◆グループホーム初日の話
採用されてから実際に働く初日まで1週間あったが、その間は食事も喉を通らないほどの状態に陥り、初日朝は腹痛で何度もトイレに駆け込み極度の緊張状態で出勤する。職員は特に苦手な人はいなさそうだったが、鮮明に覚えているのは一人の入居者(爺さん)のこと。
この爺さん、俺が施設に入ってくるなり睨み付けてくる。何人か入居者を集めてのレク(歌う)時にこの爺さんと最初に接触した。「以前どこに住んでいたのか?どのような仕事をされていたのか?」そんなありきたり質問をしてみると「○○なんじゃ!」とビックリするぐらいの大声で怒鳴られる。それから恐怖を感じてこの爺さんとは距離を取ったが相変わらず俺を睨み付けてくる(今だったら何の感情も沸ないが)
この爺さんは片麻痺なのでトイレ介助をする必要がある。ズボンの上げ下ろしの際、声掛けしてもこの爺さんは暴言を吐き俺の頭を何度も殴ってきた。初日早々、入居者からの暴力暴言を浴びせさせられ精神的にダメージを受けて帰宅、介護現場の現実を知った日だったが辞めようとは思わなかった。
◆トイレ、入浴介助に苦労する日勤
このグループホームはA、Bのユニット(1ユニット9人)があって、介護度の高い(質の悪い)入居者がほとんどのAユニット、ほぼ自立している入居者のBユニットに分かれていて俺はAユニット配属となった。介護職では避けて通れない尿便処理は抵抗なく行えたが、質の悪い入居者の扱いは大変なものがあった。
・介護拒否
車椅子や手引きで2〜3時間ごとにトイレへ連れていかなければならない入居者がほとんどだが、そう簡単には行かない。あの暴力爺さんの介助はもちろんだが、ほとんど言葉の通じない暴力婆さんも居た。歩行はできず車椅子で過ごしており頻繁に独語、機嫌が良い悪いの差が激しい。機嫌の良い時を見計らってトイレに連れていくも急に機嫌が悪くなり暴力を振るわれる。暴力爺さんよりも力は強く顔面に手が飛んでくるので油断はできない、この婆さんの介護ができるようになるまで3ヶ月ほどを要した。
歩行器、手引きでトイレに連れていく入居者達も介護拒否が多く「○○へ出かけるのでトイレ行っておきましょうか?」「散歩でも行きましょう」「○○さんが座っている場所、今から掃除をしますので移動しましょう」など色々な文句で騙して機嫌が良ければトイレ誘導に成功するって感じだった。
入浴介助は1日3人を行うがトイレ介助同様、介護拒否は変わらず。服を脱ごうとしない、湯船に浸かったらなかな上がろうとしない、頭にお湯をかけると虐待されたかのような大声を出す、肛門がゆるい婆さんが入った湯船はクソまみれの湯になってしまうなど色々な苦労があった。
質が悪い入居者は2人で対応すれば楽なんだろうが、この施設は1人でできて当たり前みたいな暗黙のルールが存在していた。俺の居たユニットはグループホームってより精神病院の様な有様だったが、当時の俺は入居者に対してとても粘り強く丁寧な対応をしていたと思う。これまで出会ったこともない人種との接触で精神的ダメージが蓄積していき、後に(1年半後)酷い円形脱毛症になってしまうのである。
◆職員の質
製造業と違い介護は指示待ちの仕事ではないので自ら仕事を探して動かなくてはならないが、入居者の相手もできずぼんやり突っ立っているだけのおっさん、仕事もできないのに先輩風を吹かして偉そうなおっさん、他の職員から注意を受けるといつもトイレに籠って長い時間出てこない女、頻繁に遅刻、欠勤を繰り返す女、薬を拒否しただけで入居者へビンタを食らわす、めちゃくちゃな介護をするおばさんなど変な人達が居た。
工場で働いている連中はギャンブルの話ばかりしている底辺野郎が多かったが、この施設もまともに話せる人間はあまりいなかった気がする。男では女の陰湿な世界で起こっていることは理解できず、突然辞めていく女職員が多く人の入れ替わりが激しい職場だった。男は独身で異業種からの転職組、女は離婚子持ちの40歳以上がほとんどであった。
次回は夜勤のことでも書こうと思う。
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