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2019年06月27日

第28R〜うれしい!初お目見えの「白いあいつ」

必ずお読みください!

前回、超量型ワラビの生息地を教えてもらった関係もあって、今年はワラビの収穫量が半端ではない。例年ゼンマイは天日干しにして1年かけて食っているが、今年は初めてワラビも天日干しにしてみた。干しちまうとゼンマイもワラビもまったく同じように見えるから、注意が必要である。

私の認識では、ワラビにくらべてゼンマイは極太、長さも長いイメージだったが、今年のワラビはゼンマイと同等か、長さだけでいえばそれ以上という感じ。ほんとうにすごい。

ワラビは昨日2sほど収穫した。毎年この時期どこかで熱中症のような症状に見舞われ、それを境に体調がどんどん上向いていくことになるのだが、それが昨日だった。2sのワラビを捨てて行こうかと思うくらいからだが重く、修験者道をよじ登るのがしんどかった。

そこに鎌の刃の部分だけ落としてきてしまい、今日はげんなりしながら刃を探しに修験者動に向かわなければならなかった。これまで修験者道で熱中症だか脱水症だかに襲われることはったが、2日連続はない。あーもうやだやだやだやだやだーとか女子中学生のような愚痴り方で車に乗って、修験者道に向かった。

これ以上車ではいけませんというところに車を捨てて、例によって廃道を徒歩で進む。ヒラタケの話のときに再三登場した「1本目のホダ木」と呼んでいた木の周辺に、コイツがあった。

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さあ、なんだべなんだべ!?!?

◎ カビ
○ ゴミ
△ 便所紙の破片
△ シロキクラゲ

なかなか希少な食材で、栄養価にすぐれた食いもんだということで、この時点でテンションは急上昇した。正解は・・・シロキクラゲ!!!

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↑長さ(幅)にするとだいたい10p程度か。大して大きくはない。
↓でも、そんなのがいくつかとれそうだからうれしい
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シロキクラゲについてはまったく詳しくないので、もうちょっと様子を見て、もうちょいでかくなったところを収穫したいなーなんてことを目論んでいる。

シロキクラゲはここらでとれるアラゲキクラゲとは異なり、つるつるの触感。アラゲではないほうのキクラゲに近いかもしれない。キクラゲよりも似ているのが、ハナビラニカワタケというきのこ。これは別の山でとれるので、そろそろ見てこようかなー。

とにかくこの時期はキクラゲ類が多くとれる。先日はアラゲキクラゲの大群生を収穫したばかりだったが、今日はふつうのキクラゲを大量ゲット。

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そろそろタマゴタケ、ヤマドリタケをはじめ、夏きのこのシーズン到来である。
鎌の刃も無事発見したし、2日連続熱中症は回避できたし、キクラゲ大量ゲットに成功したし、シロキクラゲも生まれて初めて食えそうな予感はあるし、なかなか悪くない1日だったと思う。

2019年06月01日

感動、感謝の「ワラビ祭り」

必ずお読みください!

どうも。久しぶりである。

ここんとこ晴れが多いから、できる限り山に足を運んではいた。しかしブログを書く時間がとれなくて、更新が遅れてしまった。と同時に、特に目新しい収穫がなかったともいえる。

あくまでも「真新しい収穫」がなかっただけで、「収穫」はほぼ毎日していた。この時期の収穫といえば、もちろん「ワラビ」だ。

近所でワラビが採れるところはあちこちにあるのだが、中でもぶっとく長いワラビを一気に収穫しようということで、非常に険しい山(山々の合間にある小山?)でワラビを収穫していた。まあ例年でいえば「ワラビ祭り」である。

なかなかの良型ワラビをものすごい勢いで収穫していた。ここに来るまでにはかなり険しい修験者道を通る必要があり、人はまず来ないだろうと踏んでいた。すると、頭の上のほうから「こんにちは」の声がした。

おや?と思った。やっぱり知ってる人は知ってるんだなーと思い、適当にあいさつを返してワラビ採りを続けた。すると、一気に声が近くなり、「ワラビですか?」と訊かれた。

「そうですよ」と、おそらく相手にもそれとわかるくらいめんどくさそうにそちらを振り向くと、自治体の名前が入ったユニフォームを身に着け、名札をぶら下げた大柄の男が立っていた。「あ・・・」と思った。ここが誰の土地なのかは知らなかったのだが、確かにここに来る道中には、公的な土地であるということを示す標識がいくつか立っていたことに思い当たる。

