我が家には母娘の猫が1つずついる。
「いる」とはいっても、母のほうは生来の風来坊で、1〜2日戻らず夜っぴいてほっつき歩くなんていうことはザラにあった。気まぐれに戻ってきて猛然と水を飲み、飯を食い、何事もなかったようにそこらへんで横になって寝てしまうのが常。
発情期には3〜4日放浪し、ガリガリにやせ細って帰ってくることも珍しくなかった。それでも戻ってくれば飯をバリバリ食い、猫とは思えない勢いで水を飲み、いつものように横になっていびきをかいて寝てしまう。
先日、我が家にはほとんど影響を及ぼさなかった小さな台風が来た。その前の晩、私は布団の中で母猫の声を雨戸の外に聞いていた。家族が寝静まるのを見計らって鳴くのが母猫の悪癖だったが、あのときはなんだか少し遠くで鳴いているように感じた。
それから5日、母猫は一度も戻らなかった。昼間起きているときにはひっきりなしに鳴いて気を引きたがる猫だから、戻っていたのに気づかなかったわけではないと思う。5日戻らないなんていうことはこれまでなかったので、さすがにまずいなと思った。
母猫の行動範囲と思われる場所を歩き回って探してみたが、見つけることはできなかった。私の家の直近にある神社の杜を探したとき、ふと思い当ったことがある。
はじめて数日間戻らなかったとき、神社に詣でて「うちの猫を見かけたら家に帰るように言ってください」とお願いしたことがあった。何かの本で、いなくなってしまった猫を戻す方法のような話を読んで覚えていて、それを実行したのだ。この神社でよく遊んでいたこと、境内が猫の集会所になっていたことを、私は知っていたのである。
すると驚くことに、母猫はすぐに戻ってきた。驚く私たち家族の面々を後目に、いつものように大飯を食らい、浴びるような水を飲んで寝てしまった。ほんとにそんなことがあるんだなぁなんて口々に言いながら、何か得体の知れない気持ちの悪さを感じたものだ。
実はそういうケースがこれまで2回あった。2回目もまったく同じように、神社にお参りしてすぐに母猫は戻ってきた。たった2回の経験ではあったが、偶然が確信に変わった気がした。
そして今回−−昨日のことである。
例によって神社に詣で、社に向かい「うちの猫がいなくなってしまったので、見かけたら戻るよに言ってください」とお願いした。その1時間後、母猫は6日ぶりに戻ってきた。冗談みたいな話も三度目となると当たり前に思えてくる。
しかし従来のように、大飯を食らうことはなかった。長い時間をかけて、何度にも分けて水はたくさん飲んだようだ。しかし食べることはほとんどなかった。猫缶をひと口、かつぶしをひと口、刺身のかけらを2切だけはなんとか食べてくれた。でもいつもの母猫の様子とは明らかに異なっていた。
触診のようなことをしてみたが、見た感じ、触った感じではどこかが痛いということもなく、咳をさせても異常な咳ではなかった。それでも食べたい気持ちがどうしてもわいてこないようだった。いや、食べたい気持ちはあるが食べられない状況だったのかもしれない。
ひと晩母猫の家(=私の仕事場)に寝かせて今朝早くに様子を見にくると、母猫はもう外に出る気でいた。もともと母屋にも猫の家にも長時間居たがらない猫だったので、それは仕方なかった。ただ、病院に連れて行かなければならなかったので、かわいそうだがしばらく家で我慢してもらうことにした。
それでもどうしても外に出たがる猫−−私は考えた。
思えば、何度追い払っても結局我が家に居ついてしまった母猫。やがて娘猫を産んで、娘はすっかり「うちの猫」になった。母猫は、腹が減ったときと極寒の夜だけ家に帰ってくるに過ぎなかった。自分で私の家を選びながら、「うちの猫」にならないことも自ら選択し続けたのだ。
そんな母猫を無理につかまえて病院に連れて行くことが果たして正しいのかーー私はしばし葛藤した。
山を歩くと時折、死が迫ったシカやカモシカに遭遇することがある。元気な彼らは歩く私に出くわすと、鼻白んで逃げ出すか、なんだてめー的視線を向ける。しかし死を悟った彼らは静かに、しかし凛とした表情で叢に座っている。慌てて逃げ出すわけでもなければ命乞いをするわけでもなく、じっと私を眺めるだけ・・・彼らは覚悟を決めているのだ。
出入口にへばりついて見えない曇りガラスの向こうをひたすら見続ける母猫の姿に、私は彼女の「覚悟」を感じた。薄情とも思えるほど希薄な絆ではあったけれど、付かず離れずの「互いにとって心地よい距離感」を保ち続けた13年だった。
両者にとってのその「心地よさ」を、人間の一方的な判断で断絶していいのか?それは人間のエゴなのではないか・・・葛藤しながら私は彼女を抱きかかえ、ケージの中に収めた。そして母屋に行って砂糖水をつくって戻り、母猫に与えた。
空腹と寒さをしのぐためだけに我が家を利用した猫なのに、神社の導きがあったにせよ、なぜ食うこともできない猫が戻ってきたのかーーそのことを考えると、私は彼女に無理強いすることがどうしてもできなかったのだ。
すぐには飲みたがらないから注射器で少しとってゆっくりと母猫の口に砂糖水を流し込んだ。
これで栄養不足による低血糖を起こして動けなくなるリスクも、しばらくは大丈夫ーー私はケージから母猫を抱きかかえ、出入口を開放した。時はもう昼を告げるほどに経過していた。
その後数時間が経過している。外はすでに秋の虫による大合唱が始まっている。
母猫はその後戻っていない。