2018年09月28日
木造の旅館、100年間で使い切るという清々しい言葉
北海道胆振東部地震で被害をうけた木造旅館。
むかわ町にある、窪田旅館のことだ。
地震は最大で震度7と報道されたのだが、今回の地震は俗にキラーパルスと言われるような1から2秒程度のゆっさり揺れる要素がない地震だったため、幸いに全壊という被害は免れた木造の2階建ての旅館。
これが、熊本地震や阪神・淡路大震災の兵庫県南部地震のようなキラーパルスを含む地震であったら、ひとたまりもなかっただろう。
木造2階建ての建物の地震時の典型的な壊れ方である、1階がぺしゃんこになる、という壊れ方をして、2階で宿泊した人は助かっても、1階で宿泊していた人は亡くなった可能性が極めて高い。
また、火災が起きた場合も極めて危険な既存不適格の木造旅館であることは、建築年代から間違いない。
さて、このオーナーは地震に遭って、文句をいうだけかと思ったら、「建物を使い切ったね。100年間」というオーナーの長男の言葉で気持ちが癒やされたと紹介されている。
なんとも清々しい言葉で、そういうものですね、と感じたところ。
建物には寿命があるもの。100年の旅館として売上を上げてきたといのは立派じゃないかと。
地震という怪我をしてしまい、手術は金さえ出せば可能だが相当な困難を伴うという状況。
むりやり外科手術をして延命するという方法もあるが、時代は変わる。
建物を使い切るという考え方もストック重視ばかりを叫ぶよりもよほど健全だと思う。
Yahoo!より、
むかわ町穂別・大正時代から続く窪田旅館 胆振東部地震で建物損傷し閉館へ
9/27(木) 16:07配信 苫小牧民報
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-01014751-tomamin-hok
記事より、
・むかわ町穂別で長年、町民らに親しまれてきた窪田旅館が10月に閉館することになった。親子4代で、100年近く続いてきた常連客の多い人気旅館
・胆振東部地震で建物が甚大なダメージを受け、やむを得ず廃業を決意。経営者一家は同月から札幌市内に転居し、新しい生活を始める予定
・旅館は1923年ごろ、窪田外次郎氏が現在と同じ場所で創業、59年に増築、木造2階建て、延べ床面積約660平方メートルの空間に12部屋
・旅館は55年から74年ごろまでが最も忙しく、炭鉱労働者などが宿泊し、多い日には1日30人が利用
・6日未明の地震で、旅館と隣の自宅が被災。建物が傾き、壁にひびが入った。廊下を歩くときしみ、建物内に食器や家具などが散乱した。宿泊客は無事だったが、暗闇の中、懐中電灯を探して屋外に避難
・宿泊予約は10月以降も入っていたが、旅館と自宅が住めないほど損傷し、16日に閉館を決めた
・多妓子さんは愛着のある穂別を離れるべきか悩んだが、長男敬一さん(56)から「建物を使い切ったね。100年間」と声を掛けられ、少し気持ちが楽になった
むかわ町にある、窪田旅館のことだ。
地震は最大で震度7と報道されたのだが、今回の地震は俗にキラーパルスと言われるような1から2秒程度のゆっさり揺れる要素がない地震だったため、幸いに全壊という被害は免れた木造の2階建ての旅館。
これが、熊本地震や阪神・淡路大震災の兵庫県南部地震のようなキラーパルスを含む地震であったら、ひとたまりもなかっただろう。
木造2階建ての建物の地震時の典型的な壊れ方である、1階がぺしゃんこになる、という壊れ方をして、2階で宿泊した人は助かっても、1階で宿泊していた人は亡くなった可能性が極めて高い。
また、火災が起きた場合も極めて危険な既存不適格の木造旅館であることは、建築年代から間違いない。
さて、このオーナーは地震に遭って、文句をいうだけかと思ったら、「建物を使い切ったね。100年間」というオーナーの長男の言葉で気持ちが癒やされたと紹介されている。
なんとも清々しい言葉で、そういうものですね、と感じたところ。
建物には寿命があるもの。100年の旅館として売上を上げてきたといのは立派じゃないかと。
地震という怪我をしてしまい、手術は金さえ出せば可能だが相当な困難を伴うという状況。
むりやり外科手術をして延命するという方法もあるが、時代は変わる。
建物を使い切るという考え方もストック重視ばかりを叫ぶよりもよほど健全だと思う。
Yahoo!より、
むかわ町穂別・大正時代から続く窪田旅館 胆振東部地震で建物損傷し閉館へ
9/27(木) 16:07配信 苫小牧民報
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-01014751-tomamin-hok
記事より、
・むかわ町穂別で長年、町民らに親しまれてきた窪田旅館が10月に閉館することになった。親子4代で、100年近く続いてきた常連客の多い人気旅館
・胆振東部地震で建物が甚大なダメージを受け、やむを得ず廃業を決意。経営者一家は同月から札幌市内に転居し、新しい生活を始める予定
・旅館は1923年ごろ、窪田外次郎氏が現在と同じ場所で創業、59年に増築、木造2階建て、延べ床面積約660平方メートルの空間に12部屋
・旅館は55年から74年ごろまでが最も忙しく、炭鉱労働者などが宿泊し、多い日には1日30人が利用
・6日未明の地震で、旅館と隣の自宅が被災。建物が傾き、壁にひびが入った。廊下を歩くときしみ、建物内に食器や家具などが散乱した。宿泊客は無事だったが、暗闇の中、懐中電灯を探して屋外に避難
・宿泊予約は10月以降も入っていたが、旅館と自宅が住めないほど損傷し、16日に閉館を決めた
・多妓子さんは愛着のある穂別を離れるべきか悩んだが、長男敬一さん(56)から「建物を使い切ったね。100年間」と声を掛けられ、少し気持ちが楽になった
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