「あ、この土地の方ですか?」私は思わず、ちょっとピンとがズレた疑問を投げた。
「この土地の・・・管理をしている者です」

やっぱりねー・・・そう思った。「あ、じゃあ、ワラビ採っちゃまずいですよね?」

私は少し申し訳ない気持ちでそう問い掛けると、その男性は苦笑いを交えながら、答えた。

「・・・見なかったことにしますよ」
「え?」
「いや、みなさんここでけっこうワラビ採ってるのを見てますから」

二重のびっくりである。ここに来る人いるんだーーー!
そしてこの職員も、ここにはけっこう来てるんだ・・・

実をいうと、私は隣町の人間である。この場所は自分しか知らないだろう、ここで男ゼンマイを採っていっているワケわからんヤツはよそ者だろう・・・そんなふうに思っていたが、考えてみれば私こそ誰よりもよそ者であった。

「いや・・・なんというか・・・申し訳ないです」私は素直に頭を下げた。
「いやいや、そんなそんな・・・」男性はかえって恐縮しているようだった。

「私がこんなこと言っちゃうのもまずいかもしれないけど、あの岩、あるでしょ?あの大岩。あれを越えた向こう側に、けっこういいワラビが生えてるとこがあるんですよ」

男性は急にそんなことを言い出した。「あの、道がけっこう険しいんで、特にあの岩のとこね。行くなら気を付けて行ってください」

私がポカンとして聞いていると、男性は「じゃあ、失礼します!」と言って去っていった。
まず間違いなく自治体の職員であるはず。自治体の土地であるとするなら、無断で入り込むこと、ましてやワラビを採取することなど、本気で罰せられたとしても不思議はないはず・・・こんなこともあるんだなーと、心底驚き、そしてその心意気には心底感動した!

せっかくなのでお言葉に甘えて行ってみた。そして、収穫してきた。

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↑すげーワラビ畑。しかし向かって右側はとんでもねえ急斜面で、そっちに畑は広がっており、サルとか以外は収穫不可
↓たった5分で収穫。こっから先は急斜面につき、サルとか以外は撮影不可
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ということで、なんだかちょっと目からうろこというか、市町村区役所の職員さんを妙な色眼鏡で見ていたこと(要は、とてつもなく頭がカタイ人種とみていた)を大いに反省し、素晴らしい小一時間を提供してもらえた人とワラビに感謝感謝感謝!!!である。

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↑「拷問具」を思わせる植物。とんでもねえ鋭さのトゲ。地獄の門番という感じ。

これは確か先週土曜日の出来事だったかな。金曜日だったかな・・・ちょっと記憶があいまいではある。しかしそろそろ次なるワラビがにょきにょきしているはずなので、またちょっくら行ってくるかなー、あしたあたり。

2019年05月07日

旬のシドケのうまさ力説/渋谷の鳩

必ずお読みください!

そういや昨日「シドケ(モミジガサ)だと思ってよく見たらこれがヤブレガサだと気付いた!」なんてプロっぽいことをヌカシた記憶があるが、さらにもっとよく見たところ、やっぱりあれはシドケだった。こういうテキトーなやつが山菜だきのこだ言ってバクバク食って、よくここまで無事に生き永らえたものだと我ながら感心である。

私の場合、知識ではなく、幸運に恵まれ続けているようなところがある。そのうち大しっぺ返しがくるだろう。まあ今日のブログの目的はそんなことではない。昨日写真を掲載し忘れていたことに気づき、追加で掲載するのがあまりにもめんどくさく感じたため、今日改めて追加する。これが目的。

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↑これは確実にシドケ。右端のは大型ミツバ。手前のゴミみたいのは入れる袋を間違えたワラビ1本。
↓この日シマヘビを見つけた。こいつらはナリばかりデカくて気は小さく、愛すべきヘビって感じ。
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カメ五郎氏ではないので、私はヘビは食わない。気持ちは悪いが、なんとなくかわいげのあるシマヘビなんてかわいそうで食えない。まあカメ五郎氏のように、食わなきゃ死んじまう状況下であればわからないが。

ちなみにこの山でマムシは見たことがないが、ヤマカガシは比較的よくみる。ヤマカガシは毒ヘビ。かまれて死んだ人もいるという。なんとなくヤマメーーというよりアマゴに似た色合いのヘビ。頭のあたりに赤いうろこが目立つのがヤマカガシの特徴か。

