これは、だれでも平等に訪れることです。
でも死って何でしょう?生まれたときにすべての人は肉体をプレゼントされますよね。
その肉体は年月が過ぎると変化していき、いつかは老化して機能不全になります。
この肉体が機能しなくなり、完全に停止した状態が「死」ということです。
では、肉体が機能しなくなると「無」になるのでしょうか?
どうやら「無」にはなりません。
生まれてきた赤ちゃんはどこから来るのでしょう。
「無」から生まれているわけではありませんよね。
それと同じで「死」は「無」ではないと考えられます。
お盆には死者がよみがえる?
皆さん、幽霊怖いですよね。
でも、お盆にはご先祖様をお迎える儀式があります。
怖いのに死者を迎えるんですよ。
というより、身内の霊は怖い存在ではないということになります。
全体的に言えば、人間だったものが肉体がなくなり幽霊になるのですから、幽霊は怖い存在ではないとも言えます。肉体があるかないかの違いだけならそう言えますよね。
どうやら幽霊にも種類があるようで、お盆に帰ってくるご先祖様は怖い幽霊には属さないといえるようです。
なぜなら、生きている私たちに危害を加えないからですね。
しかし、本当にご先祖様はお盆に帰宅するのでしょうか?
帰宅するというよりも、日ごろ忙しくしている人間がお盆にはなくなった先祖を思い出すというのが正しい気もします。ただし、霊がお盆に現世に着やすくなっているようには感じます。
それは見えない何かの力ではないでしょうか?
例えば、霊道とか磁場とかの関係で、零体の動きが活発化するのかもしれません。
幽霊は悪霊にもなりますが、守護霊にもなりますから、この時期にご供養として感謝の意を表すことはよいことだと思います。
死ぬと記憶が消えていくらしい
心霊系が好きな自分が、いろんな心霊系にまつわる話や動画、写真を見るのですが、人は死ぬと記憶があやふやになっていくらしいということに気づきました。
どうして、人間であったはずの幽霊が人ならやらないことをし始めるのかが、とても不思議だったのです。
普通は、いきなり知らない人の家に侵入したり、知らない人の首を絞めたりしないですよね。
他にも、トイレのような場所によく幽霊が現れますが、トイレに住みつきたいと思わないですよね。
これ、生きている人の思考とは違うと思うのです。
肉体がなくなると、感情だけが強く残り他のことは記憶から消えていくようです。名前は生きているときには必要ですが死ぬと誰かに呼ばれるわけではないので、徐々に忘れてしまうようです。
住所もそうですし、死んだら必要ないものから忘れていくようです。
感情のみがいつまでも残るため、恨みや憎しみ、執着がこの世に残るわけです。
憎しみだけの感情になったものは魔物のようになってしまうというのはわかる気がします。
だから、成仏してあの世にすんなりいくためには、この世に未練を持たないことが大切なんだなと思います。
幽界に行く例とこの世に残る霊
人は死ぬと二つに分かれると感じます。
幽霊が行くべき場所に行くものと、この世に残るものです。
すんなりあの世に逝く霊は生まれ変わったり、守護霊になったりするのではないでしょうか?
問題は現世に残ってしまう霊です。
これがいたずらしたり、人に危害をもたらす悪霊になるのでしょう。
現世に残ってしまっている霊も、時間がたつとあの世に行くものが大半ですが、いつまでもこの世に残ったものは自分が何者だったかも忘れ、化け物化していくのではないかと思います。
そしていつかは魂ごと消滅してしまうのではないでしょうか?
すべての魂が輪廻転生を繰り返しているのではなく、中には完全に消滅してしまうものもいるのだと思います。
この世は修行の場
魂を磨くためにこの世に肉体をまとい生まれてきます。
ですから、いつまでも現世にとらわれてしまうことは、先に進めないことを示唆しています。
肉体が亡くなった時点で、この世の学びには区切りがついてしまったのですから、いくら後悔しても何も起こりませんよね。
起きてしまったことは無いことには出来ないのです。
ですから、日々、後悔の無いように、執着しないように生きていくことが必要なのだと思っています。
1日を精一杯生きることが、私たちにとって最善の生き方のような気がします。
肉体が存在するからこそ味わえることがあるということを忘れないように、命を大事にしていきたいものですね。