2018年12月05日
X-MENはなぜ受け続けるのか? ――『X-MEN アポカリプスEDから 受け取った洞察ーー』
今回の『X-MEN アポカリプス』は、
X-MENの顔・『ウルヴァリン』や『プロフェッサー』『マグニート』などの中堅ミュータントよりも
『ジーン・グレイ』『サイクロップス』『スト―ム』『ナイトクローラー』『シルバークイック』
を筆頭とした、まだ若いミュータントたちの活躍に、重しを置かれていたように思える 今作。
そのため今回は、彼ら若いミュータントたちに的をしぼり、この作品のテーマに
彼らがいったい どういった影響を及ぼしているのか、そう言った観点から
この映画を 考察してみることにした。
そして、その答えはエンディングに凝縮されているように思えた。
なのでエンディングシーンを3つの要点にまとめて 考察してみた。
●1ミスティークが、並ぶ若いミュータントたちの前で、教えを説いているカット
「”学校で習ったことも、親に習ったことも、先生に習ったことも、全て、もう役に立たない。”」
ならんでいる、若きXMENたちの前で、そう述べたミスティーク。
ぼくはまず、このように考えた。
『若いミュータント』→『現代の若者』ととらえ、
『ミスティーク』→『新時代にフィットした教師』ととらえた。
そう置き換えたとすれば『学校』という存在は、
「現代(ぼくたちの現実世界)において、役に立たない」
とミスティークが吐き捨てたのもうななずける。
マス生産に対応した人材を生み出す工場である学校は、
あらゆる分野において機械化が推し進められている
現代においては、まさに意味が薄いという事実を表しているのではないだろうか。
さらに、『親』。
そんな学校で過ごし、そういった古い思想にすっかり染まっている、
彼らが言ってくる内容や教えも、
やはりこれからの時代を生きる若者たちにとっては、すごく無駄である。
つまりこのカットでは、若い世代に向けて、適切な指導者が
進むべき指針を諭しているシーン
なのではないかととらえた。
2●迫りくる『センチネル』
そう考えれば、向かってくる『センチネル』は
戦後の公教育を受け、古い思想をまともに受け止め、染まってしまった、
前時代の人々(大人)ととらえていいのではないか。
それを、「機械」というマニュアル的な事しかできない性質の
モチーフにあてはめ、若いミュータントたちの敵として表現した。
そうぼくはとらえた。
3●ラストカット
閉まりゆくドアの隙間から、チャールズがみつめている
あくまで真剣に、でもどこか心配そうな表情で、中にいる若いミュータントたちの
様子を見守りながら、
閉まりゆく扉の向こう側に退場していくチャールズ。
このチャールズの存在は、前世代の賢人たちと言える。
つまり前時代のなかであっても、しっかりと世界の現状を見つめ
今までの世界をけん引し、導いてきた『良き大人たち』。
そして扉が閉じるということは、彼らはあくまで
加勢しないということ。
若いミュータントの能力(新しい世代の能力) VS オートメントなセンチネル(古い概念)
そのたたかいの趨勢を、静かに見守っている構図を表現しているのではないか。
ぼくはとらえた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
そうして見終わった後で、ぼくは一つの洞察を得た。
それはX-MENが売れ続ける理由。
その原因はどこにあるのか、おぼろげながら気づくことができたのだ。
X-MENのアルファベットのX。
それは、数学でもちいられる『✘』と同じ性質を持つのではないか、と考えた。
どういうことか?
すこし話は飛ぶが、
ぼくたちの生きている『現実世界』は常に変わり続けている。
そんな現実世界の中で、映画を製作し、大ヒットを飛ばすことは簡単な事ではない。
少しでも公開のタイミングがズレたり、全く共感がされながかったりすれば、とうぜん売れない。
話は戻り、
X-MENの外面は『特殊能力アクション』モノである。
そこに、公開時に現代社会が抱えている問題をモチーフとした
テーマを、Xに代入してやり、織り交ぜるのだ。
そして、問題を『✘』に当てはめた上で、その問題にキャラクターたちを
ほおりこみ、挑ませる。
そんなキャラクターたちに感情移入しているわれわれ視聴者は、
ともにストーリーの中で、キャラクターの葛藤を疑似体験し、
最後のエンディングにて、その答えをともにに感じ取り、感動してしまうのではないか。
現実社会や時代とリンクしたテーマを扱っているので、
視聴者は、違う世界に生きるキャラクターでありながら、
でもどこか、自分のことのように、キャラクターと自分を、無意識的に重ね合わせてしまう。
さらにそこに、特殊能力という幅の利いた外面アクションツールも
そろっているので、楽しみながら視ることができる。
つまり、
外面と内面。その両面において視ている人たちを
高い水準で満足させることができるシステムが、すでに出来上がっているのだ。
つまり、
X-MENの外面はそのままに、その『✘』に
時代に合わせたテーマをたえず代入し続け、
映画を卸していく。
それこそが、X-MENが時代に左右されず、ヒットを飛ばし続けている
理由の正体、なのではないのだろうか。
もしそうなのだとしたら、まさに『黄金のシステム』と言えるだろう。
そして、そのタネを作ったスタンリー氏は・・ やはりとんでもない才能だ。