↑のシマヘビは「名は体を表す」の典型で、すっげーなげえ縦じまが数本入ったヘビである。アオダイショウのような大将感はないが、ヤマカガシやマムシよりもはるかに大型。友好的とは言わないが、アオダイショウ同様、非常におとなしいヘビだ。

話をシドケに戻そう。↑の画像のシドケ。東北地方のように、わっさぁーーーと生えているわけではない。もしゃもしゃって感じで生えているエリアがポツン、ポツンと点在している感じである。そこからちょこちょこっと採取して、例年シドケを楽しんでいる。今まさに旬という感じかなー、ここらでは。

シドケはクセがあってどうもニガテ・・・という山菜ファンも意外と多いと思う。実は私もはじめはそうだった。ところが、食いつけると後を引くというか、やめられなくなる不思議な風味がシドケの最大の魅力だ。

上のシドケは、ぽきっとヘシ折った茎からドバドバドバーと液体がほとばしった。最近雨が多いので、雨水がたまったものかと思ったが、すぐにシドケ特融の香りがガンガン鼻を刺激しはじめ、それがシドケの水分であることを私に教えた。

ものすごいみずみずしさ。感動もんである。

シドケに限らず、山菜ってのはだいたいにおいて茎を食うもんであると私は理解している。シドケも確か葉っぱは捨てちゃう、みたいなことを言っていた人がいた気がする。でも、茎とはいえあれだけみずみずしいのであれば、きっと葉っぱもうめえんじゃねーのかなーと思い、葉っぱの部分だけをお浸しにして食ってみた。

あのね、シドケとか葉ものは、天ぷらにすると油を吸い込んじゃって、脂っこくなってしまうので、あまりおすすめはしない。かといって、葉っぱのお浸しは正直どうなんや?と思っていたのだが、いやー、絶品!シドケの葉のお浸し最高ですよ、ちょっとそこのアナタ。

今が旬ということもあってか、やわらかく、芳醇で、葉脈の触感がまた素晴らしく、うーん・・・もっと採ってくればよかったーーーー!と後悔するくらいうまかった。だから今回のブログは「旬の記憶」という超重要な役割を担うのだ。これからまだまだ収穫できるとは思うが、早くも来年の「旬のシドケ」が楽しみったらありゃしない感じである。

それと昨日だったかな、「第24R」のときに触れた楽園を再訪した。すごい数のシオデが生えてるよって話、したじゃないですか。その「すごさ」を写真におさめてきたので、ちょいとご覧いただこうではないか。

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どうですかぁ?すごい数のシオデでしょ?・・・って、わっかんねえな、これじゃあ。

あのね、写真をびよーんて広げてもらうとね、奥のほうにも何やらひょろひょろっとしたものがたくさん見えるんじゃないかと思うんだけど、それが全部シオデである。ここ、子供が野球で遊ぶにも全然足りないくらいの広さなんですよ。ちなみにこの撮影ポイントの背後にも、シオデはたくさん生えている。

なんとなくシオデが生えるイメージと違う気がするのだが、まあ生えるとこには生えるんだろうなー。なお、この極小エリアには、シオデのほか大型本ゼンマイ、20〜30p程度の太いワラビ、タラの木(タラの芽が生えるトゲトゲの木)20本くらいという、信じられないロケーションである。ほんとに楽園だよなー、ここ。秋田県の飛び地か?


ところでーー

月2〜3回都内に出かける。仕事の打ち合わせのため、新宿と渋谷に出向かなければならない。実は今日、休み明けでいきなり行ってきた。新宿にも渋谷にも山ねえからもう疲れちゃって・・・

今日は新宿だったんだけどね、↓は先月行った渋谷の忘れられたような公園。
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この鳩ね、朝通過した公園で寄ってきたやつだと思うんだけど、これはもう夕方の画像。このときも俺んとこだけになぜか寄ってくるんですよねー、こいつ。そして実は、コンビニで買った昼飯をこの公園で食ったんだけど、そのときもこいつと思しき鳩がずーっと私が座るベンチ前でこっちを見てやがるんだなー、これが。

いや別に食いもんをねだる感じではなかった。一定の距離を保ちながら、こちらを観察しているといった奇妙な雰囲気を醸し出す鳩だった。もしかしたらどこかで知り合った鳩なんだろうか?不思議なことって、やっぱりある。

とかいって、全然別の鳩なのかもしれないけどね。

2019年03月12日

人の恐怖?〜田舎ってコワイですか?

