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2017年08月06日

【3倍生きる】


 
こんにちは♪
 
 
今日は、僕の過去のお話しをちょっとしたいと思います。
 
僕の人生の計画は「3倍生きる」にこだわり続けてます。
 
幼少期からずっと貧しい家庭環境で過ごし、
3日間に1回2回程度のごはん。そのほかは砂糖を溶かした水道水で過ごし。
どんなに小学校の給食を待ち遠しく思ったことか。
 
小学生の時に、給食以外に食事が無い環境で暮らし。
毎日遊び方を工夫して過ごす。
小学校3年生の時に、両親と離れ、おじいさんとおばあさんの家に兄弟4人一緒に引っ越しました。
それからはご飯が一日3食を毎日食べれる事に感謝し、他には何も無いけど幸せにも感じて過ごしました。
おじいさんは大工であり、農家であり、日々忙しく働いていたので、学校が終わってからお手伝いなんかも時折してました。
 
そんな中、
生まれ持っての持病「特発性多関節型関節炎」で骨の変形が予測できないから手術を繰り返さないと長生きできないと医者に言われて泣いたこともありました。これは僕の場合ですが簡単に言うとリウマチの悪化しきった状態です。
 
小学校の体育の時間は地獄でした。
関節炎が自分以外の人には理解できないし、常時痛いから『痛い』と言わない僕の運動できない体の事は、先生方にも解って貰えない。
 
動きの鈍い僕を罵り、出来ないヤツ扱い、根性無いヤツ扱いします。
 
特発性と名のつく症状は異例なのです。そりゃあ分からないでしょうけど、日常でただただ生きているだけで骨が折れたような電気が走るような痛みが右半身に一日中受けてます。
座りっぱなし激痛、立ちっぱなし激痛、背伸び屈伸やスクワットなど、あらゆる行動と停止が激痛です。
その頃の僕はバカなので、「友達も全員、みんな同じく痛いんだ」と本気で思ってましたから、誰かを妬むこともなく、「自分の運動音痴が悪いんだ」と思い込んでました。
 
体力をつけるために、校庭マラソンは頑張りました。
 
当然ながら右足は特に痛いです。
 
主治医は引っ越してからもういない。
 
自分で何とか耐えるしかない!
毎日毎日耐える事。
それが日常です。
 
僕の姉さんが唯一の理解者でした。関節が冷えない様にリストバンドやアンクルバンドを手作りで作ってくれて本当に嬉しかった。
全く痛みが緩和しないのだけど、同級生にはバカにされながらも大切に使ってました。
 
 
でも、小学4年の時に仕事に関して興味を持ち、自分で稼ぐ事が出来ればもっと良いお医者さんに診てもらえるのではないか?
自分の寿命も伸ばせるのでは?
 
それから色々たくさんの事を調べ始めました。
 
でも学校の先生に学校の授業の事以外の質問をしても、ぜんぜん答えてくれませんでした。
 
僕の小学校時代には、携帯も存在しない時代でしたので「調べる」と言っても調べる方法がものすごく限られていました。
 
中学校に入っても、先生方はアテにならない回答ばかり。
 
質問しても「そんな事、今は覚えなくていいから」と授業の事しか教えてくれません。
 
何度も何度もいろいろな先生に質問しましたが、僕がほしい答えをもっている先生はいませんでした。
 
 
中学生の時から図書館の素晴らしさに気づき、図書館に通い授業の内容より仕事に役立ちそうな勉強ばかりを必死に勉強してました。
スキマ時間に仕事をして、とにかくコツコツと毎日何かを努力すれば成果が実るって事を覚えました。
 
学校の勉強なんて興味が無かったので、通信簿なんて悪かったです。
 
テストの問題が意図する。意味が分からない訳でもなかったですが、答えを探し良い点数を取ったところで社会でなんの意味があるのか?
 
その頃の僕は、先生を完全にナメてましたので、答える気すらありませんでした。
 
それは、高校は定時制に行って仕事をする事に決めて居たからです。
 
それ程裕福ではない、おじいさんが僕ら兄弟を養ってくれた恩があるし、いつまでも迷惑は掛けられないと思っていたからです。
 
高校では、自力で稼いで学費を全部自分で払いました。
自分で原チャリの新車を買いました。
 
同時に高校へ通いながら、おじいさんのお手伝いの影響もあり建設会社へ入社し、大工の道を歩みました。
 
とにかく稼ぎたい。
とにかく新しい何かを産みたい。
とにかく新しい世界を体験したかったんです。
 
そうして高校を卒業し、社会へ出てからどんどん『自分に出来る限界』を知りたくなり始めたのです。
 
 
大工の経験もあり、土建から建具屋さん、建物解体業まですべて経験し技術的に一通り、マイホームくらいなら自分で建てられる様になったので、大工の親方から「これからずっと仕事に困らないんだからな!」と言われ将来的にも安心だって言われ続けてました。
 
でも、
 
僕は自分が大工業で終わる生涯を選びたくなかったのです。
 
つまらないじゃないか!!
 
人生一度きりなのに、もう老後も決定「大工一筋」なんてまったくつまらない!!
 
なので、転職しました(笑)
 
いろいろ仕事をマスターするまで体験しました。
 
たくさんの仕事のコツを覚え、その場の中ではありますがとにかく余裕でこなせる「マスター域に満足したら転職」を繰り返しました。(自己満です)
 
そうしてる間に、とあるクルマ屋さん(某ディーラー)で働き始めました。
 
そこから技術職を離れ初めての営業職に就きました。
 
かれこれクルマ関係の仕事は16年くらいやりました。
 
営業では販売、買取り、店舗管理、運営に携わり、
 
技術職では車検、一般整備、チューニング、板金塗装、改造、構造変更など、ほとんどやりました。
 
やりました。が、当然それぞれ何か一つの職でも食べていける自信がつくまでガッチリ勉強し、成果も出しました。
 
なので、だいたい何でもできます。
 
僕を頼って相談してくる人も多いです。
 
僕が教えるのはコツだから。
 
短期間で他業種をマスターする為にはコツが必須だから。
 
だから、相談してくれた人には最も簡単に最速で覚えられるコツを提供してます。
 
この、これまでの経験を活かし、『僕に出来る事はないか!」と考え、思いついたのが、
 
『コツの提供』です。
 
コツがあれば誰でも簡単に、何でも覚えられます。
 
 
 
今では、僕自身が持病の対策法を見つけ、ほぼ普通の暮らしが出来ています。
 
僕が28歳の時、僕の姉さんは癌で亡くなりましたが、今では癌の治療法も知ってます。
もっと早くに僕に知識があれば、姉さんも死なずに済んだのに!
 
過ぎてから言っても虚しい言葉です。
 
  
遅くてはダメなのです。
 
どんな知識も遅くてはダメなのです。
 
遅くては何の役にも立たせる前に自分が死んでいきます。
 
生きてるうちに、早く覚え。
生きてるうちに、早く使いましょう!
 
 
知識は貯めてても意味が無い。
 
だからこそ僕の知識もシェアします。
 
 
 
 
僕は、
 
役に立ちたい。
 
医者が言う寿命なんてとっくに過ぎました。
 
生きてるうちに出来る事を。
 
とにかく経験をする事を。
 
僕が思う一般的人生の三人分の経験を積んで寿命をまっとうする事を。
 
 
これからも諦めない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人生なんてどうせ消える。
どうせ消える人生を、ダラダラ過ごして何か楽しいですか?
 
せっかく生きてるんならサバイバル人生で楽しもう♪
 
想い出は自分で造るもの!!
 
 
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高橋たすく公式LINE@

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