高卒で勤めていた工場正社員時代にプロボクサーを目指していた頃を振り返る。当時、物足りなさというか会社組織が合わないとか仕事自体が同じ事の繰り返しでつまらないなどといったモヤモヤした気持ちになっていた。夢中になれる何かを求めていた時期に「ボクシング」を始めた。
ボクシングに興味を持ったきっかけは、小中高時代に親父がよく試合を観戦していたのを一緒に観てボクシングが好きになっていった。中でも浜田剛史、井岡弘樹、大橋秀行が記憶にある。強烈な印象なのは浜田剛史 VS レネ・アルレドンド戦の1ラウンドKOは衝撃的、あまりにも早すぎるKO劇を見せられ観客席から次々に座布団が投げ込まれた光景は今でも忘れられない。
工場正社員だったあの当時は会社の社員寮で生活しており、学生時代の延長のようなノリで同期の連中と寮で飲酒してバカ騒ぎ&TVゲームに熱中する毎日だったが1年も経つと虚しく感じてきた頃だった。当時はインターネットはなく本で情報を得たものと思われるが、実家近くにある「東海ボクシングジム」というのを見つけ通うようになった。
ここは会員数100名以上はあるだろう大規模ジムで更衣室、シャワー室も完備しており泥臭いボクシングのイメージとは異なるエクササイズ的な場所だった。基本の構え、ジャブの打ち方を鏡の前で行うのが日課となり、次にストレートを学んだ。生徒数が多いためかサンドバックを打てるようになった頃からトレーナーが自分に教えにくる回数が減っていく。
リング上ではスパーリングが行われ早くここに上がって殴り合いたいという気持ちが高鳴るのだが、トレーナーが声も掛けてくれことは毎日ではなく準備体操、縄跳び、シャドウ、帰り際にサンドバックを叩くだけという物足らない日々が2ヶ月ほど続いた。。。
ちょうどその頃、元世界チャンピオンである「畑中清詞氏」がボクシングジムをオープンするという情報を得た。場所は社員寮のすぐ近くにあるのでオープン開始直後からこのジムに通った。基本の構え方、ジャブ、ワンツーを一通り習うとサンドバックを打つように指示される。その姿を見たトレーナーが「自分の距離が分かっている、センスがある」とお褒めの言葉を掛けられた。
ド素人ではなく、ここに来る前にサンドバックはある程度叩いているので当たり前のことだ。その後はリングに上がり会長やトレーナーからミット打ちをさせてもらう日々を送った。当時は交代制の仕事をしており14時〜22時という勤務時間があるためジムに行けない日が数日続くことがあり、トレーナーから「なぜジムに来ないんだ!」と叱られることもあった。
ジムに行けない勤務時間になった日は仕事が終わると名城公園に23時頃から走りに行き、朝早く起きて再び走りに行くといった体力強化に努めた。ちょうどその頃、世界チャンピオンになった薬師寺保栄氏もこの公園にトレーニングに来ていてモチベーションは上がる一方だった。
友人もでき、ジム帰りに彼のアパートに寄って酒を飲んでボクシング談話で盛り上がった。今考えるとこの頃が人生のピークであったかもしれない。
畑中ジムでトレーニングを積み3ヶ月近くが経ち、スパーリングをするため病院で脳の検査も済ませた。「俺はプロボクサーになるんだ!」そう考えていた絶好調な時期に会社から出向命令が出た。。。
後編に続く。