必ずお読みください!

フキノトーが春を告げるとすぐに春最大のイベントが到来する。まあいちいち予想にすることもないだろうし、今日は別にお話したいこともあるので、画像を掲載し、素直に答え合わせをする。

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↑こんな感じに生える
↓サイズ感、まだ出始め
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↑手前のうすら黄色っぽいのはフキノトー
↓3日続けてこんくらいずつ収穫
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ご存知の読者は多いと思う。これ、セリという植物。爽快な香りとシャキッとした歯ごたえが最高にうまい、(我が家では)春に欠かせない野草である。

佃煮にしたり玉子とじにしたり味噌汁の具だったりセリご飯で食ったりと、いろいろな楽しみ方がある。でもやっぱり香りと歯ごたえを楽しむには「お浸し」が一番。セリの食感と風味は、ちょっとほかでは代えがたい独自性を感じることができる。

いやぁ、いい季節になってきた。あと1カ月くらいはセリを楽しむことができる。ほんとうは5月くらいまで楽しめたのだが、どうもここ数年は夏への移行が速く、セリの成長も早まりがち。でかくなりすぎてからのセリは、香りがキツすぎてうまくなくなってしまうのだ。だから今くらい、もしくはもうちっとでかくなったくらいがちょうど良い。

小〜中のレジ袋いっぱいに詰め込んでいるが、我が家ではこれが1日分である。でもあと半月もすれば、中〜大レジ袋に満杯のセリを毎日収穫するから、いくらセリが好きとはいえ、とてもいっときに食うことはでいない。仕方なく近所への配布と、味は落ちてしまうが冷凍で対処している。

まあこれも田舎ならではの春の楽しみの1つだ。田舎といえば・・・


ある動画サイトを見た。いわゆる「おばけ」を扱うライブ映像である。以前もお話したとおり、私は原則おばけの存在を認めていない。もちろんフシギな現象は誰にだって起こる。でもそれがなぜおばけだといえるの?というところがはっきりしない以上、それをおばけと認めるわけにはいかないのである。

ではなぜそんなライブ放送をみるのか。最大の理由は、そのときヒマだったから。時間をつくってまで見ることはない。でもその放送はちょくちょく目にしている。ということは、私はけっこうヒマ人であることが間接的に証明されるのだ。

私がヒマ人であることは証明されても、おばけの存在が証明されない以上、逆にオモシロイじゃないですか。あの手の話には必ずどこかに矛盾が潜んでいるから。いくら考えても矛盾が潜んでいないときには、ちょっとヒヤッとするしね。あの感覚もなかなかオモシロイとは思う。

で、その回の放送では、とある田舎で猟奇的な事件が多発して、その犯人がこの世のモノとは思えぬモノであった・・・という、まあこの手のお話では10回に1回は登場するタイプのお話である。正直私からすれば最も興味が薄いテーマでもあった。

ライブ放送ってやつは、視聴者のコメントが流れる設定になっているんですよ。いやー怖かったですねー、話し方がうまい、効果音が素晴らしい!などなど、さまざまな絶賛コメントが流れるわけさ。で、私はテーマ自体に興味がなかったので、ケツなんかをボリボリ掻きながらぼんやりそのコメントを読んでいたわけ。

そしたらね、あるひとりの視聴者がおっしゃるわけですよ。「田舎って、コワイですよね」と。

もちろん田舎をコワイと思う人もいるだろう。逆に都会がコワイと思う人だっているだろう。私はたまたま田舎に住んでいるが、コワイと思われようと汚いと思われようとどう思われようとかまわないし、知ったこっちゃない。

ところがその放送を流している人が、バカみたいにイチイチ読み上げるわけですよ、そのコメントを。「○○さん、田舎ってコワイですよねってコメントしてますね」みたいに。ほんとアレはバカくせえ。なんのためにコメント読める設定にしてんのよ?

するとね、そっから急にみんなで田舎ディスりが始まるわけです。田舎は閉鎖的だから、田舎は難しい人間が多い、田舎のしきたりはどうのこうの、田舎では昔あんなことこんなことがあった、田舎ではそういう殺人が多い、田舎には住みたくない、田舎では、田舎には、田舎は・・・

おいおいちょっと待てコラ!私は思った。というか、叫びそうになった。そして私はキーボードに手をかけ、

お前たちな、田舎の何を知ってるんだ?お前ら田舎に住んだことあんのか?田舎で殺されたことあんのか?
おいよーく考えろよ。田舎を何だと思ってる?お前たちそれは差別だぞ。蔑視だぞ。目を覚ませコラ・・・

と入力したかった。しかし恐ろしく機械音痴の私にそんな器用なこと(コメントとして自分の考えを流すこと)などできるはずもなく、ただひたすら「てめぇらこのやろう・・・」と唸るしか術がなかったのだ。

みなさん。
これはとてもコワイことですよ。何がコワイのか、わかりますか?

