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完 フランダースの犬

今日、最終回まで見ました



これが『フランダースの犬』の男の子ネロが観たいと熱望していた、ルーベンスの『キリスト降架』。
十字架にかけられ息絶えたキリストを、今まさに地上に降ろそうとしているところです。

死せるキリストの身体と白い布に注がれる強い光が、聖母マリアとマグダラのマリアをも浮かび上がら
せて、彼らの滑らかな肌が輝くばかりに表現されています。

はっきりした対角線の構図ながら平板になっていない人物配置、亡骸を降ろす男たちの力強い筋肉表現。
聖母の青衣と、キリストを支える男達の着衣の赤(使徒ヨハネ)と黒のコントラストの巧さ。
バロック的特徴を顕著に現わす動きのあるキリストの身体。アントワープのノートルダム大聖堂に飾られたこの傑作を、ネロがどんなに観たいと願っていたことか。

≪あれを見られないなんて、ひどいよ、パトラッシュ。ただ貧乏でお金が払えないからといって!ルーベンスは、絵を描いたとき、貧しい人は絵を見ちゃいけないなんて、夢にも思わなかったはずだよ。ぼくには分かるんだ。ルーベンスなら、毎日、いつでも絵を見せてくれたはずだよ。絶対そうだよ。なのに、絵を覆うなんて!あんなに美しいものを、覆って暗闇の中に置いておくなんて!絵は、人の目に触れることがないんだよ。誰もあの絵を見る人はいないんだよ。金持ちの人が来てお金を払わない限り。もし、あれを見ることができるのなら、ぼくは喜んで死ぬよ。(ウィーダ作『フランダースの犬』より)≫

それにしてもこのお話の結末、実に酷過ぎませんか。
両親も無く、ネロのことをどんなにか心配していた最愛のおじいさんも亡くし、火事の濡れ衣まできせられ、大好きなアロアとも会わせてもらえない。その上思い出いっぱいの家も追われ、唯一の希望だった絵のコンクールにも落とされて(実は絵の天才だった)…。凍てつく寒さのクリスマス・イヴの雪の中、ようやくたどり着いた大聖堂で、念願のルーベンスを観る事が出来たのも、男の子と忠実な犬の命のともし火が消える直前のことだったのですから。

≪かわいく、純真で、正直で、やさしい性格のネロ。彼はパンのかけらと数枚のキャベツの葉っぱだけで幸せでした。−中略ー まるでルーベンスの絵に出てくる、小さい金髪の少年のようでした。≫
こんな風にネロのことを書いているのに…。                           

小説の作者ウィーダは意外にもベルギーの人ではなくて、1839年生まれのイギリスの女性作家。
1871年にフランダース地方に旅行して、その1年後にこの本を出版しています。
日本でテレビアニメ化されたのが約100年後の1975年のこと。その後何度も再放送されて、この
アニメは今や日本の泣けるアニメNo.1の地位を常に確保しています。
舞台になったホーボーケンには毎年日本のファンが大勢訪れ、とうとう1985年には現地にネロと
パトラッシュの銅像まで建てられ、2003年にはなんとアントワープのノートルダム大聖堂前の広場に
記念碑まで建てられたということです。




アニメではネロの観たかったアントワープ大聖堂のルーベンスの絵は『キリスト降架』だけになっていますが、実際には大聖堂には『キリスト昇架』も展示してあり、左右2対並べられていて、原作でもそのように書いてあります。それが下の絵です。



心やさしく、誰にでも思いやりの気持ちを持っていたネロ、おじいさんにネロを慕う知人たち、

とても心安らぎました

僕も人を思いやられる人になれるのだろうか


抜粋あり

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