コマセマスターの過去
【心室頻拍で死にかける】
2006年12月
夜仕事を終え、家でワインを飲んでいたら、「急に不安な気持ちになってきた」今思えば心臓がドキドキ
していたのだろう。息苦しくなり妻に脈を測ってもらったら。
「脈ないよ」 「えーつ」「救急車呼んで!」
救急車は自分で乗り込み意識あり、救急隊員の「急がないと危ないぞ」という言葉を聞き病院へ、
救急処置室で裸になり処置されながら名前を呼ばれる。
次第に意識が遠のいていく・・・・。
「あー死んじゃうのか。心残りだな」と思い、子供の名前を呼んだのを覚えている。
気がつくと集中治療室CCU。どうやらAEDを使うために麻酔を打ったらしい、
(意識があると痛いので)
そこでも発作がおこり、またAED使用。結果助かる。
病名は「心室性頻拍頻」発症すると死に至る危険が高い心臓発作
心臓の筋肉に異常な電気信号が流れ脈が以上に早くなるそして震えて止まるという病気。いわゆる心臓
がパニック状態になる。それを電気ショックによって元に戻すのがAED治療。
主治医から、「その異常な電気信号を出す心筋を焼きましょう」ということで
「カテーテルアブレーション」という心臓にカテーテルを入れて高周波で心筋を焼く治療に挑戦したが、
焼き切れずに発作が強くなり断念、(2回挑戦しましたが)
残された治療?方法は薬(ソタコール)と植え込み型自動除細動器(ICD)を体に埋め込むこと。
2007年1月
正月を病院で迎え、初日の出に手術の無事を祈りICDを左胸皮下に埋め込む。
心臓までリードが通っており、発作を自動で関知して直接直心臓に電気ショックを与えるというもの。
AEDをいつも持ち歩いているようなもので、これがないといつ死ぬかわからない、
この機器に生かされている。まるでキカイダーになった気分(古いね)
こうしてICD野郎だ生まれました。
【脳梗塞で死にかける】
2019年3月
2月頃から坂道を上るのが辛い。そんな日が続く中、3月中旬に友人と飲みに行く。ビール一杯飲んだ
だけなのに、ろれつが回らなくなり、意識が薄れる。救急搬送。
脳梗塞が起こったらしく、病院でカテーテルで血栓を取り除き助かる。右の脳の血管が詰まったので
若干、左手足に違和感が残る仕事は続けられた。
心房細動があり、それで心房に血栓ができて飛んだらしい。
いずれにせよ2度死にかけたが、運良く助かった。
【DNA理論?】
私の父も父方の祖父も二人とも短命です。特に父は心臓と脳に持病を持っていました。私はその後を追っています。最近自分でも父に似てきたと思うところが多々あります 。
ということから、私も短命?残された時間をいかに充実させるかだと思います。
【60歳の決意】
2021年の3月に定年退職裾野を機に残された時間を大切に自分で時間を管理して生きていこうと決意する。
再就職の口もありましたが、組織に時間を拘束されたくない。
自分で時間を管理して、3年間やってきた【FX】と新たに取り組み始めた【電子書籍からの集客マネタイズ】【物販】で収入を得ていこう。定期収入が入るようになり安定すれば目標は若い人を応援する事業をしていこう。
まずは4月から個人事業で取り組もう屋号は「ばんぶるびー企画」
「自分の可能性を信じて諦めないで頑張る」象徴のバンブルビーを名前にしました。
準備期間も含めてばんぶるびーの羽ばたきを紹介していきます。ぶ〜〜ん
2021年03月06日
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