ほんとうの怖さは、おばけでも殺人でも閉鎖感でもしきたりでもない。なんの根拠もなく「コワイ」という恐怖を植え付けられてしまっている人間の脆弱性と、自分たちが知らないうちにだれかを差別して楽しんでいるそのココロの中にあるんじゃねえのか?そしてそういうことにまったく気づいていない自分自身が一番コワイんじゃないの?

これが恐怖の本質である。自分では気づかないこと。気づいてしまったときに、アンタがたはイヤっちゅうほど恐怖を味わうことになっちまうぜ・・・

いやいや、田舎にはクマやイノシシが出るし、やっぱりコワイよ、という人もいるだろう。気持ちはわかる。でもよーく考えてみてほしい。新宿の駅を降りたとたんクマに襲われるほうがよっぽどコワイですよ。

そんなこと起こるわけないから・・・
そうではない。想定していないことが起こるからこそコワイのだ。クマなんて、けっこう都会方面を目指して街まで出てるんですよ、今の時代。あれ見てるとゾッとする。だって、都会を知らないクマが都会なんかに出てきたら、パニックを起こしてだれかれかまわず襲いかかるから。まあさすがに新宿駅まではどうかと思うが。

ウチの山にクマの気配を察知したって、襲われたこともはっきりクマと確認したこともない。自分のテリトリーだから、クマは冷静に逃げ帰るのだろう。もしほんとうに「あの気配」がクマだったとしたら、の話だけどね。

まあクマの話はいい。でもね、ほんとうに田舎がコワイのかどうか、ちょっと冷静に考えてみてほしい。田舎っつったってたくさんありますよ。なんでもいっしょくたにするんじゃない。田舎が閉鎖的?バカ言ってんじゃないよ。私からすれば都会だって十分閉鎖的ですよ。

「田舎」にしろ「都会」にしろ、そういうラベルが貼られた箱の中に入っていることを忘れちゃいけない。箱がある以上、田舎だろうが都会だろうが閉鎖的な部分集合でしかないのだ。

てか、アンタら気づいていないだけで、実は誰よりもアンタらこそ閉鎖的だろうが!と思う。動画サイトのコミュニティなどに代表される、ああいう極小コミュニティではそういう勘違いがよく起こる。これは子供の「いじめ」の問題に通じる。深刻化するいじめの多くが、ああした「極小コミュニティの仲間意識」に由来するのではないか。

だからもし私が放送中に「おい待てお前ら!」とやったとたん、きっと私は袋叩きにあっていたことだろう。いやぁ・・・コワイですねぇ・・・


まあいい。それでね、私は視聴後にのんびりコメントできる欄で、「田舎を何だと思ってる?」と質問してみたんですよ。そしたら放送主から「田舎をバカにするつもりはなかったけれど不適切発言があったのですみません」などと返信がきた。

たぶんコイツはわかってねえなぁ・・・そう感じた。

2018年11月22日

腹立つできごといくつか

ほんとうは「山の恐怖」について書くつもりだった。そもそもこのブログをはじめたきっかけはそこにある。山にはあらゆる危険が潜んでいる。その多くはあとで考えてみて「恐怖」と感じられる種類の危険だ。

そんなことは山歩きを趣味とする人間なら誰だってわかっている・・・ということを、ついつい忘れてしまうのだ・・・ということを、自分自身に言い聞かせるために書き始めたようなところもけっこうな割合で、ある。

ただ、今日は想定もしていなかった種類の危険に遭遇し、それが恐怖に変わる前に「怒り」へと変わったので、そのウサ晴らしをしたい。と同時に、このところちょっと目に余るマナー違反がいくつかあったので、これについてもついでに告発し、ウサを晴らしたい。


@死の危険
時間が許す限り、できるだけ山に入るようにしている。もちろんきのこほかうまいもんを収穫したいという願いもあるのだが、腰に持病がある私はある程度腰に負荷をかけないと、次の日はひどい腰痛に悩まされるという、我ながらかなり面倒な体質である。

