2016年12月08日
無職の戯言
郵便受けの中に来年のゴミカレンダーが入っていました。年の瀬を感じます。
面接受けてきました。
ちょっと見ただけなんで具体的にどんな職場なのかはわかりませんが、雰囲気は良さそうでした。
特例子会社という所です。
50人以上の従業員を抱える会社は、その従業員数の2%の割合で障がい者を雇わないといけません。
大企業になると2%でもまあまあの人数になります。
そういった障がい者の人たちだけで構成された会社を特例子会社というそうです。
障がい者だけでは仕事を回すのも困難なケースもあるので、それをサポートする職員が必要です。
今回私が応募したのがその職員の求人です。
主に知的障害の人たちが多いと聞いていましたが、仕事をやれるだけあって、皆さんの障害自体はそこまで重いようには見受けられませんでした。
いや、ハンデがありながら頑張っている人が多いみたいです。私なんかよりもちゃんと生きています。
前にも書きましたが、正直私は惰性で生きています。
ピークは小学校高学年から中学生でして、高校入学からどんどん右肩下がりでそのまま今に至ります。
今の私なんかスポーツ選手で言えばとっくに引退している選手です。現役にしがみつくレベルではなく、チームの中の邪魔者でしかないレベル。
ただスポーツではないので、そう簡単に引退できません。
だから私の惰性の人生のために他者を巻き込むのは忍びないのです。
面接に行けばやる気があるような発言をしますし、仕事に対する理念なんか無いのに、さもあるかのような振る舞いを見せます。
私が大学生の頃就活をしなかったの理由がそれです。
仕事をやりたくないのが本音なのに、嘘をついて面接を受けるのが嫌だったんです。会社にも失礼だと思っていましたし。
しかし食うためには働かないといけません。
金のためと割り切って派遣を転々とします。
それで年だけ取って、何のスキルもない人間が出来上がります。
国や経営者は、思考停止した労働者を求めています。
労働者のほとんどがサラリーマンです。
例えばこのサラリーマンたちが自分のやりたいことをやるんだ!とみんなが独立してしまうと、経営者は困ります。経営者の思い描いていることを実現するためにサラリーマンは働いているのです。
駒がいないと会社は成り立ちませんから。ほとんどのサラリーマンは駒です。
だからなのか、日本ではお金の流れや仕事について学ぶ機会がありません。社会に出てから自分で調べるようになります。
本来なら学生のうちにそういったことを学ぶべきだと思うのですが、やはり従順な羊を育てていわゆる「社畜」という奴になってもらわないと困るので、敢えて学ぶ機会を与えないのでしょうか?
世の中の文明が進み、生活が便利になったというのに、仕事のスタイルって昔からあまり変わっていない様に思います。
これだけパソコンが普及しているのに、いつまでも手書きの書類がもてはやされます。
私の前職では何十枚の同じような書類を書くのに丸一日使ったこともありました。同じ内容を何十枚も延々と手書きして。これでも元請会社は大企業だったんですけどね。
今回履歴書を3枚書きましたが、パソコンなら失敗もしませんし、学歴や職歴なんかはコピー&ペーストで3秒もかかりません。
それなのに手書きが常識という訳のわからないルールは変わらず、書き間違えた数枚の履歴書と職務経歴書は捨てる羽目になります。
紙がもったいなくないですか?
とにかくこの日本独自の悪しき慣習を見直して、もっと効率よく仕事をすれば時間は他に使えますし、残業も減って経営者にも労働者にも利点があると思うのですが。
そして会社に行って働くだけが労働ではなく、お金を得る方法は色んな方法があることを子供の頃から学ぶべきだと思います。
そうすれば私のような組織に属して働くのが苦手な人にも一筋の光が見えてくるかもしれません。
日本人の根本にある、「楽してお金を得るなんてけしからん」とか「社会のため人のために骨身を惜しまず頑張るのが労働だ」みたいな、稼いでいる人たちに対する嫉妬からくる「私が苦労したんだから次の世代も同じように苦労しろ」という狂ったような負の連鎖はやめませんか?