X-MENの顔・『ウルヴァリン』や『プロフェッサー』『マグニート』などの中堅ミュータントよりも
『ジーン・グレイ』『サイクロップス』『スト―ム』『ナイトクローラー』『シルバークイック』
を筆頭とした、まだ若いミュータントたちの活躍に、重しを置かれていたように思える 今作。
そのため今回は、彼ら若いミュータントたちに的をしぼり、この作品のテーマに
彼らがいったい どういった影響を及ぼしているのか、そう言った観点から
この映画を 考察してみることにした。
そして、その答えはエンディングに凝縮されているように思えた。
なのでエンディングシーンを3つの要点にまとめて 考察してみた。
●1ミスティークが、並ぶ若いミュータントたちの前で、教えを説いているカット
「”学校で習ったことも、親に習ったことも、先生に習ったことも、全て、もう役に立たない。”」
ならんでいる、若きXMENたちの前で、そう述べたミスティーク。
ぼくはまず、このように考えた。
『若いミュータント』→『現代の若者』ととらえ、
『ミスティーク』→『新時代にフィットした教師』ととらえた。
そう置き換えたとすれば『学校』という存在は、
「現代(ぼくたちの現実世界)において、役に立たない」
とミスティークが吐き捨てたのもうななずける。
マス生産に対応した人材を生み出す工場である学校は、
あらゆる分野において機械化が推し進められている
現代においては、まさに意味が薄いという事実を表しているのではないだろうか。
さらに、『親』。
そんな学校で過ごし、そういった古い思想にすっかり染まっている、
彼らが言ってくる内容や教えも、
やはりこれからの時代を生きる若者たちにとっては、すごく無駄である。
つまりこのカットでは、若い世代に向けて、適切な指導者が
進むべき指針を諭しているシーン
なのではないかととらえた。
2●迫りくる『センチネル』
そう考えれば、向かってくる『センチネル』は
戦後の公教育を受け、古い思想をまともに受け止め、染まってしまった、
前時代の人々(大人)ととらえていいのではないか。
それを、「機械」というマニュアル的な事しかできない性質の
モチーフにあてはめ、若いミュータントたちの敵として表現した。
そうぼくはとらえた。
3●ラストカット
閉まりゆくドアの隙間から、チャールズがみつめている
あくまで真剣に、でもどこか心配そうな表情で、中にいる若いミュータントたちの
様子を見守りながら、
閉まりゆく扉の向こう側に退場していくチャールズ。
このチャールズの存在は、前世代の賢人たちと言える。
つまり前時代のなかであっても、しっかりと世界の現状を見つめ
今までの世界をけん引し、導いてきた『良き大人たち』。
そして扉が閉じるということは、彼らはあくまで
加勢しないということ。
若いミュータントの能力(新しい世代の能力) VS オートメントなセンチネル(古い概念)
そのたたかいの趨勢を、静かに見守っている構図を表現しているのではないか。
ぼくはとらえた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
そうして見終わった後で、ぼくは一つの洞察を得た。
それはX-MENが売れ続ける理由。
その原因はどこにあるのか、おぼろげながら気づくことができたのだ。
X-MENのアルファベットのX。
それは、数学でもちいられる『✘』と同じ性質を持つのではないか、と考えた。
どういうことか?
すこし話は飛ぶが、
ぼくたちの生きている『現実世界』は常に変わり続けている。
そんな現実世界の中で、映画を製作し、大ヒットを飛ばすことは簡単な事ではない。
少しでも公開のタイミングがズレたり、全く共感がされながかったりすれば、とうぜん売れない。
話は戻り、
X-MENの外面は『特殊能力アクション』モノである。
そこに、公開時に現代社会が抱えている問題をモチーフとした
テーマを、Xに代入してやり、織り交ぜるのだ。
そして、問題を『✘』に当てはめた上で、その問題にキャラクターたちを
ほおりこみ、挑ませる。
そんなキャラクターたちに感情移入しているわれわれ視聴者は、
ともにストーリーの中で、キャラクターの葛藤を疑似体験し、
最後のエンディングにて、その答えをともにに感じ取り、感動してしまうのではないか。
現実社会や時代とリンクしたテーマを扱っているので、
視聴者は、違う世界に生きるキャラクターでありながら、
でもどこか、自分のことのように、キャラクターと自分を、無意識的に重ね合わせてしまう。
さらにそこに、特殊能力という幅の利いた外面アクションツールも
そろっているので、楽しみながら視ることができる。
つまり、
外面と内面。その両面において視ている人たちを
高い水準で満足させることができるシステムが、すでに出来上がっているのだ。
つまり、
X-MENの外面はそのままに、その『✘』に
時代に合わせたテーマをたえず代入し続け、
映画を卸していく。
それこそが、X-MENが時代に左右されず、ヒットを飛ばし続けている
理由の正体、なのではないのだろうか。
もしそうなのだとしたら、まさに『黄金のシステム』と言えるだろう。
そして、そのタネを作ったスタンリー氏は・・ やはりとんでもない才能だ。
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