しかしここ最近多忙で、毎日入ることができないでいる。飛び石連休的なスケジュールで山に入っている。ここ2日ばかり山に入れなかったので、久しぶりな気がした。だから多少腰は痛かったが、意気揚々ではあった。

意気揚々でビートルズのドライブマイカーの口笛を吹きながら林道をドライブしていると、いつものように大きなカーブにさしかかった。「山の恐怖」というテーマでいつか書かなければならないとずっと考えていた、雌鹿の亡骸を発見した崖下の道だ。

目的地までごく短い林道ではあるが、最も危険な地点である。カーブを曲がり切ったとき、前からどぎつい黄色の車が猛スピードで走ってきた。こちらは急なのぼり。ということは、対向車は急な下りである。そんなところを猛スピードで降りてくるなんて、コイツ死にてえのか?と本気で思った。

ところが何を思ったか、その車はこちらに向かって突っ込んできたのである。私は一瞬の判断で「右」、つまり対向車線のほうに急ハンドルを切った。山岳道路ではそうしたイレギュラーなすれ違い方法も珍しくないから、そのクセがとっさに出たのだろう。

黄色の車は私がほんの0.5秒前までいたところに猛スピードのまま突っ込み、ガードレール(私の車線は左側が断崖である)に激しく接触して停止した。ガードレールがたわみ、黄色い車が真横に飛んだ映像がバックミラーに映し出された。

私は「・・・は?」という気分で車を降り、そのバカ黄色車のほうに歩いていった。車種はよくわからんが、オープンカーだった。ドライバーの安否が気になった。いや、別にこんな筋金入りのバカとしか思えないドライバーは死んでくれても一向にかまわないのだが、この山で死なれては困る。それにもし無事だったらひとクサレ怒鳴りつけてやりたい衝動をどうしても抑えることができなかったのだ。

だってそうでしょ?私、殺されそうになったんですよ。当然のことだと思う。幸か不幸か、そのドライバーは無事であった。車はかなり痛い目に遭っていた。運転席側に幾筋もの痛々しい傷が生々しかった。かわいそうに、罪もない車は。で、私が心底腹を立てたのは、ここからである。

近寄った私に対し、その大馬鹿ドライバーはどういう態度に出たと思いますか?「オイ!」と遠目から声をかけた私を振り返って一瞥を与えたドライバーは、再びエンジンの爆音とタイヤ音とこげくさい不快な残臭を残してまた同じような猛スピードで下り坂を見る見る走り去っていったのだ・・・もう本気でコノヤロー!!!!である。

あれだけ激しく車体をガードレールに接しているのだ。もしガソリンが漏れていたら一大事では済まない。その危険は十分すぎるほど考えられる自爆であった。なぜそう自分および周囲の人間を殺したがるのか。

ナンバーでも控えて警察に通報したほうが世のためでもあり、そいつのためでもあるかと思ったのだが、年甲斐もなく頭に血がのぼっていたため、そういう基本の対処を遂行できなかったのが悔やまれる。あのバカ、クスリでもやってるんじゃねえか?と、目的地まで考えながら慎重に車を走らせた。

おい、黄色いの。見てるか?おめえのことを言ってんだこのクソ野郎が!と、もしそいつがこれを読んでいたら呪怨のようにモニターから手を出してこっちに引きずり込んで・・・もうこのへんにしておく。

Aシモフリシメジはもうダメだぁ・・・
前回サクラシメジの画像を掲載したが、例年ごく少数のシモフリシメジ(サクラシメジにくらべれば断然うまいシメジ)が発生する。廃道っぱたに出る推定20本程度のシモフリシメジなので、エリア的にはさほど広くはない。

前回はたった1本だけの画像を掲載したが、ムラサキシメジはけっこう群生して発生する。実はそのごく狭いエリアに、推定30本程度のムラサキシメジが発生しており、そのうちの1本だけをカメラに収め、掲載した。

私は10本くらい採取し、来年また増えればいいなぁと思い、残りはそのままにしておいたのだ。これが間違いだった・・・その前くらいにヒラタケ幼菌が発生した画像を掲載したと思うが、私が山に入れなかった間、おそらく土日にそのヒラタケは誰かがすべて採取していったのだと思う。

ムラサキシメジの発生場所はそのヒラタケのすぐ近くなので、きっと同じ人間の所業なのではないかと思うのだが、そいつ、ムラサキシメジもすべて採取していったのだ。いやそれは別にかまわないのだが、ムラサキシメジもシモフリシメジ同様、枯れ葉の下に発生する「もぐらきのこ」である。

