2018年12月10日
松田聖子(アイドル)
SEIKO MEMORIES 〜Masaaki Omura Works〜 [ 松田聖子 ] 価格:4,536円 |
We Love SEIKO Deluxe Edition - 35th Anniversary 松田聖子 究極オールタイムベスト 50+2 Songs - [ 松田聖子 ] 価格:3,888円 |
MUSICALOID #38 (此方乃サヤ盤) [ 神田沙也加 ] 価格:2,619円 |
異名
・『永遠のアイドル』
・『聖子ちゃんヘアーの源流』
☆『ヒトコト』知識―――
・青いサンゴ礁・赤いスイートピー・・色を使ったリリース曲が多め。
「他」との繋がり(コネクション)
名言〜
・女優とブティック経営。(全国各地から一目見ようと、集まる)そして、歌手にアイドル。英語も話せる。
・黄色い声援がすき。注目されたい。感心されたい。
・結婚して出産してからもアイドル活動
・郷ひろみとわかれてすぐ1か月で結婚
・アメリカ進出のため、幼い娘を親に預けて、単身渡米。賛否両論が巻き起こる。
・所属している事務所をやめて、アメリカへ。一年の多くは旅先で過ごす生活。
・自分の話をしているときが楽しそう。または話をしているときが。(注目をあびてるからスイッチが入る)
・感動屋さん、すぐ泣く、ボケ
・いただきます。を満面の笑みでいう。
・子供を産んでも働き続けるアイドルはそれまで存在しませんでした。
・どうやったら興味を持たれるか知っている。目の動きや表情の作り方。自然と周りのみんなが支えてくれる。自分のことを信じて後押ししてくれる。
・自分のやりたいことをやり通す。しかしそのライフスタイルは、激しいバッシングにされされることになっていきます。
・戦後もっともメディアに取り上げられる。そしてバッシングがほとんど。
・ホテルまでキーボードを持ち込み、深夜まで曲作りまで打ち込む。(効率)
・同世代たちのアイドル達が結婚し、歌うことを辞めていく中、27年間歌手という仕事を続けてきました。
・同世代の女性たちと同じように仕事と子育ての難しさを感じてきました。
「いいアレンジだと、イメージがすごく膨らむんで、今ほとんど、なんとなくあるところあるところ言葉が出るところ、それが急に頭に浮かぶんですよ。バッと」
「なんか恥ずかしいな〜テレビの前で食べるなんてな〜。いただきます!なんで、恥ずかしいよ」
「私の人生のキーワードは結構、直観とかひらめきとか、すごいこうあるんですけど、うん、直観的にやってみようとか。結構、頑固というか自分が決めたら、やっぱり絶対それをやるってタイプだから。う〜ん、なんか夢とか信念とかそういうものはなんかずっと持っていたい。というのはありますけどね〜」
「自分では本当に普通のことをね、私の中では普通のことって言うとまたちょっと語弊があるかもしれませんけど、私の周りで起こったことを本当に私が心から直感して、やろうと思ってきたことをやってきた。だけなので」
「自分としてはアメリカでやってみたい。」(能力に自信が?それとも能力開花?)
決めたら即実行。
男女雇用機会均等法がせいこうされ、女性が社会に進出していった時期といみじくもかさなっている、しかし女性の時代という表現こそが、自然に女性が働くことを拒んできたと思う。
そんな中で松田聖子はいとも簡単に古い価値観を吹き飛ばし、誰よりも自由に人生を謳歌しているようにみえた。彼女は後ろ指を刺さされようとも、自分のやりたいことはやりぬくのだと、世間にたいして大見得をきった日本で最初の女性だった。その意味で松田聖子は日本の女性のシンボル的存在である。時代と格闘し思い悩んでいる女性たちが松田聖子を自分の理想の姿として見つめてきたのだろう。
「なんか、ん〜、やっぱり時代っていうのはすごく難しくて、やっぱりまだなかなか働く女性っていう、ん〜やっぱりなかなか認められないという、やっぱりちゃんと家にいて家庭を守ってみたいな、そういう考え方の中にあって、やっぱり私が女性なのに!家庭を持って子供もいるのに!仕事をやるっていうのはやっぱり周りの方たちには不思議に映ったのかもしれないですけど、でもあのときやっぱりすごい大きなチャンスをいただいて、あのとき、誰にでもどこにでも、あの、いつでも出てくるチャンスじゃないように見えたんですよ。人生にはいくつかこうチャンスがあると思うんですけど、なんかこれは人間として経験しておくべきことなんじゃないかと思ったんですよね」
(人生の波がきますよね)
「さむいね、これ。もっとすごいあったかいイメージだったな。うっひょひょー!」(意見をすぐいう)
「歌うことって思い切ることと一緒かな。」(注目=人生)
「やっぱり歌うことって、生きることと一緒かな〜」
(娘沙也加の意見)
「どうしてなんだろうってずっと思ってましたね〜、でも、それが、だから自分は不幸だ。とか、だからすごい満たされないとか、そんな風に考えたことは本当に一回もないですね」。でもどうしてなのかな〜って疑問に思ってました。」
(人生の中で一番辛いことはなんかありました?)
「そうですね、松田聖子って存在だけが独り歩きして、完全にこう別の松田聖子が作られていくっていう、そういうのは時々怖いな〜って思ったりはします。私のことを知らない人が、まるで私のことを知っているかのようにいろいろ書いたりとかされますよね。そうすると私はひとつひとつのことに対して、それは違います。これは違います。ってもちろん言う術もないですし、言っても仕方がないですよね」
あの頃、なぜ世の中は彼女に目くじらをたてて、彼女を糾弾したのだろうか、女は控えめにしたほうがかわいいという感覚は、今でも人間のDNAレベルに組み込まれている
もはや男だ女だと区別する時代ではないと誰しも頭ではわかっていながら、DNAが反発するのである。特に当時の男性にとって彼女の生き方は晴天の霹靂だったに違いにない。
ダイナミックな仕事ぶりも結婚も、その後も恋も、キュートで素敵な微笑みも、女性から見ても彼女の姿は憧れであると同時に、嫉妬の対象であったのもわからないではない。
時代の先端を行くものは必ず激しい向かい風を受ける。その向かい風を前進で受け止めながら、決して倒れなかった女性。それが松田聖子なのだ。
結婚しても女性は終わりじゃないんだよ。女性たちに優希を与える。どうしてチャレンジしていけないの。今でこそ彼女は勝ち組に入りましたけど、当時はどうなるかわからない状況で女性が応援したいと、私は思いました。(みんなを勢いだテル、やる気にさせる)
「いろんな経験をさせていただいて、なんかこう人生これからみたいな気がするんですけど、とにかくこう、いろんなことを経験するってすごい勉強で、やっぱり自分が見思って体験することは。いろんなことを体験をさせていただいてまたスタートラインにたったような気分ですね。ここからまたいろんなことに挑戦していって、何ができるかみているような気分です」
「私も始めたころはあんな感じでした。」
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