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2018年03月19日

東日本大震災7年 娘失った地に「寄り添う」

東日本大震災7年 娘失った地に「寄り添う」 1.17経験の夫婦
 巨大津波が襲来し、2万人を超す犠牲者が出た東日本大震災は11日、発生から7年を迎えた。
 兵庫県西宮市で阪神・淡路大震災に遭い、東日本大震災で長女を亡くした藤田敏則さん(69)と妻英美さん(64)=高松市=が11日、岩手県陸前高田市の追悼式に出席した。結婚後に移り住んだ地で起きた娘の悲劇に失意に暮れた夫妻。敏則さんが「心の痛みを和らげたい一心で」始めたというお絵描き会を通じ、東北とのつながりが深まった。「復興はまだまだ。これからも被災した人たちに寄り添うよ」。夫妻は誓った。
 長女の菊池朋さん=当時(29)=は2009年に陸前高田市出身の男性と結婚し、移住。市職員となり社会福祉を担当した。
 11年3月11日、市民会館の上階へ避難する途中で津波にのまれ、約6キロ離れた岬近くの海中で遺体が見つかった。妊娠4カ月だった。
 「自分にできる支援を」と考えた敏則さんは5月末、東北でお絵描き会を始めた。阪神・淡路での経験があったからだ。
 阪神・淡路のとき、西宮市石刎町にあった当時の自宅は半壊。夫妻も中学1年だった朋さんも無事だった。画廊を経営していたこともあり、神戸など被災地でお絵描き会を開いた。思うままに描くことで子どもたちは元気を取り戻し、周囲の大人の励みにもなった。
 「東北でも」。そう考えた敏則さんは保育所などに電話を掛けて直談判した。不審に思われることもあったが、阪神・淡路の経験が背中を強く押した。協力してくれる仲間もでき、53カ所で開いた。
 夫妻はその後も年5、6回ほど被災地を訪ね、知り合いも増えた。その一人で朋さんの上司から、岩手弁かるたで方言を学び地域になじもうと努力していた娘の姿も知ることができた。家族を失い心の傷を抱えた人とも会話を重ねた。英美さんは「ここに来ると、痛みを分かち合えてほっとする」とほほ笑む。
 今回、昨年11月に引っ越した高松からやって来た。追悼式の前、障害者と健常者とで作った詩集を陸前高田市立図書館に届けた。福祉を担当した朋さんの遺志を継ぎたいとの思いからだ。「朋が生きていればここで何をしただろう」。そんな思いを胸にこれからも足を運ぶつもりだ。
2018/3/11   神戸新聞NEXT
posted by tiryousyoku at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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