おそらくそれを知っていて、そいつは枯れ葉の厚い層をすべて掘り返して根こそぎムラサキシメジを持ち去っていた。採取というより、イノシシか何かが農作物を劫掠した痕跡のように私には映った。ごく狭いエリアではあるが、あれをすべて掘り起こすなんて、けっこうな労力ですよ。

しかしムラサキシメジやシモフリシメジが発生するために、おそらく菌類はもっと大きな労力を費やして、あの場所を選んで発生したのだと思うと、なんとも気の毒である。

これまで出なかったムラサキシメジが出るようになったということは、地下菌のバランスに何らかの変化を生じたことになるのだとは思う。しかし居心地の良い枯れ葉の層を根こそぎひっくり返されるとは、菌たちも想像だにしなかったと思う。さぞかし無念の思いだろう。

ただし私が心底腹を立てたのは、そこからである。そのムラサキシメジ・シモフリシメジエリアからちょっと先の平らなエリアに、ビールの缶と弁当を食い散らかした残滓が放置されていたのだ。きのこを持ち去り菌床を劫掠した人間と同一かどうかは知らないが、ほんとうにどういう神経をしているのかわからない。

ただでさえこのあたりはクマが出没している危険なエリアなのだ。嗅覚が鋭いクマがこれを嗅ぎつけたりしたら・・・そう思うと放置したままにはしておけなかった。今度は私がそこらへんに落ちている堅そうな木の枝でその場に浅い穴を掘り、残滓を完全に埋め、空き缶とゴミをきのこ採取用の袋に入れて持ち帰らねばならなかった・・・何やってんだろ、オレ・・・ほんとうにナサケナイ。

B大は埋めろよバカ!
山は人間の想像を超える力で、人間の想像を超える恩恵をもたらし、時に凶悪な牙を剥く。山に端を発する宗教心が芽生えるのはそういうところに理由の一端があることは容易に想像できる。私にも宗教心がある。信仰心というべきか。

しかし実は、こうして日々山に入るようになるまで、そんな気持ちは一切なかった。それは恥ずかしいことのような気もする。これまでなんとか教とかなんとか宗といった具体的な名前のある神様とか仏様を信仰したことはほぼないに等しい。親戚や知人の葬式や法事の際に手を合わせる行為は無意識のうちに信仰心が現れたものだ、なんて解説する識者もいるが、正直私の場合それは信仰心からではなく、単なる猿真似のようなものだ。

みんなが手を合わせるから私もそうしているだけである。みんなが死者を前に裸踊りをすることが慣例となっていたなら、きっと私だってそうしている・・・そんな程度なのだと私は思う。信仰心とか宗教心とか、そういうものとは明らかに異なる。合掌が信仰心の現れだと説いていたエライおじさんゴメンね。

山は神が宿る。ほんとに?と訊かれたなら、いやーわかんねえなぁと私は正直に答えなおすだろう。でも、神が宿っていなきゃあんなにきのこやら山菜やらの恩恵をもたらしてくれるはずはないとも思う。だからこそ、いるんだかいないんだかはっきりわからん「神」を便宜的につくり、これを崇め、感謝するのだ。ごく自然な発想である(と思う)。

恩恵をもたらすばかりではない。神の力は偉大で、不浄なるものを浄化するパワーも備えている。たとえば人間の体内から出た不浄なものも浄化してくれるのだ。しかもそれが木々草花の養分となるのだから世の中うまくできている。これも全部神様のおかげだ。

山に便所があればそれに越したことはないのだが、私が入る山の道程のほぼすべては廃道である。便所などない。あっても(たぶん)怖くて入れない。だから、たいへん申し訳ないが、恥を忍んで木陰ですることは私もある。小のほうは。実際この前ヒラタケ大漁の回にもそういうことを書いたと思う。

人間である以上、生理現象はどうしたって起こる。小ではなく大の対処をしなければならないこともある。私にその経験はない。でも人間だから、いつかそういうことが起こるかもしれない。そう思ったら今日からチリ神を持っていこう。

で、きっとそういう憂き目に遭った人間が、この山に入ったらしい。何度もいうが、生理現象である以上大だろうと小だろうと中だろうとそれは仕方がない。でもな・・・

山んなかでそのまま放置しておくんじゃねえよばかやろー!!!!

