには働かないといけません。
金のためと割り切って派遣を転々とします。
それで年だけ取って、何のスキルもない人間が出来上がります。
国や経営者は、思考停止した労働者を求めています。
労働者のほとんどがサラリーマンです。
例えばこのサラリーマンたちが自分のやりたいことをやるんだ!とみんなが独立してしまうと、経営者は困ります。経営者の思い描いていることを実現するためにサラリーマンは働いているのです。
駒がいないと会社は成り立ちませんから。ほとんどのサラリーマンは駒です。
だからなのか、日本ではお金の流れや仕事について学ぶ機会がありません。社会に出てから自分で調べるようになります。
本来なら学生のうちにそういったことを学ぶべきだと思うのですが、やはり従順な羊を育てていわゆる「社畜」という奴になってもらわないと困るので、敢えて学ぶ機会を与えないのでしょうか?
世の中の文明が進み、生活が便利になったというのに、仕事のスタイルって昔からあまり変わっていない様に思います。
これだけパソコンが普及しているのに、いつまでも手書きの書類がもてはやされます。
私の前職では何十枚の同じような書類を書くのに丸一日使ったこともありました。同じ内容を何十枚も延々と手書きして。これでも元請会社は大企業だったんですけどね。
今回履歴書を3枚書きましたが、パソコンなら失敗もしませんし、学歴や職歴なんかはコピー&ペーストで3秒もかかりません。
それなのに手書きが常識という訳のわからないルールは変わらず、書き間違えた数枚の履歴書と職務経歴書は捨てる羽目になります。
紙がもったいなくないですか?
とにかくこの日本独自の悪しき慣習を見直して、もっと効率よく仕事をすれば時間は他に使えますし、残業も減って経営者にも労働者にも利点があると思うのですが。
そして会社に行って働くだけが労働ではなく、お金を得る方法は色んな方法があることを子供の頃から学ぶべきだと思います。
そうすれば私のような組織に属して働くのが苦手な人にも一筋の光が見えてくるかもしれません。
日本人の根本にある、「楽してお金を得るなんてけしからん」とか「社会のため人のために骨身を惜しまず頑張るのが労働だ」みたいな、稼いでいる人たちに対する嫉妬からくる「私が苦労したんだから次の世代も同じように苦労しろ」という狂ったような負の連鎖はやめませんか?
失敗を重ねて人は成長します。
でも必要のないことを修行の様にやり続ける意味はないと思います。
私の仕事をやりたくない言い訳を長々と聞いて下さりありがとうございましたm(__)m
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