失敗を重ねて人は成長します。
でも必要のないことを修行の様にやり続ける意味はないと思います。
私の仕事をやりたくない言い訳を長々と聞いて下さりありがとうございましたm(__)m
面接受けてきました。
ちょっと見ただけなんで具体的にどんな職場なのかはわかりませんが、雰囲気は良さそうでした。
特例子会社という所です。
50人以上の従業員を抱える会社は、その従業員数の2%の割合で障がい者を雇わないといけません。
大企業になると2%でもまあまあの人数になります。
そういった障がい者の人たちだけで構成された会社を特例子会社というそうです。
障がい者だけでは仕事を回すのも困難なケースもあるので、それをサポートする職員が必要です。
今回私が応募したのがその職員の求人です。
主に知的障害の人たちが多いと聞いていましたが、仕事をやれるだけあって、皆さんの障害自体はそこまで重いようには見受けられませんでした。
いや、ハンデがありながら頑張っている人が多いみたいです。私なんかよりもちゃんと生きています。
前にも書きましたが、正直私は惰性で生きています。
ピークは小学校高学年から中学生でして、高校入学からどんどん右肩下がりでそのまま今に至ります。
今の私なんかスポーツ選手で言えばとっくに引退している選手です。現役にしがみつくレベルではなく、チームの中の邪魔者でしかないレベル。
ただスポーツではないので、そう簡単に引退できません。
だから私の惰性の人生のために他者を巻き込むのは忍びないのです。
面接に行けばやる気があるような発言をしますし、仕事に対する理念なんか無いのに、さもあるかのような振る舞いを見せます。
私が大学生の頃就活をしなかったの理由がそれです。
仕事をやりたくないのが本音なのに、嘘をついて面接を受けるのが嫌だったんです。会社にも失礼だと思っていましたし。
しかし食うためには働かないといけません。
金のためと割り切って派遣を転々とします。
それで年だけ取って、何のスキルもない人間が出来上がります。
国や経営者は、思考停止した労働者を求めています。
労働者のほとんどがサラリーマンです。
例えばこのサラリーマンたちが自分のやりたいことをやるんだ!とみんなが独立してしまうと、経営者は困ります。経営者の思い描いていることを実現するためにサラリーマンは働いているのです。
駒がいないと会社は成り立ちませんから。ほとんどのサラリーマンは駒です。
だからなのか、日本ではお金の流れや仕事について学ぶ機会がありません。社会に出てから自分で調べるようになります。
本来なら学生のうちにそういったことを学ぶべきだと思うのですが、やはり従順な羊を育てていわゆる「社畜」という奴になってもらわないと困るので、敢えて学ぶ機会を与えないのでしょうか?
世の中の文明が進み、生活が便利になったというのに、仕事のスタイルって昔からあまり変わっていない様に思います。
これだけパソコンが普及しているのに、いつまでも手書きの書類がもてはやされます。
私の前職では何十枚の同じような書類を書くのに丸一日使ったこともありました。同じ内容を何十枚も延々と手書きして。これでも元請会社は大企業だったんですけどね。
今回履歴書を3枚書きましたが、パソコンなら失敗もしませんし、学歴や職歴なんかはコピー&ペーストで3秒もかかりません。
それなのに手書きが常識という訳のわからないルールは変わらず、書き間違えた数枚の履歴書と職務経歴書は捨てる羽目になります。
紙がもったいなくないですか?
とにかくこの日本独自の悪しき慣習を見直して、もっと効率よく仕事をすれば時間は他に使えますし、残業も減って経営者にも労働者にも利点があると思うのですが。
そして会社に行って働くだけが労働ではなく、お金を得る方法は色んな方法があることを子供の頃から学ぶべきだと思います。
そうすれば私のような組織に属して働くのが苦手な人にも一筋の光が見えてくるかもしれません。
日本人の根本にある、「楽してお金を得るなんてけしからん」とか「社会のため人のために骨身を惜しまず頑張るのが労働だ」みたいな、稼いでいる人たちに対する嫉妬からくる「私が苦労したんだから次の世代も同じように苦労しろ」という狂ったような負の連鎖はやめませんか?
失敗を重ねて人は成長します。
でも必要のないことを修行の様にやり続ける意味はないと思います。
私の仕事をやりたくない言い訳を長々と聞いて下さりありがとうございましたm(__)m
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