大だけならスルーする可能性が高いが、その周辺に使用済みの紙をたくさん残しておくバカが出現したのだ。もちろん紙なしの大だけでもダメですよそんなのは。

ヒラタケってけっこう白いじゃないですか。山に入るとね、どうしても「白いもの」に目が行っちゃうんですよ特にこの時期は。しかも一瞬ときめくわけですよ。白いぞ!と。その正体がわかっちゃったときのこのキモチのやりようがなさすぎるったらありゃしない。そんなとき、ただただナサケナイ気持ちを持てあますしかないのだ・・・


ということで、ちょっとは気が晴れた気がする。もちろんね、私がマナーを完ぺきに守っているかといわれれば、たぶんそんなことはないと思う。だいたい私が収穫しているきのこだって、誰か知らない人の土地のである。いうなれば泥棒行為だ(と思う)。だからエラそうなことは一言一句たりとも言えない立場ではある。

でも人間の最低限のマナーってのは、やっぱり「人の嫌がることをしない」ってとこにあるんだと私は思うんですよ。私がかすめとっているきのこだって、もし地主の方が「そうしないでほしい」という意志があるなら、私はもう一切ここできのことりはしない。

ちなみに別の場所に生える山菜のほうは、地主の了承を得ている。(田んぼなので)とってくれるならむしろありがたいとまで言ってもらっているが、きのこはまだである。地主含め、まず人と会わない場所なので了解を得るのは難しいかもしれない。

まあそれはともかく、小学生だってわかる基本の基本くらい、ちゃんとしようぜ大人なら、と思う。自戒も込めて。なんか今回は説教くさい話で申し訳ないです・・・

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↑昨日収穫したヒラタケ(木の裏側に発生)。この木から発生するのは4年ぶり。きのこって、けっこう毎年状況が変わる。
↓木の後ろに見事に隠れたヒラタケ。巨大。ちょうど子供が使うグローブくらいのサイズ。
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このあとちょっと仕事をして、これからまた山に行く。

2018年09月22日

必ずお読みください!

当ブログをお読みいただきありがとうございます。
ブログの主旨は「素人のことはじめ」のところに書いたとおりです。
文字通り「きのこ・山菜の素人」が書くブログです。

私が書いたブログを参考に、「あーこのきのこは食えるんだぁー」なんて思ってバクバク食いまくるようなことがあってはいけません!
私は完全な「ど素人」ですから。
この点だけはどうか勘違いなさらないようお願いします。

「お前のブログ―うらめしやー」なんていっておばけにドロドロ出てこられても、
こっちは「はぁ?」といってナメクジみたいに塩でも撒いておしまいになってしまいます。

この点だけはどうかよーく理解していただきたいです!

2018年09月13日

素人のことはじめ

必ずお読みください!

メインブログでお世話になっています。

メインブログというのは競馬のインチキ予想のブログのことである。こちらはサブブログということで、メインブログよりは気楽に取り組みたい。あれより気楽なんてあるのか?と思う読者もいるかもしれないが、あっちは全身全霊を傾け、1本書くたびに寿命が5年くらい縮んでいることは間違いない。こっちはそういうことがないくらいリラックスして書くつもりである。

テーマはタイトルをみていただければわかると思うが、コンセプトは、「山に生えてたものの予想」である。競馬ははずれても(私にとって)死活問題にならないが、こっちはそうはいかない。なにしろ猛毒を含むきのこや植物がテーマである・・・あれ?俄然こちらのほうが本気を出さなければならない雲行きになってきたが、あくまでもブログに臨むスタンスとしては、「気楽」でありたい。

要は、山に生えてるアヤシゲなものを撮って(採って、盗って?)きてここに掲載し、その正体を探るという趣旨である。まあ読者参加型のブログなのだが、そういう細かい設定は恐ろしくニガテなので、インチキ競馬同様一方通行になる可能性が極めて高いと思われる。

で、問題は、コイツなんで急にそんなことはじめたの?というところだろう。もちろん理由はある。あるのだが、それは追い追い説明できればいいかなと思う。とりあえずはめんどくせえから(あまり小難しいことをやっているとたちまちヤル気がなくなる)から、はじめちゃいましょうということだ。

更新は毎日・・・が目標。もしかしたら週1、あるいは月1、場合によっては年1もしくは数年に0.5回くらいの頻度にまで落ち込むかもしれない。こればかりはやってみないとわからない。

ほんとにとりあえずスタート!である。
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